玩具職人 第20話「第18章」
昼下がりの工房は、いつもよりも静かだった。機械油の匂いと、乾いた木屑がふわりと舞う。トトは作業台の端に腰掛け、ぽん、と掌で片翼の木片を弾いた。欠けた縁には小さな焦げ跡と、誰かが押しつけたような粗い刻印が残っている。ミオが最後に握っていた木鳥の破片だ。
昼下がりの工房は、いつもよりも静かだった。機械油の匂いと、乾いた木屑がふわりと舞う。トトは作業台の端に腰掛け、ぽん、と掌で片翼の木片を弾いた。欠けた縁には小さな焦げ跡と、誰かが押しつけたような粗い刻印が残っている。ミオが最後に握っていた木鳥の破片だ。
「まだ眠れてないのか?」
ユナが、額に粉を付けたまま紙人形の首を結びながら声をかけた。彼女の声はいつもより柔らかい。トトは返事の代わりに、木片を掌にのせて回した。指先に残る温度が、現実を押しとどめる。
「眠れないっていうより、眠くならないんだ。代償って奴だ」トトは絞り出すように言った。喉の奥が乾いて、まるで夜がずっと続いているような気がする。視線の端で、木鳥の幻がふわりと羽ばたく。だがすぐにそれは、床に落ちた紙くずに変わった。
「無理しないで。あなたが倒れたら、ここがまた空っぽになる」ユナは紙人形をそっと棚に置き、真っ直ぐにトトを見る。彼女の目は手際が良い職人のそれであり、孤児の姉のそれでもある。トトはそれだけで胸が熱くなった。
アベルは工房の扉を押して入ってきた。彼の兵服は洗われていても、どうしても軍の匂いが残る。片手に紙に包んだ何かを持っている。顔を見ると、そこに見慣れない緊張が光っていた。
「この人から話を聞いた」アベルが差し出したのは、薄汚れた布の包みだった。ほどかれると、中には油で光る小さな金属片と、木の削り屑が混じった紙片が出てきた。パーツには工房で見たことのない刻線が走っている。
「工房の外で、古物屋のサリが——彼女、軍の荷を扱う下働きしてる。荷の中に、あんたらの木鳥と同じ傷が付いてたって」アベルの声は低い。彼は首を振ってから続けた。「しかも、それを見て震えてた子がいた。子どもが片翼を握ってたっていうんだ」
ドンが来たのはその瞬間だった。義眼をぐるりと動かして、金属片に近づいた。年老いた時計職人の指先は微細で、どんな小さな違いも見逃さない。彼は唇をすぼめ、やがて唸るように言った。
「これは……試作の部品だ。歯車の配置が時計とは違う。振動を与えるための刻み。木材との接合部の摩耗跡が、工場で一律に作られたものに似ている。つまり、量産されている」ドンは金属片をそっとトトの手に押し当てた。「お前の木鳥と同種の部品だ」
部屋の空気が一瞬ぎくりとした。量産。軍需。トトは木片をぎゅっと握りしめた。ミオが残していったのは、ただの欠片ではなかった。誰かが集めていたものの一部に他ならない。
「ミオはそれを壊して逃げたんだろうか」ユナが小さな声で言った。紙人形の影が壁にくっきり映る。子どもたちが作る影はいつだって少しだけ大きく見えた。
「違う」トトの声は予想外に冷たかった。「あの傷は壊すためのものじゃない。刻印——誰かが自分の意思を残すために付けた、合図だ。ミオは命令に従う代わりに、片翼を切り落とした。その証で逃げた。そう見える」
ユナもドンも、言葉にならない驚きを浮かべた。だがアベルだけは、どこかすでに覚悟をしていたようにうなずいた。
「軍の中だと、命令に従わないことは許されない。もしミオが『従わない』印をつけていたら、連行の理由にもなる。それでも彼は自分で選んだ。俺たちはそれを尊重するべきだ」彼は拳を固めるが、言葉は続けた。「でも見つけなきゃならない。居場所を。」
