深海郵便の潜水士

深海郵便の潜水士 第15話「第13章」

朝の光は海の色に吸われ、事務室の窓から差すそれは淡い藍に溶けていた。灯良の掌の上で、未開封の封書は冷たく、しかしどこか温度を持っているように感じられた。澪方は端末の前で符号の並びを指でなぞり、碧は工具箱を机の上に広げ、三人は各々の役割に戻っていた。外から聞こえるのは、港のざわめきと遠くで打ち合わされる金属音、そしてときどき、まるで遠い教会の鐘のような短い音節──鈴音が混じるだけだった。

朝の光は海の色に吸われ、事務室の窓から差すそれは淡い藍に溶けていた。灯良の掌の上で、未開封の封書は冷たく、しかしどこか温度を持っているように感じられた。澪方は端末の前で符号の並びを指でなぞり、碧は工具箱を机の上に広げ、三人は各々の役割に戻っていた。外から聞こえるのは、港のざわめきと遠くで打ち合わされる金属音、そしてときどき、まるで遠い教会の鐘のような短い音節──鈴音が混じるだけだった。

「これを基点にして、追跡を開始する」と澪方は言った。画面には、昨日事務室の受信機が拾った座標の断片と、封蝋外側に刻まれた記号の拡大図が並んでいる。拡大された曲線は見慣れないものではなかった。澪方が吐き出した語は、事務室の空気を引き締めた。「この符号──哨兵章の断片と一致する部分がある。古い哨兵ネットワークのマーキングだ。場所は──深層側だが、通常の航路にはない。旧哨兵が使っていた隠密ルートの一つに繋がる」

灯良は封書を抱き締めたまま、机に肘をついた。掌の肉球に沿って、封蝋外の小さな印が冷たく圧されたままだった。あの微かな振動、鈴音のような短い断続がまだ指先に残っている。欲しい問いが胸の奥でざわめく。封を破りたいという欲求は、日常的な好奇心というよりも、故人に触れることへの切実そのものだった。しかし灯良は、颯が自分で出した手紙を泡読で解読できないという職務上・法的な枠組みを思い出す。もし封を破れば、それはたちまち私的な暴露になり、颯の意思を侵すことになる。

「灯良、触るな」と澪方が言った。言葉に色はなかったが、深い警告が含まれていた。「その封蝋は特異な反応を示している。外側の印が信号になっている可能性がある。物理的に触ることで何かが起きるかもしれない。私たちが知るべきなのは内容ではなく、誰がその符号を使っているかだ。そこを突く。中身は──颯が残した最後の選択を尊重するために、今は守る」

灯良の指先は一度封蝋の縁を撫で、すぐに引っ込められた。胸の奥が燃えるような痛みを伴い、彼女はそれを押し殺した。代わりに灯良は外套のポケットから小さな紙片を取り出した。それには、事務室受信機が拾った座標の断片と、旧哨兵が先刻伝えた巡回船の記録、そして澪方が解析した符号の幾つかが鉛筆で書き連ねられていた。

その時、扉が開き、濡れた外套を振るう男が入ってきた。彼は朝の冷気を引き裂くように、短く荒い息をついたまま事務室の中央に立った。顔には年輪のような皺と、古戦場のように刻まれた小さな傷が幾つも走っている。旧哨兵だとすぐわかった。名は尾形肇。浅層での再封装の動きと闇市の活性化を伝えに来た人物だ。

「来てくれたな」と澪方が立ち上がる。尾形の目が冷たく光った。「情報を交換してくれ。私たちだけでは深層の封蝋の出どころには辿り着けない」

尾形は湿った掌を軽く振って、事務室のテーブルに一枚の古い地図を置いた。紙は黄ばんでおり、縁は海水でむしばまれていた。紙の上には、消えかけたインクで海底地形と、点線で示された小さな回廊が描かれている。澪方の指がその回廊を辿ると、小さな刻印が一つ、鮮やかに浮かび上がったように見えた──それは哨兵章の小さな刻みだった。

