異世界転生硝子工の発明王

異世界転生硝子工の発明王 第2話「第1章」

硝子の匂いが、釜の上に立ちのぼる蒸気と混じっていた。ユイは素手で火口にかざされた鉄の棒の先に溶けた硝子を回し、息の出し方を一度だけ確かめた。喉の奥で音を整え、肺を満たした空気を一気に吹き込む。割れやすいほど薄く均一に。彼の前には、煤で汚れた一枚の窓枠が外されて机の上に置かれている。外ではいつもの灰色の霧が揺れていて、その先にいる人々の声はいつもより小さく、近いのに遠くに感じられた。

硝子の匂いが、釜の上に立ちのぼる蒸気と混じっていた。ユイは素手で火口にかざされた鉄の棒の先に溶けた硝子を回し、息の出し方を一度だけ確かめた。喉の奥で音を整え、肺を満たした空気を一気に吹き込む。割れやすいほど薄く均一に。彼の前には、煤で汚れた一枚の窓枠が外されて机の上に置かれている。外ではいつもの灰色の霧が揺れていて、その先にいる人々の声はいつもより小さく、近いのに遠くに感じられた。

「お願い、ユイさん。あの子、日が入らないと熱が戻らないんです」

声の主はミヤコ婆さんだった。細い体を薄布で包み、顔は窓の汚れよりひどく曇った表情で、ユイを見上げた。腕に抱かれたのは五つにも満たない小さな女の子。瞳は薄い灰色のままで、頬には熱に負けた赤さが広がっている。ミヤコの手は震えていた。床の間に置かれた薬壺のふたがひとつ、下がっていた。

ユイは吹き竿を置き、硝子の塊を慎重に回しながら答えた。「開けよう。まず一枚だけ。試してからね」

声に力はなく、でもためらいはない。彼はここで何をしたいかをはっきりと知っていた。下町の窓を、ただの窓でなく、通る光を分けて汚れた空気の中でも届くようにすること。そうして人々が外に出なくても、室内に小さな陽を取り戻すこと。それだけで、いくつかの夜を越えられるなら。

だが障害は現実だった。外を覆う毒霧は、単なる汚染ではなく、人の皮膚にも、心にもじわじわと及ぶものだと彼は知っている。硝子が光を通すとき、そこに含まれていた「色」と「熱」が、ただの物理では説明できないかたちで、空気に影響を与えることがある。ユイは前の世界で教材の修繕をしていた頃の感覚と、この世界の奇妙な技術の感触を混ぜ、慎重に吹いた。

硝子が冷え始める頃、ユイは手にしまっておいた小さな欠片を取り出した。薄く光を屈折させるその破片は、彼が勝手に「虹の破片」と呼んでいた。掌に置くと、いつもより僅かに温かさが伝わってくる。力学だけではない何かが、そこにある。彼は破片を指先で転がしながら、自分の心を確かめる。怒りや被害者意識、過去の記憶がざわつけば、その硝子は毒をこそ濃くする。自分で吹いた硝子に限り、通した光の熱と色を一度だけ別の場所へ送ることができる─その能力の唯一の運用条件を、ユイは肌で知っていた。心が曇れば、その「送る」は逆効果になる。だからこそ、いま彼は、深呼吸をしていた。

「ユイさん、大丈夫ですか?」ミヤコが訊く。彼女の声には、余裕がない。

「大丈夫。ちょっとだけ……静かにして」ユイは短く応え、作業机の向こうにある古い小屋の屋根を見た。転送先は空っぽの倉庫に決めている。硝子が受け取るべき余分な色と熱を、そこに一度だけ抜いてやるつもりだ。無論、それが永久的な解決ではない。だがここに差し込む光は確かに変わるはずだ。色が淡く、熱が穏やかに分散される。窓を通った光が人々にとって安全に感じられる程度に。

ユイは溶けた硝子を最後の息で薄く吹き、枠にはめた。息を止める。完成した硝子は、淡い藍と緑を含んだ色をしていて、外の霧の灰色を弱めるように光を分けた。彼は手袋を外し、硝子の縁にそっと触れる。そのとき、掌の中に鋭い違和感が走った。熱ではない、刃のような痛みが指の関節に突き刺さる。ユイは息を漏らした。

