呼吸する街路樹の下で

呼吸する街路樹の下で 第8話「第7章:凛子の告白」

凛子の瞳には光がなく、ただ怯えたように周囲を見渡していた。その姿は、かつての活発だった彼女の面影をかき消すほどに衰弱していた。 「どうしてこんなところに……? みんな、学校の友達も、先生も、みんな心配して探してたんだよ」 梓の問いに、凛子は力なく首を振った。彼女の唇は乾燥して割れ、言葉を発するのも辛そうだった。 「外に出るのが怖かったの……。あの光る葉っぱが見え始めた時から、ずっと。私の頭の中にあることが、心の一番深いところにある汚い秘密が、全部あの葉っぱに書かれちゃう気がして。もしそうなったら、私はもう、この街にいられなくなる。誰の目も見て歩けなくなるから」 凛子は震える声で、自分が姿を消し

凛子の瞳には光がなく、ただ怯えたように周囲を見渡していた。その姿は、かつての活発だった彼女の面影をかき消すほどに衰弱していた。
「どうしてこんなところに……? みんな、学校の友達も、先生も、みんな心配して探してたんだよ」
 梓の問いに、凛子は力なく首を振った。彼女の唇は乾燥して割れ、言葉を発するのも辛そうだった。
「外に出るのが怖かったの……。あの光る葉っぱが見え始めた時から、ずっと。私の頭の中にあることが、心の一番深いところにある汚い秘密が、全部あの葉っぱに書かれちゃう気がして。もしそうなったら、私はもう、この街にいられなくなる。誰の目も見て歩けなくなるから」
 凛子は震える声で、自分が姿を消した本当の理由を話し始めた。
 凛子の父親は、扇動市の再開発を主導する有力な市議会議員だった。彼女はある夜、父の書斎で、ある企業からの多額の献金と、その見返りに公園の木々を伐採して商業施設を建てるという密約が記された書類を見てしまったのだという。
「お父さんは、この街を良くするために頑張ってるって信じてた。でも、あの書類を見て……。それを誰かに言えばお父さんは破滅する。でも、黙っていれば私はお父さんの嘘に加担することになる。どうすればいいか分からなくて、ただ怖くて」
 凛子の声は涙で湿っていった。
「そうしているうちに、あの熱波が始まって、街路樹が光りだした。まるで私の沈黙を責めるみたいに。私の隠していることが、いつかあの公園のイチョウに浮かび上がるんじゃないかって、毎晩うなされたの。だから……」
 彼女は、木が自分の秘密を吸い上げる前に、自ら木の「根」の中へと逃げ込んだ。木の中にいれば、自分も木の一部になって、秘密を隠し通せると思ったのだ。
「凛子、それはあなたが一人で背負うことじゃない」
 梓は凛子の冷たい手を、自分の体温で温めるように強く握った。
「お父さんのしたことは間違っているかもしれない。でも、それをいつ、どうやって話すかは、あなたが決めていいことなんだよ。誰かに無理やり暴かれるべきじゃない」
 梓は凛子の目を見つめ、はっきりと言った。
「今はまだ、何も言わなくていい。あなたが自分の言葉で、自分のタイミングで話せるようになるまで、私がその沈黙を守る。盾になって、傘になって、あなたを守るから。だから、もう一度地上に戻ろう。太陽の光の下へ」
「無理だよ、梓……。外にはあの佐伯っていう人がいて、木を全部切っちゃうんでしょ? ハルさんが言ってた。木が切られたら、溜まった言葉の熱が一気に解放されるって。そうなったら、私の秘密も、街中の人の秘密も、全部熱になって弾けてしまう。この街は、本当の意味で燃え尽きてしまうんだよ」
 ハルが暗闇の中から静かに頷いた。
「彼女の予感は正しい。伐採は、単なる樹木の除去じゃない。この都市の精神的な防波堤を決壊させる行為だ。蓄積された膨大な『未練』と『後悔』が物理的な熱量に変換されれば、扇動市は火の海になるだろう」
 梓は地上を見上げた。天井のコンクリートの向こう側で、遠く、しかし確実に重機の音が響き始めていた。伐採の準備が着々と進んでいる。
「……させない。絶対に」
 梓の心の中で、小さな、しかし消えない決意の火が灯った。