地下市の幻獣鑑札師 第4話「第三章」
鉄と木の匂いが混ざった空気の中、ガルドの工房は昼間の底市よりも静かだった。機械油の光沢で磨かれた作業台、壁にかかった様々な鞍の型、そして天井からぶら下がった古いランプが、淡い黄を床に落としている。ミラに導かれ、ノアはその奥へと足を踏み入った。抱えられた布包みの中で小さな胸がゆっくり上下し、包帯の下から染み出す潮の匂いが彼らの存在を告げた。
鉄と木の匂いが混ざった空気の中、ガルドの工房は昼間の底市よりも静かだった。機械油の光沢で磨かれた作業台、壁にかかった様々な鞍の型、そして天井からぶら下がった古いランプが、淡い黄を床に落としている。ミラに導かれ、ノアはその奥へと足を踏み入った。抱えられた布包みの中で小さな胸がゆっくり上下し、包帯の下から染み出す潮の匂いが彼らの存在を告げた。
ガルドは手元の鉄の端にやすりをかけながら、最初は目を上げなかった。老職人の額に広がる皺は深く、手の甲にはいくつもの古い火傷の跡がある。短い咳が一つ、彼はやっと言葉を吐いた。
「また幻獣か。底市はいつもそうだ。珍しいものが来れば、腕のいい者は駆り出される」
「ガルドさん、見てほしいんだ。少しでも傷を癒すような輸送を…できるなら、このまま運び出さず保護したいんだ」
ミラは短い言葉で切り出した。ノアは静かに首を振り、布包みの下で震える体に手を添える。ガルドの視線がやっと二人へ向いた。爺さんのようでいて、鍛冶場の虜囚のような、頑固だがどこか優しい瞳が覗いた。
「軍の檻を、動かせるのか?」
ガルドの声は砂利混じりだった。彼の口ぶりには、かつての職務への名残りと、それに伴う嫌悪が混じる。ミラが小さく息を吐いた。
「ヴァルガのために作られたものを、あんたは知ってるのか?」
「知ってるさ。作ったのは俺だ」
その瞬間、空気が変わった。ガルドはゆっくりと作業台へ歩み寄り、引き出しから折りたたまれた設計図を引き出した。紙は黄ばんで、角は擦り切れている。だが鉛筆の線は力強く、何度も引き直された跡が残っていた。図面の中心に描かれていたのは見慣れた鉄製の檻――だが、その周囲には妙な補助器具が添えられている。角度のついた吊り具、頑丈な南京縄の締め位置、内側に敷かれた滑り止めのラバー。軍用輸送に耐えるよう、剛性を重視した「箱」だ。
ノアは布包みの中の角を見つめた。白く、細かな星模様の浮かぶ表面は、見る者が息を詰めるほど美しかった。だが角だけで運ばれていることが、何より不吉だった。星角鹿の本体はどこへ行ったのか。誰が、どのようにそれを切り離したのか。疑問が頭を巡る。
ガルドは紙をテーブルに広げ、指で沿わせながら続けた。
「軍の依頼はこうだ。速く、確実に、傷を減らすよりも動かせるように。戦地では、効率が命だ。だが――」彼はそこで言葉を止め、指先で古い傷を撫でた。「あの時、俺の作った檻が、奴らを壊した。いや、壊したのは仕様だ。だが、壊れたのが肉だとわかったときの匂いは、忘れられん」
ミラの顔が一瞬硬くなった。ノアは言葉を選んだ。
「誰かが壊されると知りながら作ったわけじゃない。状況が、設計をそうさせたんだ。責める必要はない」
ノアの言葉は雑然とした工房に溶け、ガルドの目に一瞬だけ何かが戻った。彼はゆっくりと首を振った。
「いや、責めるに値する。だが、あの結果を見てから、俺は道具の使われ方を変えようとした。檻を作るだけでなく、檻を使う者に使い方を教え、壊れた時に手当てができるように――それが俺の償いだ。だがヴァルガの要求は金だ。金は理屈を溶かす。依頼として出された時、俺は黙って作るほかない」
ガルドの手元に、一本の古い金属棒があった。彼がそれを握ると、その棒はまるで重荷のように沈んだ。ミラは目を細め、ふと笑ったように見せた。
