異世界転生城壁番の聖騎士 第15話「第13章」
朝の光は薄く、北門の石はまだ冷たかった。トウマは粗末な包帯に巻かれた腕を抱え、寝台の縁に座っていた。痛みは夕べよりも増している。壁が崩れた夜、足場を全て人々に割り当てた代償は、彼の体の奥で毎朝新たに疼きを立てさせた。息を吐くたびに、まるで石が肋骨を押しつぶすような痛みが走る。だが彼が今したいことは、病床で齧る静寂ではなかった。
朝の光は薄く、北門の石はまだ冷たかった。トウマは粗末な包帯に巻かれた腕を抱え、寝台の縁に座っていた。痛みは夕べよりも増している。壁が崩れた夜、足場を全て人々に割り当てた代償は、彼の体の奥で毎朝新たに疼きを立てさせた。息を吐くたびに、まるで石が肋骨を押しつぶすような痛みが走る。だが彼が今したいことは、病床で齧る静寂ではなかった。
「討議の場を作る。直に話をするんだ。制度の人たちと、証拠を突きつける。」
隣の布団に腰を下ろしたのは、木槌を腰に下げた職人コーラだった。太い指で膝を撫でながら、彼女は低く笑った。
「口先だけで終わらせんのは、あんたがいちばん嫌うことだろう。だが、どうやって歩くんだ、トウマ。歩いて壁を巡らないと、君の足場は働かない。王都の使者の前で実演するつもりか?」
「実演はしない。暴力も求めない。ただ、事実と声を出す場所が欲しいんだ」トウマはわずかに前を向いた。言葉に力を込めると、痛みが鋭く増した。石が押し返してくる。胸の内側を誰かがつねるような、門の痛みだ。
病室の薄いカーテンの隙間から、廊下で話す声が漏れてきた。聞き覚えのある命令口調と、それに乗る官吏の甘い囁き。門司令オルバンの声だ。彼の笑いを含んだ言葉が、窓の外にある掲示板の新しい紙を思い出させた。そこには、トウマの顔が大きく印刷されていた。「北門の英雄──秩序の守護者」と、でかでかと。小さく付け加えられた文字は、避難民の「管理と選別」を正当化する文句だった。
「利用されてるな」ミラが隣の床から呟いた。年寄りの記録係は、薄手の本を膝に載せ、細い指でページをなぞっている。彼女の目は、若いころに聞いた忌まわしい話を探す者のように細かった。「あんたの傷を美談に変えて、どれだけの自由を渡し渡しにかかるつもりか」
トウマは唇を噛んだ。オルバンが広める話は簡単だ。彼が命を投げうって門を守った。だから厳しい管理は必要だ──危険を取り除くためだ、と。彼らは記録の真実や、何が避難民を『危険』に見せるのかを隠したい。代わりに彼の痛みを持ち上げ、門の内側に更なる錠を掛ける正当化にしてしまう。
「向こうは、あんたを見せ物にしたいだけだ」コーラの声は低いが確信に満ちている。「だが見せ物にされてる間に、私たちは『証言』を集める。口承、図面、壊れた板。ミラ、あんたの本、そこに古い印章の話は?」
ミラはふっと息を吐き、ページをめくった。「あった。門章──矢印の図柄。古くは同じように使われていた。『内に向く印』は、境界を守るだけでなく、誰を入れないかを示すための目印だったとある」彼女の指先が震えた。「過去の排除、何世代も前のだが、文面は冷たい。理由づけはいつも同じ。『秩序』、『防疫』、それに続くのは『忘却』だ」
トウマの心臓がひとつ大きく跳ねた。彼はかつて北門の古い看板に刻まれた内側に向く矢印を見ていたときの感覚を思い出す。子供の頃に見ていたその矢印は、避難路を示すはずなのに、なぜか人々の足を内側へと誘導しているように思えた。ミラの言葉は、その違和感に繋がる糸口だ。
「それがあれば、我々の話はただの感情論じゃなくなる」コーラは言った。「もし王都の文書に同じ印が使われているなら、制度そのものに責任があると示せる」
