呼吸する街路樹の下で

呼吸する街路樹の下で 第12話「第11章:自分の声」

空に舞い上がった葉は、高層ビルの間を抜け、住宅街の窓を叩き、人々の上を通り過ぎていく。 人々は空を見上げ、その美しさに息を呑んだ。 葉に刻まれた文字は、空中で少しずつ溶け出し、輝く粉となって降り注いだ。 不思議なことに、その粉に触れた人々は、他人の秘密を暴こうとする欲望が消えていくのを感じた。代わりに湧き上がってきたのは、「自分も何かを言いたかった」という切実な思いだった。 「……ごめん」 「……ありがとう」 「……ずっと、言えなかったんだけど」 街のあちこちで、小さな、しかし本当の声が響き始めた。それは葉に浮かぶ文字ではなく、生身の人間が、自分の喉を震わせて発する言葉だった。 凛子は梓の目を

空に舞い上がった葉は、高層ビルの間を抜け、住宅街の窓を叩き、人々の上を通り過ぎていく。
 人々は空を見上げ、その美しさに息を呑んだ。
 葉に刻まれた文字は、空中で少しずつ溶け出し、輝く粉となって降り注いだ。
 不思議なことに、その粉に触れた人々は、他人の秘密を暴こうとする欲望が消えていくのを感じた。代わりに湧き上がってきたのは、「自分も何かを言いたかった」という切実な思いだった。
「……ごめん」
「……ありがとう」
「……ずっと、言えなかったんだけど」
 街のあちこちで、小さな、しかし本当の声が響き始めた。それは葉に浮かぶ文字ではなく、生身の人間が、自分の喉を震わせて発する言葉だった。
 凛子は梓の目を見て、はっきりと言った。
「梓、私、自首するよ。お父さんの証拠を警察に持っていく。それが私の、本当の言葉だから」
 梓は凛子の手を強く握り返した。
「うん。一緒に行こう」
 ハルは少し離れた場所で、その光景を満足そうに見守っていた。
「木たちが、呼吸を始めたな」
 彼の言葉通り、街路樹の葉は本来の緑色を取り戻し、夜風に吹かれてさらさらと心地よい音を立てていた。
 そして、奇跡が起きた。
 空を埋め尽くしていた無数の光の粉が、大気中の湿気と結びつき、冷たい水滴へと姿を変えていった。
 ポツリ、ポツリと、熱を帯びたアスファルトを濡らす音が響き始める。
 それは、恵みの雨だった。記録的な熱波に焼かれ、人々の悪意と不安に煮え立っていた都市を癒し、すべての「熱」を優しく鎮めていく、静かで慈悲深い雨。
 梓は空を仰ぎ、雨粒を全身で受け止めた。雨は彼女の涙と混ざり合い、この夏に感じてきたすべての苦しみを洗い流してくれるようだった。
 ふと見上げると、街路樹の葉からはもう、あの光る文字は消えていた。そこにあるのは、雨に濡れて黒々と輝く、本来の木の姿だけだ。
 しかし、梓の胸の中には、これまでよりもずっと鮮やかで、確かな重みを持った言葉が満ちていた。それは誰かに覗かれることも、勝手に解釈されることもない、彼女だけの本当の声だった。
「……涼しいね」
 梓が隣の凛子に向かって微笑むと、凛子も同じように微笑み返した。
「うん、本当に涼しい」
 その何気ない、日常の極みのような一言が、どんな幻想的な告白や衝撃的な秘密よりも、今の二人には何物にも代えがたいほど愛おしく、尊いものに感じられた。