異世界転生石鹸工の王宮侍女 第15話「第13章」
洗濯場の蒸気が、いつものように低く重く垂れていた。マコトは包帯を巻いた左手を脇に抱え、もう片方の指先で濡れた布の縁を掴んだ。布は薄く、何度も擦られてやわらかくなっている。子どもたちが持ち帰る小さな服や、鉱山から上がってきた労働者の袖。今日もこれらを一枚ずつ検めて、可能なものはきれいにして返す。――しかし、今したいのは洗濯の手を休めて、王宮の倉にある古いものを確かめることだった。王冠。洗えないと宣う「伝承」について、資料に当たりたい。
洗濯場の蒸気が、いつものように低く重く垂れていた。マコトは包帯を巻いた左手を脇に抱え、もう片方の指先で濡れた布の縁を掴んだ。布は薄く、何度も擦られてやわらかくなっている。子どもたちが持ち帰る小さな服や、鉱山から上がってきた労働者の袖。今日もこれらを一枚ずつ検めて、可能なものはきれいにして返す。――しかし、今したいのは洗濯の手を休めて、王宮の倉にある古いものを確かめることだった。王冠。洗えないと宣う「伝承」について、資料に当たりたい。
「マコトさん、今日は手早くお願いできる? 子どもたちの着替えが溜まってて」後ろから、年少の侍女エミリが声をかける。彼女の言い方に気遣いが混じっているのがわかる。噂は広がっている。マコトの焼けた手はもう包帯で覆われているが、包帯越しにも鱗のような痕が見える。彼女たちはそれを恐れというより、慎重さの印として扱っていた。エミリは自分の仕事を続けることを選んだ。守る対象はここにいる――服を失う子どもたち、手を洗えずに咳き込む鉱山の子らだ。マコトはそのことを思うと、手元の仕事が終わるその瞬間まで、王冠のことを忘れられなかった。
「明日の朝に、少し時間を」マコトは約束の言葉を投げるが、声には重さがある。「王冠の由来を図書室で当たらせて。最近、侍医が『洗えない王冠』を持ち出して、鉱山の病は神罰だと言い募るらしい。そんなもの、見過ごせない」
「侍医の言うことはいつも重い。王に近い言葉だもの」エミリは俯いたまま答える。彼女の目が一瞬、洗濯場の入口の方へ向く。そこには昔からの常連で、鉱夫の奥さんが布を抱えて待っている。彼女たちは自分の暮らしのために選択を迫られている。マコトはその顔を思い浮かべると、決意が固まる。王冠を調べれば、侍医の言い分の根拠か、あるいは虚構の痕跡が出るはずだ。
夕暮れ、洗濯場の雑音が少しずつ静まり、鋪石の廊下に蜉蝣のような城郭ランプの光が落ちるころ、マコトは小さな荷物を抱えていた。包帯の下の左手は冷たく、寝不足と消毒の匂いが混ざっていた。彼女の肩には、町の子どもたちが描いた小さな紙片が入った巾着がぶら下がっている。子どもたちは「手を洗わずとも生きてよい」という言葉で閉じ込められているわけではない。教えれば、考える力を身につける。マコトはその確信を持っているからこそ、王冠という象徴の根拠を確かめたかった。
図書室に通じる通路は、要所要所に守衛が詰めている。昼間は出入りも多く目立つが、夜は記録係が篭るだけの静けさだ。彼らが夜の帳の中で用心深く歩みを進めると、旧い図書室の扉の前で一人の男と出会った。レンは王宮の下級書記で、洗濯場に来ては記録の帳を持ち帰っては目を通す男だ。彼はマコトを見ると、硬い顔を崩さずに低く呼吸を吐いた。
「こっちに来るなら、灯りに気をつけて。記録には監視の印がある」レンの言葉には、秘密を守る緊張がある。彼もまた選んだ。自分の仕事の正しさと、家族の食卓のために。この図書室を動かすかどうかは彼自身の選択だ。だが同時に、彼はマコトを信じている。洗濯場で彼女が行ってきた診断の光景を何度も見ているからだ。
「印はどう防げばいい?」マコトはレンの肩越しに扉を見つめる。鎖のかかった金具が陽光を反射している。図書館は表向きは王の学問の場だが、実際には王室の恣意を守るための記録の倉庫でもある。侍医の言説がどこから来るのか、そこに手がかりがあるはずだ。
