夜の交差点にだけ咲く花 第9話「第8章:真実の片鱗」
「泣いている暇があるなら、これを見ろ。涙で視界を曇らせている間に、彼らはさらに多くのものを奪っていくぞ」 背後から響いた朔の声は、以前よりも鋭く、それでいてどこか励ますような響きを含んでいた。彼は柚葉の肩を強く掴み、彼女をタワーの死角にある古い地下配電室へと引き入れた。 そこは、埃と錆の匂いが充満する狭い空間だった。壁には古い回路図が貼られ、天井からは剥き出しの電線が垂れ下がっている。朔はリュックから小型の高性能端末を取り出し、リライト社の内部サーバーから盗み出したと思われる暗号化された映像データを展開した。 「これは……三年前の事故の記録?」 柚葉は画面を凝視した。映し出されていたのは、あの
「泣いている暇があるなら、これを見ろ。涙で視界を曇らせている間に、彼らはさらに多くのものを奪っていくぞ」
背後から響いた朔の声は、以前よりも鋭く、それでいてどこか励ますような響きを含んでいた。彼は柚葉の肩を強く掴み、彼女をタワーの死角にある古い地下配電室へと引き入れた。
そこは、埃と錆の匂いが充満する狭い空間だった。壁には古い回路図が貼られ、天井からは剥き出しの電線が垂れ下がっている。朔はリュックから小型の高性能端末を取り出し、リライト社の内部サーバーから盗み出したと思われる暗号化された映像データを展開した。
「これは……三年前の事故の記録?」
柚葉は画面を凝視した。映し出されていたのは、あの日、彼女が立ち尽くしていた六角交差点の監視カメラ映像だった。雨の粒がレンズに当たり、視界は少し歪んでいる。
画面の中で、オレンジ色のカーディガンを着た葵が、信号待ちの列から一歩前に出る。彼女は周囲を警戒するように見回し、胸元にある「何か」を強く握りしめていた。
「葵さんが持っているのは、あの『種』だ」
朔が映像を一時停止させ、拡大した。葵の指の間から、微かに青白い光が漏れているのがわかる。
「彼女は、地下遺構で見つけたこの種を、成瀬たちの手に渡さないために持ち出したんだ。そして、柚葉、君と待ち合わせていたこの交差点で、君に託そうとした」
映像が再び動き出す。葵が横断歩道に足を踏み出す。その瞬間、画面の端から大型トラックが猛スピードで現れた。
「待って、このトラック……おかしいわ」
柚葉は息を呑んだ。映像をスロー再生すると、トラックは信号が変わる数秒前から加速しており、ブレーキをかけるどころか、葵の姿を捉えた瞬間にわずかに進路を彼女の方へと修正していた。
「事故じゃない。明確な殺意を持った排除だ」
朔の声は、怒りを押し殺したように低く沈んでいた。
「リライト社は、葵さんがプロジェクトの核心に触れたことを察知していた。彼女が種を持ち出したことを知り、それを回収するために、あるいは種ごと葬り去るために、関連会社の社員に命じてトラックを突っ込ませたんだ」
柚葉の全身を、激しい悪寒が走った。
あの日、自分が目の前で見たのは、単なる不幸な事故ではなかった。巨大な企業の利益を守るための、冷酷な暗殺だったのだ。姉は、この街の記憶と未来を守ろうとして、その若い命を散らしたのだ。
「成瀬は、葵さんが死ぬ直前に『種』をアスファルトの亀裂に投げ入れたことに気づかなかった。彼は、種が葵さんの遺体と共に消えたと思い込んでいたんだ。だが、三年前からこの交差点にだけ特殊な花が咲き始めたことで、彼は確信した。種はまだここにあり、土地の記憶を吸い上げて成長していると」
朔は端末を閉じ、柚葉の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、かつて自分が生み出した技術が悪用されたことへの深い後悔と、それを正そうとする強い意志が宿っていた。
「柚葉、君の姉さんが最期に言おうとしたこと。それは、残された君への別れの言葉なんかじゃない。彼女は、この街の記憶を守るための『意志』と、その鍵となる『種』を、君という未来に託そうとしたんだ。君がここに導かれたのは、偶然じゃない。姉さんの願いが、君を呼んだんだ」
怒りが、氷のような絶望を内側から突き破り、激しい炎となって燃え上がった。
姉は、ただの犠牲者ではない。彼女は戦っていたのだ。そして今、その戦いのバトンは自分に渡された。
「成瀬を……リライト社を許さない。お姉ちゃんの命を、この街の人たちの想いを、あんな奴らの金儲けの道具にさせない!」
柚葉は拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込み、そこから伝わる痛みが、彼女の決意をさらに強固なものにした。
「なら、行くぞ。タワーの最上階、成瀬のいる中央制御室へ。奪われた蕾を取り戻し、システムの暴走を止める。それには、君の力が必要だ」
「私の……力?」
「ああ。葵さんの記憶と共鳴できるのは、血を分けた妹である君だけだ。君の想いが、あの蕾を正しく咲かせる唯一の触媒になるんだ」
柚葉は深く頷いた。配電室の外では、依然としてリライト・タワーが不気味な光を放ち、街の記憶を吸い上げ続けていた。しかし、今の柚葉の心には、もう迷いはなかった。彼女の中に眠っていた「九条柚葉」という一人の女性の意志が、暗闇を照らす花のように、力強く芽吹いていた。