だが行動の前には現実が立ちはだかった。ドアの外で官吏の靴音が止まった。やがて扉が開き、二人の下級士官が入ってきた。ひとりは敬礼もせずに掲示板の紙を手にしていた。顔には派手な笑みが浮かぶ。
「門司令からの伝言です。王都からの使者が北門に向かうそうです。トウマ殿、お礼の席に顔を出していただけますか? 勇気ある行いは公に表彰されるべきですから」
「表彰か」トウマの声は冷たかった。彼は立ち上がろうとして、そのまま座り込んだ。痛みが全身を鋭く貫いた。
士官の笑みが消えない。「王都の名誉ですよ。賛辞とともに指示も来る。今後の門管理について、いくつか提案がなされています。市の安全のために──」
「提案が何かってわかってる」ミラが言葉を遮った。「彼らは君の犠牲を盾に、もっと強い統制を入れようとしている」
士官は眉を上げた。「統制というのは、秩序の維持です。あなたの行為がなければ、さらなる犠牲が出ていた。市は守らねばならない」
どこかで彼らは本気でそう信じているのだろう。トウマは過去に足場を選ぶことで壁が内側から崩れ、激しい痛みを受けた記憶を鮮明に追った。選別は単に物理的な崩壊を呼び寄せるだけでなく、人々の繋がりを断つ。選ぶことが、石を砕くのだ。
「ならば証明しよう」トウマは小さな声で言った。「私がしたことの代償も含めて、だ。展示でもなんでもいい。だが、小道具を作るような真似はやめてくれ。真実を見せろ」
士官は一瞬困惑したように目を泳がせたが、すぐに微笑を戻した。「もちろん。公的な記録として整理しましょう。王都の監督官が来れば、事実を確認するに越したことはありません」
彼らが去ると、部屋には重たい空気が戻った。トウマは膝を抱え、決意を固めた。直接対話──制度の窓口に向かうこと。そこに賭けるべきだ。だが動き出すには物が必要だ。紙、古い図面、誰かの証言。壁の痛みを語るためには、壁の記録が必要なのだ。
「俺は行く」トウマは立ち上がった。痛みが鋭く襲う。だが歩く。杖よりも自分の脚で。彼は北門の回廊へと向かった。行く先には、古い保管庫がある。そこでかつての門の図面や古文書が眠っていると、ミラは言っていた。
回廊の石は冷たく、指先を伝うように痛みが増した。誰かが作った傷が、今も彼の身体を引き裂く。途中の見張り台では、若い避難民アリンがひとりで見張りをしていた。短い髪を風になびかせ、目は真剣だった。トウマの顔を見ると、彼は無言で手を振った。アリンは、トウマが最初に救いを求めた幼い少年だ。彼は今や他の避難民たちの代表となり、トウマの望む「声」を集めるために動いている。
「トウマ」アリンは駆け寄り、息を整えながら言った。「王都の使者が来るって本当? 俺たち、話せるかな。みんな、もう我慢の限界だって言ってる」
「話すんだ。ただし混乱は避ける。冷静に、証拠と証言で。」トウマは短く答えた。アリンの目が光る。若者の信頼を失うわけにはいかない。
三人は保管庫に辿り着いた。鍵は古びていたが、コーラが手際よくこじ開けた。中は埃っぽい匂いと、古い紙の匂いで満たされていた。束ねられた書類、黄ばんだ地図、そして小さな金属片が箱に押し込まれていた。トウマの手がその箱に触れた瞬間、手のひらに微かな振動が走った。暖かさを感じるような、それでいて遠いところからの呻き。彼は息を詰めた。
ミラが金属片を取り出した。腐食した断片には、かすかに見覚えのある矢印の刻印が残っていた。矢印は内側を向いていた。その矢印の薄い輪郭が、王都の標章と同じものであることを示していた。
「これだ」ミラの声は震えていた。「この図柄が、門を統治するための指針として使われていた。過去の排除命令と同じものよ。石の裏に日付と短い注がある。『異邦人の門に適用する』──ここに書かれている」
トウマの胸から息が抜けた。目の前の断片は氷のように冷たいのに、彼の内側には熱い怒りが湧いた。古い矢印が