異世界転生星図師の皇帝

異世界転生星図師の皇帝 第4話「第3章」

夜が砂を溶かすように冷えた。レンは焚き火の端に腰を下ろし、薬袋から取り出した小さなガラス瓶を指先で回した。瓶の中には、星砂がぎっしりと詰まっていて、細い火の光が揺れるたびに微かな銀色の斑点を跳ねさせた。今、レンがしたいのは――あの一族を安全に帰すための「道」を作ることだ。夜明けまでに通れる戻り路を確かなものにして、移動星門に触れずに砂丘を迂回させる。仲間たちが帰って来られるかを確かめること。それがささやかな、だが喫緊の願いだった。

夜が砂を溶かすように冷えた。レンは焚き火の端に腰を下ろし、薬袋から取り出した小さなガラス瓶を指先で回した。瓶の中には、星砂がぎっしりと詰まっていて、細い火の光が揺れるたびに微かな銀色の斑点を跳ねさせた。今、レンがしたいのは――あの一族を安全に帰すための「道」を作ることだ。夜明けまでに通れる戻り路を確かなものにして、移動星門に触れずに砂丘を迂回させる。仲間たちが帰って来られるかを確かめること。それがささやかな、だが喫緊の願いだった。

「レンさん、準備はできてるか?」アミナが焚き火の背後から声をかける。彼女は小柄だが毅然としていて、今夜隊を導く責任者だ。地図を持ち、荷を整理しながらも目は常に空を追っている。誰よりも現実的に、誰よりも臆病にこの砂漠と向き合う女だ。

「できている。だが、歩かないと始まらない」レンは瓶を握り直した。星図に刻むためには、彼らが本当に夜道を踏むことが必要だ。彼の掌にあるのはただの砂ではない。誰かが夜に実際に足を運んだ跡だけが、彼の星図に安全な帰路として定着する。レンはそれを何度も説明してきた。だが説明と行為は違う。説明は人を納得させるが、足は人を動かす。そして足は、夜にしか真価を発揮しない。

「私たち、分かってるわ。だが、もし夜道が失敗したら?」カーデが焚き火の反対側から低く問いかける。大柄な鍛冶屋である彼は、道具と人の安全に関しては誰よりも不安を隠さない。彼の横にはハルンがいた。まだ十代にも見える少年で、今夜が初めての長い夜行だ。彼は不安げに足先を擦り合わせ、目だけがレンに向けられている。

一族の長老、ウラはその輪から少し離れていた。顔に刻まれた皺は乾いた大地のひび割れのようで、彼女の手には一本の短い枝があった。ウラの目には決意と恐れが同居している。彼女は自分たちの持ち物、羊、伝承を守りたい。そのためならば、名を記し、領土を定める「囲い」も受け入れるべきだと考えているようだった。

「囲いがないと、若者は安心して眠れないのだよ」とウラがぽつりと言った。月明かりの下で木の枝が砂を引く音がした。彼女は立ち上がり、無造作に砂に線を描き始める。その指の動きには儀礼の名残があり、古くからの習俗を思わせる。

レンは咄嗟に立ち上がった。「ウラ、待ってくれ。囲いは――」

「囲いは必要だ」彼女はレンの言葉を遮った。「皇帝の使節が来る前に、私たちの居場所を示さねば。これ以上、移動星門に右往左往させられるのは御免だ。あなたにはあの星図の力がある。私たちの土地を守ってくれ。」

レンは口ごもった。彼はこれまでに、囲いを勝手に引けば星が消えること、そしてその代償が彼自身の故郷の記憶に齎す影響について説明してきた。だが言葉は砂に流れる。ウラの指先は止まらない。彼女が描いたのは小さな円だった。井戸のまわりを示すように、愛着と恐れが同時に描かれていく。

「ウラ、その線は誰の土地を囲うんだ?」アミナが鋭く尋ねる。彼女は枝を取って描かれた線の上に足を置いた。ウラは口をぎゅっと結び、肩越しにハルンを見た。彼の目は潤んでいて、理解と恐怖が混ざり合っている。

