呼吸する街路樹の下で 第10話「第9章:熱波のピーク」
イチョウの葉が放つ青白い炎は、通常の火とは異なり、熱を持たないはずの「言葉」が純粋なエネルギーとして燃焼しているようだった。しかし、その輝きはあまりにも強烈で、周囲の気温をさらに押し上げているように感じられた。 「逃げろ! 発火が連鎖するぞ! 爆発するかもしれない!」 誰かが叫び、人々がパニックになって散り始めた。放水車も、異常な熱気に耐えきれず後退していく。しかし、梓は動かなかった。手から傘が零れ落ちるのも構わず、青白く燃え上がるイチョウを見つめ続けた。 その青い炎の中に、凛子の名前が見えた。 「凛子の想いが……みんなの心が、燃えちゃう」 炎は木全体を包み込み、イチョウの巨木は巨大な青い松明
イチョウの葉が放つ青白い炎は、通常の火とは異なり、熱を持たないはずの「言葉」が純粋なエネルギーとして燃焼しているようだった。しかし、その輝きはあまりにも強烈で、周囲の気温をさらに押し上げているように感じられた。
「逃げろ! 発火が連鎖するぞ! 爆発するかもしれない!」
誰かが叫び、人々がパニックになって散り始めた。放水車も、異常な熱気に耐えきれず後退していく。しかし、梓は動かなかった。手から傘が零れ落ちるのも構わず、青白く燃え上がるイチョウを見つめ続けた。
その青い炎の中に、凛子の名前が見えた。
「凛子の想いが……みんなの心が、燃えちゃう」
炎は木全体を包み込み、イチョウの巨木は巨大な青い松明へと変貌していった。その輝きは夜の闇を塗り潰し、数キロ先からも見えるほどの巨大な光の柱となっていた。
公園内の他の街路樹も、その光に共鳴するように次々と発光し、自然発火を始めた。街路樹の列が、青い炎の回廊へと変わっていく。
アスファルトは熱でドロドロに溶け出し、空気は吸い込むだけで肺が焼けるような錯覚を覚えるほどに過熱していた。扇動市の空は、深夜だというのに不気味な紫がかったオレンジ色に染まり、雷鳴のような低い轟音が響き続けている。
佐伯は、部下たちが逃げ惑う中で、ただ一人立ち尽くしていた。彼の眼鏡は熱で歪み、顔は煤で汚れている。
「これが……私の守ろうとした秩序の成れの果てか」
彼は震える手で、自分の胸元に張り付いたままだった小さな葉を剥ぎ取った。その葉には、彼がずっと押し殺してきた言葉が浮かんでいた。
『本当は、こんな街にしたくなかった。私は、緑を守りたかったんだ』
かつて環境保護を志し、理想に燃えていた若き日の佐伯。その彼が、いつの間にか効率と数字の奴隷になり、自分が最も愛したはずの木々を切り倒そうとしていた。
梓は、燃え盛るイチョウの前に歩み寄った。ハルがその肩を掴んで止めようとする。
「梓、危ない! 近づくな!」
「ハルさん、どうすればいいの? このままじゃ、街が全部燃えちゃう! 凛子も、地下にいるみんなも!」
ハルは燃える木々を見つめ、苦渋の決断を下すように言った。
「木の中に溜まった『情報の熱』を、一気に逃がすしかない。これは文明社会が作り出した歪みだ。だが、熱を逃がすということは、木が吸い込んだすべての言葉を、この街に『解放』することを意味する」
ハルは梓の目を見据えた。
「誰にも言いたくなかった秘密、墓場まで持っていくはずだった告白……それがすべて、この街の空にぶち撒けられるんだ。それは、君たちが命懸けで守ろうとしてきた『沈黙の権利』を、君たち自身の手で壊すことになるんだぞ」
梓は足元を見た。地下へと続くマンホールの蓋の隙間から、青白い光が漏れ出している。そこには凛子がいて、彼女を守るために必死に耐えている根がある。
「……いいえ。無理やり暴かれるのと、自分たちで手放すのは違うわ」
梓は顔を上げ、燃える巨木に手を伸ばした。
「秘密を守るために街が燃えるなら、それは本当の守りじゃない。私たちが、この言葉の熱を、痛みを、全部引き受ける。だから、木たちを助けて! この街の呼吸を止めてしまわないで!」