傷貨の聖女

傷貨の聖女 第8話「第7章」

雪は朝からずっと降り続いていた。屋根から落ちる雪の塊が軒先で粉になり、通りに積もった白が足跡を吞み込む。グラナの小さな町は、その静けさを蒼白に塗り替えられていた。診療所の窓辺に並べた紙片が、外の光にかすかに震えている。あの夜に並べた帳簿と証票、銀片の箱は、今朝も同じ位置にあった。四人は朝の支度を済ませ、呼吸を合わせるようにそれぞれの役割を確かめ合っていた。

雪は朝からずっと降り続いていた。屋根から落ちる雪の塊が軒先で粉になり、通りに積もった白が足跡を吞み込む。グラナの小さな町は、その静けさを蒼白に塗り替えられていた。診療所の窓辺に並べた紙片が、外の光にかすかに震えている。あの夜に並べた帳簿と証票、銀片の箱は、今朝も同じ位置にあった。四人は朝の支度を済ませ、呼吸を合わせるようにそれぞれの役割を確かめ合っていた。

「どのくらい持ちますか、澪さん」ミナが声を潜めて訊く。彼女は手に小さな器具を抱え、指先でそれを何度か回した。朝の冷気に、器具の金属がうっすらと息をつく。

澪――今はリゼットと名乗る女は、ゆっくりと首を振った。夜は浅かった。前の晩に帳簿を整え、住民に説明を回したあとで眠りは中断され、夢の中で前世の診療記録がまだ眼前にちらついていた。睡眠は断片的で、身体の疲労は抜けない。能力の上限は、眠りの回復に比例する。彼女はそれを誰よりも知っていた。

「八負荷までが目安だ」リゼットは静かに答えた。「だが今は、二、三だろう。眠りが浅すぎる。だから、今日の私の仕事は治療よりも記録を守ることだ」

ノエラが頷く。元軍医の彼女は、手先よりまず守るべきは秩序と意思確認だと分かっている。「それでいい。ここで私たちが差し出すのは、誰が何を選んだかだ。治療はその後だ」

外から鈴の音が聞こえた。金属の高い音が、雪に柔らかく消えていく。町のはずれの坂道から来る音だ。誰かが上り坂に重い荷車を引いているのかとリゼットは思ったが、鈴は規則正しく、軍の行進のように整っていた。

広場に出ると、黒塗りの幌車が二輌、雪に筋を刻んで止まっていた。幌には王務局の印と称する紋章が噴き出すように縫い付けられている。だが近づいて初めて分かることがある。紋章の中心にあるはずの五つ目の突起が、片方欠けていた。鈍い金色の刺繍は、そこだけ不揃いで、欠けた形の陰が昼の光に落ちている。いつもなら気に留めないはずの欠片だが、今日の雪の下ではそれがじっとこちらを見ているように思えた。

監査団の長と名乗る男が車から降りる。黒いコートの襟は高く、顔を覆うように毛皮が巻かれている。間合いを取って立つ彼の背には、公的な冷たさがまとわりついていた。傍には複数の書記と、腕章を付けた護衛が控えている。そのうちの一人が、ゆっくりと策箱を開け、小さな印章を取り出した。印章の金属にもやはり、欠けた突起の模様が刻まれている。

「リゼット・アーヴェルか。あるいは――」監査長は帳面を一瞥して言葉を切った。「前の儀式に出た者か。ここに至るまでの事案を説明する。お前たちの行為は、王都の法を逸脱している。無資格の医療行為、そして聖女の秘宝による基金の横領。これらは王法に触れる。まずは診療所と金属資産の差押え、住民の証言の確保が必要だ」

一瞬、広場の空気が止まった。「横領」と言う言葉は、金の話に敏感な者たちの目を鋭くした。ガルドは顔を硬くした。鉱山の収入が止められる――その恐れが、一瞬で彼の胸に冷たい石を据えた。彼の片腕が無意識に胸へ寄せられる。いつもの仕草が出る。祈りか、合図か。リゼットはその手を見て切なさを覚えた。胸に当てるその手の意味を、彼女はまだ完全には知らない。しかしその光景は、今日の判断が誰を動かすのかを示していた。

