宇宙港の荷役士 第8話「第7章」
倉庫群の裏手にある、誰も使わなくなった古い積載ライン。月明かりに銀色の梁が浮かび、錆びついた滑車が静かに唸っている。ソウマが懐中電灯を低く掲げ、古い配線を辿りながら唇の端で呟く。
倉庫群の裏手にある、誰も使わなくなった古い積載ライン。月明かりに銀色の梁が浮かび、錆びついた滑車が静かに唸っている。ソウマが懐中電灯を低く掲げ、古い配線を辿りながら唇の端で呟く。
「ここならセンサーネットの盲点が一箇所は残ってるはずだ。帆綴が最新のカバリングを施してる場所からは外れてる」
カゼトは端末を膝に置き、秤眼のログ断片を表示する。数値の波形が暗闇に青く反射し、彼の指先がスクロールするたびに波が跳ねた。
「秤眼は統計モデルに依存してる。大量データの正規分布を想定して、外れ値を速やかに「危険物」として隔離する。だがあのアルゴリズムは、特定の周期ノイズに弱い。人為的に非線形のノイズを注入すれば、誤判定を誘発して分類をぼやかせる」
ミナは背中の医療バッグを調整しながら、低い声で付け加えた。
「衛生面のリスクがある。誤検出で避難民が露呈することもある。テストは短時間。密閉環境は避ける。感知した生体の二次刺激を抑える措置を取るわ」
ユナは赤い三角の刻印が擦り切れた貨物タグを掌に置いた。紙は埃を吸ってひんやりしており、三角の角が微かに曲がっている。彼女はそれを眺め、無言で息を吐いた。赤い印は序章で出会ったものと同じ。帆綴の旧管制の痕跡だという示唆はここまで来て具体味を帯びていた。
「タグのパターンを信号的に再現するんだ。物理的な接触で得られるスペクトルを、古い積載ラインの駆動振動に乗せる。ソウマ、あの古い振動発生器を使えるか?」
ソウマは工具箱を開け、朽ちかけた振動モータを取り出す。側面に古い配線の跡があって、彼の手つきは馴染み深いものだった。
「使える。だが無理はきかねえ。動かすにはバイパス回路を組んでやる。端末につながる出力を微調整できれば、所定の周波数帯にノイズを作れるはずだ」
カゼトが端末をユナに差し出す。画面には、赤いタグを触れた時に示された微小な振幅図が再現されている。彼は説明を続ける。
「このパターンを模してラインを駆動する。狙うのは秤眼の低周波帯だ。理論上、局所的な判定の閾値を揺らせる。成功すれば秤眼はその区画を「不確定」と分類する──目を逸らさせる時間が稼げる」
計画は簡明だったが、実行には危険が伴う。ユナは能力の条件を頭の中で反芻する。直接接触が必要で、精密な判別には数秒から数十秒。金属は伝導媒体となり、感知はしばしば身体に波を送る。代償は短時間の失神や記憶欠落、それに頻発すれば永続的な神経損傷を招く。さらに、感知による共鳴は対象とユナの位置を結びつけ、追跡者に利用される危険がある。
「短時間で終える。三十秒以内を目標にする」ミナが言った。「その間、私が生体の反応を監視する。共鳴が広がればすぐに中止を命じる。ユナ、あなたは最小限でいい。触れる時間を守って」
彼女の言葉は医師の決然さを帯びていた。ユナはうなずく。仲間が自分の代償と共鳴のリスクを理解し、カバーする手を打つことを確認していたからこそここにいるのだ。
ソウマが振動モータにケーブルを繋ぐ。古いトランスを介した電流が低い嗚咽のように装置を震わせ、梁に伝わる金属音が夜風に溶けてゆく。カゼトは無線で外部への散布音を監視させ、秤眼のセンサーノードから返ってくるビートレスポンスのログをリアルタイムで受け取った。
「行くよ」カゼトが言う。端末の波形が一気に跳ね上がる。赤いタグのパターンが駆動された振動に載り、古い滑車がぎしりと音を立てた。
