眠りのない村の夢配達

眠りのない村の夢配達 第1話「プロローグ:微睡みの境界」

その村に朝が来ることは、決して救いではなかった。それはただ、長く、残酷な夜が一時的に姿を変え、白濁した光の膜を張っただけに過ぎない。 不眠の里(ねむらずのさと)――地図からも、人々の記憶の隅からも忘れ去られたその場所では、霧が常に重く立ち込め、太陽の光さえも水を含んだ綿のように鈍く濁っている。村人たちの目は一様に赤く充血し、まぶたの縁は慢性的な疲労で黒ずんでいた。彼らは生きていたが、それは「目覚めている」というよりは、死の安らぎから無理やり引き剥がされ続けている状態に近かった。 村の中央には、天を突くような尖塔を持つ「夜糸の館」がそびえ立っている。黒い石で築かれたその館の窓からは、時折、冷え冷

その村に朝が来ることは、決して救いではなかった。それはただ、長く、残酷な夜が一時的に姿を変え、白濁した光の膜を張っただけに過ぎない。
 不眠の里(ねむらずのさと)――地図からも、人々の記憶の隅からも忘れ去られたその場所では、霧が常に重く立ち込め、太陽の光さえも水を含んだ綿のように鈍く濁っている。村人たちの目は一様に赤く充血し、まぶたの縁は慢性的な疲労で黒ずんでいた。彼らは生きていたが、それは「目覚めている」というよりは、死の安らぎから無理やり引き剥がされ続けている状態に近かった。
 村の中央には、天を突くような尖塔を持つ「夜糸の館」がそびえ立っている。黒い石で築かれたその館の窓からは、時折、冷え冷えとした青白い光が漏れ出す。村人たちはその光を見るたびに、首筋を這い上がるような悪寒を覚え、懐に忍ばせた「赤い実」を口に放り込んだ。
 その実は、村の周囲に自生する「不眠の木」から採れるもので、噛み潰すと舌が痺れるほど苦く、脳を針で刺すような強烈な刺激を与える。そうして彼らは、数年、あるいは十数年もの間、一度も「深い眠り」につくことなく、この霧の中で生き永らえていた。
 眠ることは、死よりも恐ろしいことだった。ひとたび意識を失い、レム睡眠の深い淵へと沈み込めば、館の主である怪異「夜糸(やいと)」がその者の夢を盗みに来る。盗まれるのはただの幻ではない。その人間の魂の核となる、最も大切な、あるいは最も忌まわしい「記憶」そのものだ。夢を盗まれた者は、二度と目を覚まさない「空っぽの器」になるか、あるいは自分の名前さえ思い出せない廃人となって、霧の中に消えていく。
 そんな絶望の淵にある村で、たった一人だけ、紙に描いた夢を配る少女がいた。