監査長は紙を広げ、ゆっくりと声を張った。「証拠はある。我々は王庫の帳簿と照合した。お前たちが『共同基金』と称している金属片は、実際には王都の回収路へ吸い上げられている。町の治療は王都の資源に変えられ、代わりに庇護は与えられていない。住民は欺かれている。これらを行政が是正するまで、現件の管理を当局に委ねる」

ざわめきが起きた。誰かが低く唸る。住民の顔色が変わる。商人たちは馬車の側で膝を折り、心配そうに息を吐いた。リゼットはその場に立ったまま、胸の鼓動を掴むように親指と人差し指で額の冷えを確かめた。自分が今、どれだけのことを言えるのかを知っている。正面からぶつかれば、法の力に押し潰される。だが黙って任せれば、帳簿は消え、記録は消され、痛みはまたどこかへ吸い上げられる。

「帳簿を提出しろ、と?」リゼットは監査長に向かって平静に言った。「私たちは記録を持っている。書面はここにある。だがその提出を一方的に貴方に委ねるつもりはない。住民が見る前に何かを差押えるというなら、それは証拠隠滅の恐れがある。私たちは公開の場で精査することを要求する」

監査長は冷たく笑った。「公開の場だと? それは、王都の命令に背いているということを皆に見せる行為だ。お前たちがどれだけ美辞麗句を並べようと、実務は違う。ここは王の権能の外ではない」

言葉の背後にあるのは脅しだった。王都は財政の流れを守るため、しばしば迅速な「整理」を行う。その手は、地方の小さな抵抗など気に留めないほど太く、重い。ガルドは監査長の傍へ歩み寄り、低い声で懇願する。「この町は採掘で暮らしている。もし作業が止まれば、皆が困る。王都と折り合いを付ける道はないのか。多少の差し引きで済むなら……」

「妥協は可能だ」監査長は言葉を切らずに答えた。「だが妥協の前に、不正の実態を示せ。帳簿を出せ。資産の所在を明かせ。不明瞭な資金の流れは私の職分だ」

セインの顔が青ざめる。王庫と照合したら、間違いなく差が出る――彼にはそれが分かっていた。夜に帳簿を繰ったとき、ページの余白に小さな黒い線が走っているのを見つけた。単なる汚れのように見えたが、その線は幾つものページを貫いており、最後には隅の余白で消えている。彼はその線の行き先を知らなかった。だが監査の言葉は、彼の心に深い恐れを落とした。もし帳簿が王庫へ持ち去られ、改竄されれば、ここでの証言は全て覆る。

セインはふらりと診療所へ戻り、急いで背に手を伸ばした。布袋の中から、昨夜の複写帳を取り出す。それはコピーだ。本物はミナが手元で保管している。だがコピーこそ公開に回せるものだとセインは考えた。彼は震える指で帳を広げ、監査長の方へ差し出した。

「証拠を出します」リゼットが宣言した。「だが我々も要求がある。公開の場で全てを検査すること。書き換えや改竄を排するために、住民の前で帳簿を開く。私たちは燃やしたり隠したりはしない。ここで皆の前で見せる」

監査長は一瞬の間を置き、そして少しずつ表情を変えた。彼の目は冷酷さを失わず、だがその下に計算がある。公開は王都にとって望ましい手段ではない。だが同時に公開の場では王都の提示する資料が差し出され、相違を正すことができる。監査長は言った。

「よかろう。だが条件がある。私の書記が立ち会い、すべてのページを王都の手続きに従って検認する。誰かが証拠を破壊したなら、その者は法の裁きを受ける」

ノエラが静かに前に出る。「私は医療の監査人として参加する。治療記録の整合性を見ます。だが、誰かの言論の自由を盾にして証拠を隠蔽させることはさせません」

監査長は一度頷いた。周囲の緊張は、やや緩んだように見えた。だがその瞬間、セインの指が止まった。帳を開くとき、彼はあるページに触れ、息を詰まらせた。そこには、まるで消されたかのように浅いひっかきがあり、そこから文字が剝がれていた。ページの余白に刻まれた線