「痛いですか?」ミヤコが駆け寄る。女の子がうつむいたまま、小さな手をユイの足に伸ばした。

「……うん、少し」ユイは笑いを作ろうとしたが、歪んだだけで終わった。硝子をはめた枠をミヤコに押し渡す。「まず、外の窓と入れ替えてみて。開け方は……そっと、上下に動かして」

ミヤコは言われた通りそっと古い窓を外し、新しい枠をはめた。外の世界へと向けられていた硝子は、向こう側の薄暗い通りを淡い色で撫で、光は床にひとかけの帯となって落ちた。女の子の部屋にまで伸びたその帯の端が、壁に投げかける影を少しだけ明るくした。

その瞬間、女の子が瞼を上げた。ゆっくりと、驚いたように。薄い瞳に小さな光が映り、頬の赤みがほんの少しだけ引いたように見えた。ミヤコの目に一瞬の涙が光る。

「よかった……」彼女の声が震えた。

通りを歩く人々も気づき、窓の外から小さなざわめきが伝わってきた。窓枠の外に立っていた子どもたちが、顔を寄せて覗き込む。ユイはその反応を見て、胸の奥が温かくなった。できたのだ、とだけ思った。

だが同時に、手の痛みは引かなかった。何かが、指骨の中でまだこだましている。硝子作業ではよくある筋の痛みとは違い、これは作為された代償のように感じられる。彼はゆっくりと拳を開き、掌を見た。そこにある小さな白い線が、指先へと貫いているように見えた。まるで硝子の割れ目が、彼の血肉の中に刻まれたかのように。

ミヤコは窓の光に向かって感謝を繰り返したが、ユイはそれをやめさせた。「無料でいい。今回は試験だから。だけど──」

「だけど?」

「次は皆で一緒に決めてから作る。先に助けを求めた人を優先するって、ここで守ることにするよ」ユイは言った。言葉は簡潔で、重みがあった。下町の人々がこの窓で何をしていくかは、単純な販売行為で決めるものではない。誰に先に光を分けるのか、それを決めるのは助けを求めた人達とその隣にいる人々だ。ユイは自分が一人で決めるのを避けたかった。能力は彼のものだが、使い方は共同のものにしたい。そう決めた瞬間、胸の中の曇りが一段階薄くなったように感じた。

ミヤコは首を振りながら笑った。「あなた、変わったよね。最初に来たあなたの師匠の顔とは、違うわ」

ユイはそれに笑い返す余裕がなかった。代わりにポケットからもう一度、虹の破片を取り出し、爪の先で指す。破片は微かに振動し、さっきより鮮やかに光を折り返した。まるで生き物のように反応している。

「これ、変わったんですか?」ミヤコの問いに、ユイは首を傾げた。「たぶん。別の世界で手に入れたものだけど、ここにあるときは……たぶん、ぼくの吹いた硝子に応答するみたいだ」

「それ、いいわね。お守りみたい」ミヤコは破片を覗き込んだ。だがその顔に、少し怖さもあった。光には救いがある一方で、何かを奪うような側面もある。ユイはその怖さを理解していた。能力には禁止がある──曇った心で吹くと光は毒を濃くする──そして代償がある──窓が割れれば、その痛みが手の中に残る。彼は今、代償の片鱗を味わったのだ。

工房の戸外で、通りを行き交う人々のささやきが高まる。ユイは耳に入る会話を聞かなかったことにして、ミヤコに向き直る。「ここは……これから誰でも使っていい。助けを求めて来たなら、まず席を作る。そこから順番に、一緒に作り方を学んでほしい。技術は渡す。僕一人のものにしない」

「でも、材料は?」ミヤコが訊いた。

「材料は少しずつ集める。手伝ってくれる人に少しずつ分けるよ。技能はお金を出すだけで買うものじゃない。街を救うなら、皆で守る」ユイは言葉をそこまで出して、ふと気づいた。言葉に自信があった。決意が、硝子を吹くときの精神に似て、まっすぐにまぶたの中へ染みわたっていった。

そのとき、路地の影から小さな声がした。「兄ちゃん、すごい……」

黒い帽子をかぶった少年が恐る恐る前に出てきて、窓際に立ち眺めている。店先にい