「これは私たちの生活を守る線だ」ウラは言い、枝で円を強く補強した。声は震えていたが、それでもそこには揺るぎないものがあった。

レンの手は小刻みに震えた。頭の中で、過去の記憶の片鱗がざわつく。母の野菜を煮る匂い、故郷の夜祭りの太鼓の音、幼い自分が空に向かって指を差したあの瞬間。いずれも曖昧になってきているのを、レンはいつも恐れていた。囲いの話を出すたびに、それは痛みになって体の中に広がる。だが今回は違った。ウラの指先が砂を切った瞬間、何かが光を失うように星がひとつ、彼の胸の中で消えた。

「やめて!」レンの声が大声になった。だがウラは既に線を引き終えていた。枝を砂から離すと、周囲の星砂が静かに漂い、薄く散った。星々が、何かに吸い込まれるように色を失った。

一瞬のうちに空を覆っていた冷気が、レンの脳裏に当たり、苛烈な焦りと空虚を齎した。故郷の記憶の断片が砂のように崩れ落ちるのを感じた。母の名前を思い出そうとしても、そこにあるのは輪郭だけで、声も顔もすり抜けていく。忘却の波が押し寄せ、彼の胸を押し潰した。

「な、何が……」ハルンがかすれた声で呟いた。彼はウラの足元の砂に展開し始めた星図の小さな欠落を見下ろしている。ウラの描いた円の内側に、星の煌めきが薄れて、まるで漆黒の斑点が空に浮かんだようになっていた。

ウラはその変化に気づき、息を飲んだ。「星が……消えたのか?」

アミナがレンの肩に手を置いた。「レン、どういうことだ。お前が出来るのか?」

レンは唇を震わせながらも首を振った。「囲いは――誰かの土地を勝手に線で囲うことは、星を消す。私はそれをしてはいけない。――だが、あなたがしたことで、星が消えた。規則は私が使う時だけのものではない。誰が線を引こうと、結果は同じなんだ」

火の光に照らされたウラの顔が、途端に小さくなった。彼女の両手は無言で胸に寄せられ、足先の砂をぎゅっと握っていた。「ごめん……ただ、怖かっただけなの」

「怖さは分かる」レンはそれでも冷静に言った。「だが囲いは痛みを生む。星の消える範囲は小さいかもしれない。だが、それは確かに『どこか』を奪う。――そしてその代償は、僕の中の何かを少しずつ削るんだ。僕はその痛みを許容することはできても、それを他人に与えるわけにはいかない」

しかし言葉だけでは済まなかった。ウラの円が描かれた途端、レンの胸の奥で、彼が幼かった家の屋根の匂いが薄れていった。はっきりと覚えていたはずの屋根瓦のざらりとした感触、父の苦笑、母の肩越しに見た星の位置。いくつものイメージが淡くなり、やがて視界の端のように消え去ってしまった。レンは手でそれを掴もうとしたが、指の間には何も残らなかった。

「レン?」アミナが訝しげに呼んだ。その声に集約されたのは、責任を共有したいという強い意志だった。彼女はウラから目を逸らし、レンの顔をじっと見つめる。「私たちが囲いを……勝手に引いたのは、あなたを守るためじゃない。私たちは自分たちを守る。レン、あなたが消耗するのを私は見ていられない。もしその代償があなたの記憶なら、私たちで肩代わりする道を探そう」

レンは火の前で体を丸めると、やっとのことで声を絞り出した。「代償は肩代わりできない。消えた星は誰かの意思で戻らない。僕が失ったものは、僕にしか知覚できない。その痛みは、忘却を通じて僕の中で変わる。だがこれだけは言える――囲いを引くことで得られる一瞬の安心は、取り返しのつかない損失を伴う。僕は、それを選べない」

ウラは膝をつき、砂に手をついた。「それでも、どうすれば……我らは夜になると生きたまま星門に囚われる。安全を示すものがいるなら人は従う。『囲い』は人が安心して身を寄せる礎になるのだよ」

「囲いは人を分断することもある」カーデの声が冷たく響いた。「囲いを描けば、その内外の差異がはっきりする。税も支配も生まれる。君はそれで眠れるかもしれないが、他者を締め出す線でもある」

それでもウラは自分を責めているようだった。小さな手で顔を覆い、時折嗚咽を漏らした。レンは火に向き