「触れるだけで記憶に圧をかける。訴えが来れば、文言が薄れていく」とレンは低く伝える。「触れた痕跡は残るが、意図的に『消す』こともできる。大事なのは、原本に近い断片を見つけることだ。昼間、保管係が目を離す隙に何か持ち出せるかもしれない」
レンの言葉を終える前に、廊下の向こうで女官長の足音が近づいた。足音は固く、急ぐ。女官長の表情は堅く、後ろ手に抱えた巻物が視界に映る。噂はすでに王宮の中でさざ波を立てていた。侍医が「洗えない王冠」の伝承を引き合いに出して王権の神聖さを声高に説いたと、彼女は早晩聞いたのかもしれない。
「やめておきなさい」女官長はレンを一瞥し、平静な声で言った。「王宮の記録は慎重に扱うべきだ。無用に掘り返せば、余計な火種になる」
「火種なら、すでに燃えている」とマコトは返した。言葉は静かだったが、振るう力を持っていた。女官長の瞳がわずかに揺れる。守る対象――鉱山町の子どもたち。それを守るために、彼女は火種を小さくせず、正すべきだと感じている。女官長はしばらく黙り込み、最後に小さく吐いた。
「ならば、誰も傷つけずにやれ。必要なら、私も手伝うわけにはいかぬが、監視の目を逸らす工夫はしておく」彼女は去っていった。協力するわけではない。ただ、余計な追及を受けないようにするという最低限の配慮だ。マコトはそれを受け入れた。女官長の手は冷たく、王室の義務というものに囚われていると感じさせた。だが、女官長もまた選ばれた人間だ。彼女の選択はマコトたちの行動を狭め、同時に道を開いてもいる。
深夜、図書室の重い扉を開ければ、埃と羊皮紙の匂いが鼻を刺した。こまやかな写本、封緘された木箱、古い摺り物が整然と並ぶ。烏帽子を被った守庫人は、レンの合図で一瞬視線を棚に滑らせただけで、また自分の小さな机に戻って行った。さあ、とレンが示す。細い道筋を伝って奥の棚へ歩む。
「この辺りに古王の儀礼、そして王冠にまつわる巻物があるはずだ」とレンは囁く。だが、棚の前に立つと、手がかりはどれも口を噤んでいる。本は古びていて、頁が欠けている。封が固く、王室の印が深々と押されている。マコトは背中に冷たい汗を感じた。ここで何かを抜き出すことは、昼間の喧騒の中での突発行動と違い、重い代償を招くかもしれない。
レンが小さなナイフで封緘の紐をそっと切る。紙は乾いていて、触れれば砕けそうだ。彼らは光を抑え、声を潜め、ページを繰る。――そして、見つけた。端に寄せられた小さな書簡。行間は窮屈で、誰かが言葉を詰めて押し込んだように見える。表紙には「王冠保全」と赤い小印。文面は短く、しかし意図は明確だった。
「鉱山排水の沈殿は王都の衛生に算出されるが、その見え方は民に差し障る。王冠は汚染と直に接触してはならないという規定とする。公に汚染を示すべからず」読むレンの指先が震える。マコトは文字を辿りながら、言葉の端にある空白を感じ取った。これは伝承の言い訳というより、作られた指示だった。王冠が「洗えない」というのは、王の神聖さを守るための口実ではなく、むしろ痕跡を消すための方策だった。
胸の中に熱いものが湧いた。王冠そのものが洗うことを禁止されたという事実は、まるで誰かが汚れた道具を隠すためにわざと「神聖なる汚れ」を仕立て上げたようだ。汚れを隠すための伝承――その矛先は、衛生の促進を阻む装置そのものだ。マコトは指で紙を閉じた。ページの隙間から匂うインクの味が、記録の確かさを示していた。
ふと、紙の端に小さな付箋のような断片が挟まっているのを見つけた。断片には数字と地名、そして「濾過不可能」「木樋閉塞」といった工事用語のような言葉が並んでいる。れんの声は低くなる。
「これは、鉱山排水の処理に関する報告……。ここに書かれているのは、排水を王