異世界転生城壁番の聖騎士

異世界転生城壁番の聖騎士 第17話「第15章」

朝の風は、北門の石垣に貼り付く灰色の雲を引き裂くように冷たかった。トウマはいつものように長い巡回棒を肩に掛け、ひびの入った門扉の縁に手を触れてから歩き出した。今日守りたいのは物理的な隙間だけではない。昨夜、門の記録室に近い詰所で起きたことが頭の奥でぐるぐる回っていた。「記録が抜かれた」──リディアの声を思い出す。彼女は夜通し、木箱の中の羊皮紙を数えて、異変に気づいた。数枚の帳簿がすり替わっていて、名前が消えていた。しかも消え方が乱暴でなく、巧妙だった。付箋の跡、紙の匂い、序頁の折目までが入念に処理されていた。

朝の風は、北門の石垣に貼り付く灰色の雲を引き裂くように冷たかった。トウマはいつものように長い巡回棒を肩に掛け、ひびの入った門扉の縁に手を触れてから歩き出した。今日守りたいのは物理的な隙間だけではない。昨夜、門の記録室に近い詰所で起きたことが頭の奥でぐるぐる回っていた。「記録が抜かれた」──リディアの声を思い出す。彼女は夜通し、木箱の中の羊皮紙を数えて、異変に気づいた。数枚の帳簿がすり替わっていて、名前が消えていた。しかも消え方が乱暴でなく、巧妙だった。付箋の跡、紙の匂い、序頁の折目までが入念に処理されていた。

「トウマ、今すぐ来てくれ」とリディアは朝もまだ寝ぼけた声で言った。彼女の顔は血の気がなく、両手には押さえたはずの震えが残っていた。彼女は北門の記録係だ。避難民の到着、配給、貸付のリストを日々整理する仕事をしている。そこに改竄の兆候があるということは、誰かが到着した人々の存在そのものを消し去ろうとしているということだ。

トウマは巡回で見回った壁だけに働く自分の力を早朝に試すように、壁の継ぎ目を一つひとつ目で確かめながら歩いた。足場を作れるのは「危険を感じた者」の足元だけだ。選べば壁は内側から崩れ、俺も痛みを受ける。選ばなければ、ただ壁に立っている者の足許に石が生まれる。そこに線引きの余地はない。だが、記録が消えるということは、目に見える生の証拠だけでは防げない。

「まずは物を散らそう」トウマが言うと、リディアは眉を寄せた。「散らす?」

「一ヶ所にまとめておくほど、狙われやすい。あいつらは整理された帳簿を好む。読みやすい記録だけを持ち去ればいいからな。ばらばらにして、人の手で覚えさせて、物のかたちに刻みつけるんだ」

リディアの息が荒くなった。「でもどうやって。ここには盗みの筋がある。門司令の手下が動けば、工房も市場も検問される。私一人じゃ逃がせない」

「二人じゃ足りない」トウマは視線を上げた。門の外、広場の端に佇む人々の輪。大工のカスパ、織り手のマエラ、鍛冶のルコン、そして夜に告発をしてくれた老女のヒラ。その誰もが、自分の生活を抱えた独立した人間だ。命令に従うだけの道具ではない。声が聞こえるように、トウマは一つずつ名前を呼んだ。彼らは来るべき事態の危険性を自ら判断して、もう既に動き始めていた。

最初の分配は簡単ではなかった。カスパは木箱を刻み、書き写しに使う小さな札を作る。マエラは布に織り込む模様で到着した家族の名と出身地を示す案を考えた。ルコンは鉄片に押印できる小さな刻印を打ち、鍛冶屋の炉の灰で焼き固める技を思いつく。ヒラは口承の束を組む。彼女の語りは力がある。夜ごとに子供たちに来歴と名前を語り聞かせれば、忘却は難しくなる。

「これでどうする?」リディアが問う。彼女の手は、まだ見えない恐れに固まっている。

「分散させる。複数の形式にする。紙、布、金属、そして人間の記憶。それぞれを別の場所に置く。誰かが一つを取りに来ても、全体は残るようにするんだ」

それはトウマが前の世界で学んだ分散保管の原則そのものだった。だがここは異世界の、管理と恐怖が混ざった場所だ。紙は焼ける。布は裂ける。人の記憶は消えやすい。だから方法は重ね合わせた。彼らは今日一日で、小さな「分散アーカイブ」を作ることにした。