「そろそろ尻尾を巻くわけにはいかない。あんたの手は必要だ。だけど、あの檻をそのまま使わせるわけにはいかない」
ミラの声は冷たい。ノアは頷く。自分の掌の中の札を指で触れ、金の線をちらりと想像した。まだ問いを投げるわけにはいかない――今は、獣を運ぶための器を作ることが先決だ。
ガルドは一瞬考え込み、古い設計図の隅に淡い墨で書かれた別のスケッチを引き出した。それは、軍用の直線的な鉄格子を組み替えたような、奇妙な図だった。縦横の格子は板のような線から、枝のように分かれる支えへと変形している。鉄の継ぎ目に木片が噛ませてあり、内部には動物が首を擦らずに体を横たえられる湾曲した床板。ノアの心の突端に、ある映像が浮かんだ――まるで檻が獣を抱く檸檬のように変わってゆく絵面。
「動かし方は変えられる。檻は檻でも、棘の代わりに枕を作ればいい。拘束ではなく支え。だが、材料と手間が要る。俺はもう年だ。そんな金は――」
ガルドの言葉はそこで止まった。ミラがすぐに割って入る。
「金は出すわ。だが条件が一つ。ヴァルガの懐に入るものは作らないでくれ。あいつに渡れば、また同じことが繰り返される」
ミラの目に怒りが灯る。ガルドはそのまなざしを受け止め、ゆっくりとうなずいた。
「いいだろう。だが誓ってもらおう。俺が作るものを使って、誰かがまた怪我をしたら、その時は俺の手で償わせてもらう」
「それでいい。だけど逃がすのを手伝うわけじゃない。運搬方法を安全にするだけ。逃がすのは別の話だ」
ミラの口元に浮かんだのは、策士のような軽い笑みだった。ノアはその隙に布包みを持ち上げ、獣の微かな体温を確認する。小さく、しかし確かな鼓動が掌に伝わる。
ガルドは作業台に向かい、古い鉄鋸を取り出す。ノアは彼の横に立ち、静かに提案をした。飼育員としての習性が、自然と出てくる。
「底生の獣は、移動中に群れの音や嗅ぎ分けで安心します。視覚に頼る時間を少なくしてやれば、ストレスは減る。揺れを均等にして、床の振動を毛並みに近いリズムに調整しましょう。匂いは群れの匂いを薄めないように、少量の同じ餌の匂いを置く。鋭利な部分には布を巻き、角が当たる位置にはクッションを入れる。もし首を縛るなら、そこは幅を広げて、締めつけをできるだけ避ける」
ノアの声は落ち着いていた。ガルドは作業を止め、灰色の目で彼を見た。
「お前は、以前にそういうものを見ていたのか? 飼育員だったのか?」
ノアは小さく頷いた。言葉を選ばずに、だが正直に。
「前の世界で動物園の世話をしていました。怪我をしているものを見て逃がすことしかできなかった。ここではできることがあるなら、生かしたい」
その言い方には、昨今の淡い覚悟と、燃えるような執着が混ざっている。ガルドは短く笑い、掌を一度ノアの肩に置いた。
「なら、手伝ってくれ。お前の手があるなら、俺は昔よりも良い仕事ができるかもしれん」
作業が始まった。ガルドの手は力強く、一つ一つの工程に熟練の韻律があった。ミラは傍らで材料を渡し、時折図面に赤いチョークで補足を書き込む。ノアは獣の状態を見ながら、どの位置にクッションを入れるかを指示した。工房には木を削る音、金具を打つ音、削り粉の香りが混ざる。時折、ミラが笑いを漏らす。ガルドの手が一瞬止まり、古傷を撫でるがまた槌を振り下ろす。
設計図が変わっていく。鉄格子の直線は、ガルドの手の動きで枝分かれしてゆく線へと変わる。鉛筆の跡は木目のように曲がり、角の当たる部位には柔らかな織物の層が描き加えられた。ノアはふと思う。まるで檻が、捕らえるためではなく抱くために再設計されているようだと。
「これで幾らかは違うだろう。しかし、運ぶ時に一番危険なのは急な停止だ。荷車の車輪を換える。振動を吸収するサスペンションを付け、床に設ける傾斜受けで体重移動を分散させる」