ユナは段ボール箱の列に歩み寄り、空のパレットの端に掌をあてた。金属の冷たさが皮膚を刺し、触れた瞬間、掌の底に何かが広がる。重さの感覚ではなく、密度の「うねり」。貨物の重心が微かに非対称に揺れているのがわかる。だがそれは同時に、普段の感覚とは違う帯域で鳴っていた。低周波の振動が掌から上肢へと伝わり、胸の奥を振るわせる。
「一、二、三、十」ミナの声が冷静に数を数える。カゼトの端末は秤眼の局所スコアを表示し、波形は赤から橙へと色を変えた。ノイズは効いている。目論見通り、秤眼はその区画の確度を下げ、判断を保留し始めた──だが同時にユナの内部に波が走る。
触感は情報の洪水になり、重心の偏りだけでなく、内部の温度差、呼吸の断続、被服の位置、心拍に伴う微かな振幅までもが掌に重なった。情報は鋭利で、引き剥がすことができない。ユナの視界の端で、子守唄の断片が夢のように浮かぶ。音節は短く、しかし切実だ。幼い声の反復。彼女はそれを意識から追い払おうとしたが、掌の中の感覚は止まらない。
「ユナ、中止の合図は俺だ。耐えられないならすぐに離せ」ソウマが低く言う。だがユナはまだ何かを掴もうとしている──秤眼の反応パターンを見極めるために、もっと深い接触が必要だったからだ。
「まだ、あと五秒」ユナは絞り出すように言った。腕の筋肉が硬直し、掌の奥で痙攣の予兆が走る。カゼトの端末が異常なピークを刻む。波形は不規則に乱れ、秤眼の応答ログには「不確定→再評価待ち」の連続表示が打ち出された。目標の挙動は確認できた。
しかし代償は直ちに形を取る。掌を伝った波が脳裏に跳ね返り、視界の周辺が一瞬白っぽく滲む。記憶の端に朧な機械装置の風景が閃いた――だがそれは一瞥で消え、代わりに身体の一部が痺れ始める感覚だけが残った。ミナの手がユナの肩を掴んで支え、低く命じる。
「離して。今」
ユナは息を吐いて掌を放した。振動が止むと同時に、掌の痙攣は鋭く襲ってきた。指先が痙り、細かな震えが手首まで波及する。膝の裏が緩み、彼女はしゃがみ込むほどのめまいを覚えた。目の中で数秒、黒い粒子が舞い、短い欠落が訪れた。ミナは即座に救急用の冷却パックを掌に当て、止血のように落ち着かせる。
「大丈夫か?」ソウマが近づく。彼の顔には父親のような心配が刻まれている。
ユナはその問いに短くうなずいた。喉の奥で言葉が詰まり、前史の断片が明滅する。だが彼女は動けた。感覚はふらついているが、確認したデータは揺るがない。カゼトの端末に表示されたログは、秤眼の挙動を明確に示していた。通常時には規定の閾値を下回らない区画で、確度の低下が観測されたのだ。干渉は成功した。
だが成功の余韻は短い。遠隔で監視を続けていたカゼトが顔を曇らせ、無線を耳に当てた。
「封鎖の動きが早い。航務評議だ、監視を強化してる。帆綴もすぐにバックアップのセンサーノードを配備するだろう。時間が短い、次を急げるか?」
ユナは掌を見た。冷たい汗に混じって、赤いタグの紙がまだ手のひらに残っている。彼女が触れたことで生じた共鳴が、どこかの外部ノードに位置付けられているかもしれない。追跡される危険は現実味を帯びている。
「次に行く。だが今回はもっと巧妙にやる」カゼトが言った。「今回のログで判ったことがある。秤眼は局所的なノイズに脆いが、長時間の雑音は逆に検出閾を硬化させる。つまり、短く濃く、点で揺らす。ユナは接触時間を更に短縮する。ミナ、ジャミングの衛生的な留意を続けてくれ。ソウマ、次の出力はもっと分散させる」
ソウマは頷き、工具箱から別の部品を取り出した。作業は慌ただしくなり、各々が半ば無言で役割をこなす。倉庫の影では若手作業員の一人が遠くからこちらを見つめ、拳を固