「これが、君たちが追うべきルートだ」尾形は言った。「『静海窟』の古い出入り口に繋がる迂回航路の一部だ。この地図の通りに進めば管理局の通常監視網の目を逃せる。だが報酬がいる。君たちの持っている情報、特に颯の残した泡断片の解析結果を、まず俺に渡してくれ。代わりに、俺の仲間の一隻で護衛を付ける」

澪方は一瞬息を詰め、それからゆっくりと頭を振った。「それは交換条件にはならない。情報の一部共有は構わないが、颯の泡録を直接渡すことはできない。泡録は──物理的な媒体であっても、再生には心理的影響を伴う。碧も知っているだろう。既に試験再生で軽度の泡酔に近い症状を起こした」

碧は工具を置いて肩越しに振り向いた。彼女の顔は青白く、昨夜の試験の後遺症がまだ残っている。「短時間なら解析はできるが、繰り返し聞かせるわけにはいかない。泡尺の消耗が増えるだけじゃない。映像と感情の結合が強ければ、視聴者が一時的に己の境界を失うことだってある。君らの護衛はありがたいが、颯の記録は公共の監視下で扱うべきだ」

尾形は唇を噛んだ。彼の手の動きに、古い癖が見える──命令系統で育った者のそれだ。「わかっている。だが事情は差し迫っている。保守派は再封装の動きを早めている。闇市は動員をかけている。もし静海窟で封蝋の出所に辿り着ければ、俺は保守派の手がすぐに塞ぎに来る前に君たちをそこへ連れていける。俺は保障する、情報の扱いには手を出さない。が──信用は金や糧で買えるほどに簡単ではない」

灯良が声を潜めた。「尾形さん、もし私たちがそのルートに行くとして、私があの封書を持っていってもいいの? 外側の印が反応するのなら、現地で何かが起きる可能性がある。――でも、もしあれが灯良の家の印と関係するなら、私は自分の足で確かめたい」

澪方が即座に首を振った。「駄目だ。あなたが直接封蝋に触れることは許されない。封蝋の物理接触は泡読の唯一の起動条件だ。しかも未開封であることが条件だ。封を他人の手で開けるわけにはいかない。たとえ現地で『何かを確かめたい』と願っても、それは違法に手を触れることになる」

灯良は黙った。掌をぎゅっと固め、封書の縁に刻まれた小さな印を押し返すようにしていた。胸の内の波が収まらない。しかし彼女は澪方の言葉を受け入れた。職務と個人的欲求の間に線を引くのは、自らがここにいる理由でもある。颯の意思を尊重すること、それが彼女にとっての最初の誓いだった。

尾形は地図を指先で押さえながら、低く言った。「ならば提案だ。俺は君たちを護衛する代わりに、現地での接触相手を用意する。古い哨兵の生き残りだ。彼らは静海窟周辺に残党のネットワークを持っている。管理局の監視を掻い潜るための鍵を持っている。だが彼らも、君たちが颯の記録に手を付けないことを条件とするだろう。哨兵には哨兵の掟がある」

澪方は尾形の顔をじっと見つめた。やがて端末を閉じ、ゆっくりと息を吐く。「わかった。だが一つ条件がある。現地で得た情報は全て局のデータベースにバックアップを取ること。それは公開するかどうかとは別。保存するだけだ。私たちは情報を隠蔽するために旅をするのではない。真相に近づくために、安全に記録を残すのだ」

尾形は歯を見せて短く笑った。「それなら納得だ。俺もあの封蝋をただ壊したりはしない。哨兵の流儀に従う。だが注意しろ。静海窟の付近には、かつて封蝋の制作と管理を行った古い埋蔵庫がある。そこには──封蝋そのものを結合していた機械の残骸が眠っている。機械はまだ、かすかに歌を奏でる。鈴のような高い音を出す。君たちが聞いたのは、その音と同類のものだ」

灯良の指先がまた少し震えた。澪方は眼鏡の縁を押し上げるように目を細めた。「鈴音が機械音と一致するのか。もしそうなら、それは封蝋の外側の符号が単なるマーキングでなく、能動的な信号である証拠だ。誰かが封蝋を外から起動することを想定していた。――封蝋を読む者の意志とは別のところで、誰かが封蝋に吹き込んだ命令がある」