異世界転生城壁番の聖騎士 第25話「第23章」
夜風は冷たく、北門の石垣を撫でていった。トウマは胸元で布を握りしめながら、暗がりに並ぶ顔々を見渡した。松明の光が揺れて、疲れた目や薄い笑み、硬い覚悟を一瞬だけあぶり出す。彼が今したいことは、明日の朝に来るであろう衝突を自分一人の力で背負い込むのをやめ、ここにいる一人ひとりが同じ責任を分けあえるようにすることだった。
夜風は冷たく、北門の石垣を撫でていった。トウマは胸元で布を握りしめながら、暗がりに並ぶ顔々を見渡した。松明の光が揺れて、疲れた目や薄い笑み、硬い覚悟を一瞬だけあぶり出す。彼が今したいことは、明日の朝に来るであろう衝突を自分一人の力で背負い込むのをやめ、ここにいる一人ひとりが同じ責任を分けあえるようにすることだった。
「まず、位置を決める。三人一組で巡回ラインを作る。松本、あんたは東区画の角。昼間通れた坂下をもう一度点検してくれ。エマ、子どもたちの手を離さないように。見張り台では声を小さく保て、だが合図ははっきりと――」
トウマが指差すと、年長の職人松本がうなずき、エマは小さな子を抱き寄せてさらに布を巻いた。守る対象が誰なのかは言葉にしなくともわかった。避難してきた人々、近所の職人、夜にテントで震える者たち――彼らがトウマの守るべき人々だった。妨げは二つある。ひとつは北門そのもののもろさ。補修しても修繕資材は足りず、壁にはまだ新しいひびが走っている。もうひとつは城門司令からの圧力だ。明日の朝には小門を完全封鎖すると通達が来るという噂が、ここにも届いていた。
「トウマさん、で——どうやって私たちみんなに『足場』を回せるんですか? あなたがいつも壁を見回してるところだけ、って規則があるんでしょう?」若い見張りのリョウが、低い声で訊いた。松明の影が彼の顔に走った。声の端には不安が含まれていた。選別をしたくない。でも一人で全員をカバーできるほど彼は強くない。
トウマは息を吐いた。答えるとき、彼はまず自分が抱える制約をまた口にしたくなかった。だが隠しても仕方ない。教えるためには現実を見せる必要がある。
「そうだ。俺が見回った壁だけだ。だが、見回すのは一人でなくてもいい。俺が今夜、壁を歩く。そばにいる者はその『見回し』に含まれる。だから皆で一緒に歩く。歩き方を合わせて、危険を同時に感じられる形にするんだ。選ぶんじゃなく、同時に危険を共有する」
彼は自分の手を空にかざしてみせる。肌はまだ傷跡だらけで、石塀の冷たさが手をかじかませる。見張りたちの顔がぴくりと動いた。共有する、という言葉は抽象だが、今夜の説明はそれを具体化することが目的だった。
「デモをする。二人、立ってくれ」トウマはエマとリョウを指名した。「向こうに小さな落差を作った。君たちはそこを渡る。危険を感じたとき、俺の石が出る。条件を見せるために、俺は片方だけに出してみる。だが……」彼は言葉を切った。「選ぶとどうなるかを見せる。全員で共有するために。」
松明の光の下、職人たちは近くの破片を並べて小さな段差を作った。訓練と称した簡易の障害だ。誰も本気で怪我をするつもりはない。だがトウマがその石の上に立つと、皆はなぜか緊張の息をつめた。彼が能力を発動するには今日その壁を見回したこと、自分が危険を感じる対象がその場にいることが必要だ。今夜はその条件が揃っている。
「いくぞ」トウマが声を出すと、エマが先に進み、段差の手前で止まった。リョウは反対側に立つ。二人は互いに目を合わせた。彼が危険を「選ぶ」――その所作自体はささいなものだが、それが引き起こすものは軽くなかった。
トウマは目を閉じ、小さな不安を拾った。エマの脇にある荷物の音、足の止まり方、心拍の跳ね。危険を感じる。彼の能力が反応する。目を開けると、エマの足元に薄い灰色の石がほんの数枚、静かに生まれた。エマは一瞬驚いてから安堵の笑みを浮かべる。
