異世界転生城壁番の聖騎士 第13話「第12章」
「トウマ、こっちだ! 子どもを渡して!」
「トウマ、こっちだ! 子どもを渡して!」
冷たい風が城壁の上を吹き抜ける。そこに立つトウマは、手のひらにざらついた石粉を感じながら、目の前のありさまにただ一つのことしか考えられなかった――助けること。足元で泣き叫ぶ母子、肩を寄せ合っている職人たち、腕に鋤を抱えた農夫、顔に泥と血を混ぜた青年。すべてが、北門の内側に入ろうとしていた。
「いま開ける! 順に! 慌てるな!」
向こう側、門口に立つ守備隊の一人が鋭く手を伸ばして棒で扉の枠を叩いた。古い木材に彫られた矢印は内側を向いていた。矢印はいつのまにか「ここへ入れ」と人々を誘導するように見える。トウマはそれを見ながら、口の端で息を整え──巡回の記録を指がなぞる。朝から、自分の足でこの北門を見回った。規則の端にすら載っていないような、自分だけの確認作業を終えた。だから、今日この壁に触れる権利は、確かに自分にある。
「トウマ、魔物が近いって! 北の原野から──」
見張りの青年が息を切らして駆け寄る。空気の向こうから、乾いた嗅ぎ慣れない匂いが混じってきた。遠くで何かが呻き、人の叫びが波のようにこちらへ寄せてくる。群衆の顔が一斉に固まった。ある者は唇を嚙み、ある者は目を見開いたまま硬直する。
「内側から閉めろって命令が来る。門司令の声だ」と、守備隊の古参が低く言った。彼の胸当てには、ひび割れた門章の断片が縫い付けられている。それは小枝のように割れていたが、光り方だけはなお威厳を保っていた。
トウマは拳を固めた。閉じれば助からない人がいる。その一方で、閉じなければ魔物の群れがそのまま街の奥へ押し寄せる。二つの未来が同時にぶら下がっているようなものだった。
「どこから来る、魔物は?」と、職人の一人――リナが尋ねる。彼女はいつも黙々と石を割る手を休め、子どもの手をしっかり握っていた。彼女の選択は常に自分の腕の中の小さな体を守ることだ。今日も彼女は自分で判断し、行動している。
「群れは三方向から。夜明け前から動いてるらしい。小柄なやつらもいる。人の形をしている者が混じっているって報告が──」見張りの言葉がそこまで続かない。地鳴りのような衝撃が壁を震わせ、近くの瓦が崩れ落ちた。群衆の中から、誰かが鋭く息を吸って泣き声を上げる。
トウマは深く息を吸った。自分の能力は冷静な道具としてだけではない。ここに立っている者の足元に、石の足場を一時的に作ることができる。だがその条件は厳格だ。今日自分が見回った壁だけ。足場は、危険を感じた者の「足元」にのみ生まれる。一瞬でも選別すると、城壁は内側から崩れ始め、壁の痛みが自分に跳ね返る。彼はそれを、痛みを知っていた。石を作るたびに、彼の肋骨の奥で古い壁の悲鳴が鳴るのだ。
「トウマ、選べるか?」古参の守備隊長が問いかける。問いは簡潔だった――誰を通すのか。
彼の視線は群衆を走った。向こうに女がいる。目は血走っているがその手には人形を抱えている。そばには、鎧に血の付いた者がいる。見慣れない顔立ちだ。人の形をしているが、目の奥で何かが違う。壁の上を這う影が一つ、二つ。魔物の一部隊が人に紛れている。選別するための時間は、確かに存在した。しかし選べば選ぶほど、壁は内側へ崩れていく。選ばなければ、魔物は内へ入る。
「全員だ」トウマは短く言った。それは自分の意思だけでなく、彼を慕う者たちへの宣言でもあった。誰かを識別して差し出すことを拒む選択。声のトーンには揺らぎもあったが、その決断は硬かった。