動き出すと、共同体の意思は早い。マエラは子供たちを集め、赤い糸で家系図を織り始めた。糸の節ごとに名前を結び、その下に家の紋様を入れる。紋様は外見ではただの柄だが、見た者はその織り目を指でなぞりながら口ずさむことができる。子供たちは自然と声を合わせる。ルコンの小さな刻印は、鍛冶屋のパンフレットや工具に押され、日用品に混ざって各所にばらまかれる。カスパは土蔵の底を掘り、書き写した帳簿を細い木札に挟んで封じる。ヒラは夜に広場で集会を開き、来訪者の名を歌にして繰り返させる。

トウマは巡回で見回した壁に立ち、できるだけ多くの人間が門の外と内を行き来するよう促した。能力は厳密だ。今日見回した壁に限り、危険を感じた者の足元に石を生む。だが「危険を感じた者」が誰かを選ぶのは、彼の内面の機微に任される。無自覚に誰かを「危険」と見なせば、その者だけが足場を得ることになる。選別は禁忌だ。選ぶほど壁は内側から崩れ、トウマの体に刃のような痛みが走る。だから彼は、目を見張り続けることでしか能力を使えない。目は均等に、誰の足元にも向けられるべきだ。

午前も終わりかけ、合図もないのに詰所の方から慌ただしい足音が聞こえた。門司令の使いが来たのだ。黒い羽の徽章を胸につけた監視役が数人、書類の確認だと言って回り始める。声は冷たく、手は早い。最初の一人が帳簿の入った箱を開け、ページを確かめる。顔に笑みはない。彼らは規定の形式を仕上げる専門家のように見える。だがその手は、紙の縫い目を探り、付箋を剥がし、目立たぬようにページを差し替えていく。

「やめろ」誰かが叫んだ。トウマの脳が瞬時に判断する。正面から突っかかれば武力を持つ相手に負ける。そしてここで暴力が起きれば、門司令は口実を得る。彼らは「混乱による強制隔離だ」と名目をつけるだろう。トウマは目を閉じ、息を整えた。壁に触れ、今日見回った箇所を身体でなぞった。石の細かい継ぎ目の感触が手のひらに伝わる。これが彼の力の条件だ。巡回は終わった。足場を創れる。

だが使い方は難しい。狙いを定めると選別になり、壁は内側から崩れ始める。ほんの一瞬、トウマは思った。リディアの手元の箱だけを守ればいいのではないかと。そこに無数の家族の名がある。だがその思考の果てに、石が門の内側にパリっと広がる感覚があり、背骨に鋭い痛みが走った。選択をしたことへの代償だ。トウマは声を上げて崩れかけ、手に汗をかいた。誰かが後ろから支えてくれた。ヒラの手だ。彼女はぶすりと短く言った。「それはやってはならない。自分のために、誰かを選んではだめ」

トウマは痛みを押し殺して、ぎりぎりの均衡を保った。目は全体に向ける。心の中で誰かを「危険」と名指しにしないように、彼はただ状況を感じ取る。使いようとしているのは「危険」を判断する感覚の均一化だ。ある者が引き裂かれそうになると、石はそこに生まれ、また次の者にも生まれる。結果として誰もが足場を受け取る。彼の体はそれを負担と感じるが、崩壊は起こさない。均等性が守られているかぎり、壁は内側に崩れないのだ。

監視の手が帳簿を抜き取りにかかった瞬間、トウマの周囲で足元に小さな石がふわりと生じた。リディアの箱の周りだけでなく、詰所にいた子どもたちの足元にも、鍛冶場のルコンのサンダルの下にもだ。監視役はふと手を止め、辺りを見回す。石の出現が奇異に見えたのだ。だが彼らは感情を読まずに業務を続ける。撤去した資料を胸に抱えて出ていこうとしたとき、マエラが大声で歌を始めた。布地を指でなぞる子供たちの合唱が後押しとなり、周囲の目が外へ向く。群衆の注意が分散した隙に、トウマは動いていくつかの札をさりげなく受け取り、外へと送り出した。彼の手は汗ばんでいたが、選ばずに均等に動いたため、壁の軋みは小さかった。胸に小さな刺すような痛みは残ったが、致命的ではない。

監視役は帳簿の改竄を十分に済ませ、