だが次の瞬間、壁の内側から低い断続音がした。石塀の目地が微かに鳴り、松明の光が揺れた。トウマの身体は針のような痛みに襲われた。冷たさとは違う、生き物のように石が癒着を断つ痛みだ。膝の裏から脊椎にかけて、石の奥のほうが彼の感覚を突き抜ける。彼の体は反射的に前のめりになり、手で石の縁を掴んだ。
「なっ……!?」松本が声を上げる。周囲がざわつくなか、トウマはぎりぎりの力で立っていた。
「これだ。選んだんだ、俺は」トウマは荒い息をしながら言った。声が震える。彼の手の平に小さな血が滲む。壁の内側がほんの数センチ、落ち込んだ。外から見ればわからぬほどだが、内部では石がかみ合っていた場所が剥がれ、空洞が出来始めている。
「選ぶことは、壁を内側から崩すんだ。俺がその痛みを受ける。これをして得られるのは、一人分の救いだけかもしれないが、同時に失うものはもっと大きい。誰を通すかを決めることは、壁そのものの生命を傷つけることになる」トウマは声を低くした。松明の灯に映る彼の顔が、いつになく年をとって見えた。
その姿を見て、誰かが息をのみ、誰かが顔を伏せた。選別の誘惑は、ただ理屈だけでは抗えない心理を伴う。だが目の前の痛みはそれを押し戻した。トウマの目的はここで決定的になった。彼は自分の力を使って一時的な救いを与えるが、それを特定の相手にだけ与えるというやり方は、長い目で見ると共同体を滅ぼす。
「だから共有するんだ」トウマが続ける。「俺一人が、誰かを選ぶんじゃない。俺が見回すときは、そこにいる全員が『危険を感じる』状態でいる。そうすれば、石はみんなの足元に、同時に出る。選ぶことではなく、共有すること。ほかにも補助策は必要だ。補強する、ロープで連結する、落ちかねない箇所には仮設の足場を組む。それを今夜、皆でやる。」
具体的な動作に移った。トウマはまず、壁のうえでの「歩き方」から教えた。足場の石ができる時間は短い。そこにとどまってすぐに踏みしめると崩れることがある。だから歩幅を揃える。声で合図を出す。先に行く者が「出る」と言ったら、次は「進め」と声をかける。互いに背中を見て進むことで、個々に危険を感じる瞬間を均質化するのだ。彼らはその手順を何度も繰り返し、たまにぎこちない笑いを混ぜながら身体に染みこませていった。
「見張りの輪を二重にする。外側の輪は視野を広げ、俺の歩幅を管理する。内側の輪は、人を連れて走る練習。どちらの輪でも、途中で『誰を通すか』なんて考えないこと」トウマは言葉を選びながら指示した。「選ぶという判断は、いざというときの速度を殺す。決めるべきは方法だ」
夜は更け、訓練は続いた。職人の手にかかれば、二時間も持たない簡易の足固めが皆の働きで出来上がった。古い木材を並べ、綱で締め、すり減った石の段差を少しずつ均した。トウマは手を動かしながらも、たびたび壁に手を置いてひびを探った。痛みはまだ残っている。何度目かに壁の表面が微かに粉をふいたとき、彼は目を閉じて指の先に力を入れる。
「小門のことはどうする?」と、エマが訊いた。声は静かだが、そこには言葉に出来ない期待が混じっている。誰も通らない小門は今や象徴だけでなく、実際的選択肢になっている。王都はそれを無視しようとしているが、ここでは違った意味を持たせたいという願いだ。
トウマは小門の錆びた扉を思い浮かべた。小さな額縁のような門は普段閉ざされ、忘れられていた。だがそれは裏道でもあり、避難経路でもあった。彼は小さな地図を頭に描き、声に出す。
「小門は修理する。だが単に開けるだけではだめだ。隠れて通すのではなく、公開するんだ。誰が通るかを隠すからこそ、司令はそれを管理しようとする。俺たちは小門