リナの眉が上がる。守備隊長の目が驚きで潤む。誰も彼の身体に手をかけることを止められなかった。群衆は一瞬沈黙し、次の瞬間には動き始める。子どもを抱えた母親が前へ出る。誰もが自分の判断で行動している。誰もが選ばれる側ではなく、選ぶ側だ。
トウマは歩き出した。巡回で通った石畳を踏みしめると、その感触が能力を呼び起こす。彼の視線が合った者──手に持つ槍を震わせる青年、母親、職人、泥にまみれた老人、そのすべての足元に、きらりと灰色の小さな塊が生まれる。石は冷たく、にわか仕立てだが確かに踏める厚さを持っていた。足場は一瞬で列を作り、門内へと通じる橋のように響いた。人々は躊躇せずその小さな石の上を歩いた。逃げるための一歩を踏み出した。
だがその瞬間、トウマの胸の奥に、壁の悲鳴が流れ込んだ。最初は遠い風のように、次に細い刃が肋骨に刺さるように変わる。頭の中で干し草が燃える匂い。手の指先がしびれ、目の前が白く滲む。彼は一歩だけ、城壁の縁に手をついて耐えた。
「トウマ!」誰かが叫ぶ。彼は振り向かない。体は痛みで折れ曲がるが、目の焦点は人々の足元にある。作られた石はやがて粉のように崩れていく。だがそこに立っている限り、人々は次の一歩を運べる。
魔物が突入してきた。毛深い獣のようなもの、鱗を持つ四つ足、そして人の形をした影。彼らは門の向こうから押し寄せ、扉を叩き、木を裂いた。守備隊の矛が軋む。火の欠片が風に乗って飛んだ。群衆の悲鳴が塊となって壁の上へ押し上げられる。トウマはそれを全部受け止める必要があった。
「こっちへ! こっちだ!」職人のリナが叫んで、人々を導いた。自分の子を抱きながらも、彼女は自分で道を選んでいた。職人たちが門の枠を支え、農夫たちが瓦礫をどける。守備隊長は混乱する兵を叱咤し、老兵は槍を構えて前に立った。彼らはトウマの命令ではなく、自分たちの判断で動いている。彼らの選択があったからこそ、群衆は一様に命綱を掴めた。
だが、壁は悲鳴を上げ続ける。選択の重みに応えるように、微かなヒビが広がり、古い漆喰が剥がれて落ちる。先ほど生まれた足場は一刻ごとに崩れていき、退路が狭まるたびに人々は互いに手を取り合って前へ進んだ。誰かが倒れると、隣の者が体を投げ出して支える。そこにあるのは命令ではなく、連帯の自発だった。
トウマの視界に、一匹の人型が飛び込んだ。顔は人間に見えるが、頬の骨の角度が妙に鋭い。目は漆黒で、口元が耳飾りのように裂けている。彼は群衆の中に溶け込み、母親と子どもの間をぬって歩こうとした。その姿を見た瞬間、トウマの能力が告げる。危険――足元を揺らせと、能力が叫ぶ。だが彼は躊躇した。誰を選ぶのか。選べば壁はもっと崩れる。選ばなければその影は子どもを刺すかもしれない。
トウマは意思を固めた。足場はすでに全員に回っていた。自分はもう選んでいない。だが規則の残響が彼の耳を刺した。足場を「敵味方で選ぶ」ことが禁じられている。ここに「敵」と「味方」が混在したことが、すでに選択を強いている──というより、世界がそう判定したのだ。数を制限して選ぶのではなく、全部を同時に与えることが、逆に「両者を選んだ」と見なされる。
甲高い断裂音がした。古びた石の塊が一つ、壁の内側で砕けた。次の瞬間、もっと大きな衝撃が走った。壁の中で何かが崩れ落ち、縦に走る亀裂が目に見えるほどに広がる。城壁は生きているかのように喉を震わせ、痛みがトウマの体内に流れ込む。
痛みは単なる肉体のものではなかった。胸が引き裂かれるように、古い漆喰の粉塵が肺の隅に擦り付けられるような、骨が擦れる音さえ聞こえるような感覚だ。過去に感じたどの傷より深い。壁の痛みは彼の全身