情報は断片的だった。古物屋の下働きが見たという「小さな倉庫群」。荷札に付けられた軍の管理番号。そこから先は噂の網だ。だがドンの解析が確かな指針を与えた。金属片の摩耗痕は、通常の兵器ではなく「反応性の動力」を示している。子どもの恐怖を感知し、反応するための仕掛けである可能性が高い。すなわち、木鳥は単なる玩具ではなく試作機の一部だった。
「一人で飛び込む?」ユナがその場の空気を切り裂いた。トトの首筋に冷たい汗がにじむ。みな彼の顔を見ている。自分が眠れぬことで、ここにいる者たちの負担を増やしているのは自覚していた。
「違う」トトは素早く首を振った。「ミオを連れ戻すのに、暴力で奪い返すつもりはない。彼が選んだ『帰るか帰らないか』を奪う権利はない。だから、周到に計画する。子どもたちを巻き込む。彼に見つけてもらうんじゃなく、彼が戻る選択をできる状況を作るんだ」
「子どもを巻き込むって……」アベルの表情が一瞬険しくなる。「それは危険だ。軍相手に」
ユナはすぐに口を開いた。「危険でも、子ども自身が自分の遊びで動くなら違う。トトの能力は、子どもが自ら選んだ玩具にだけ効く。それを使って、子どもたちが自分の『怖いもの』を小さくして見せられる場を作れば、ミオも自分の意思で反応を起こせるかもしれない」
ドンは腕組みをして考える。彼の工房経験から、子どもの手が加わったものは壊れにくく、使い方が創意的だと知っている。紙と紐と粘土で作られた玩具が、軍の工業製品に勝ることは多い。
「ただし」トトは付け加えた。「俺が恐怖を肩代わりするのは最終手段だ。あの代償はもう痛いだけじゃない。幻覚が増えてきて、自分でも何が現実かわからなくなる。ミオを見つけたら、俺は無理に引っ張り出さず、彼に選ばせる。もし彼が戻るなら、俺たちはその意思を支える。戻らないなら、それも尊重する」
言葉の端々に、眠らぬ夜の重みが滲んでいた。仲間たちの顔に、理解と不安が混ざった表情が広がる。彼らもまた、トト一人に重荷を預けたくないと考えているのだ。
「計画は二段構えだ」トトは机から古い地図を広げ、指を走らせた。「まずは倉庫群の所在を確定する。情報は古物屋と、荷扱いの下働き、それから港の積み出しログだ。アベル、軍の通行パターンを調べてくれ。ドン、あの金属片から同一製品の目印を洗い出して。ユナ、子どもたちに『遊びの合図』を教え始めてほしい。ミオがもし近くにいれば、その合図で視界に入るはずだ」
ユナの瞳が輝いた。彼女は紙人形を抱き上げ、にっこりと笑った。「わかった。子どもたちに『合図』を作らせる。歌と拍子木と、木鳥の音。遊びの中で合図を覚えれば、大勢でも分かるよ」
アベルは短くうなずいた。「任せてくれ。手は回す。でも、動くなら昼間じゃない。夜の方が目立たない」
計画が形を取り始めると、トトは安心したように一瞬だけ力を抜いた。しかし、そのとき、扉の隙間から小さな影が滑り込んできた。子どもの一人、サイが息を切らしていた。まだ泥だらけの膝で立ち止まり、はあはあと息をつく。
「おじちゃん、見て」サイは手を差し出した。そこには小さな紙包みがある。包みを開くと、中には色あせた切符と、そこに押された小さな木のスタンプがあった。スタンプは木鳥の片翼そっくりだ。
トトはそれを見て、胸の中がざわりとした。サイは何かを言おうとして黙り込み、うつむいた。ユナがやさしく膝を抱え、肩に手を置くと、サイはぽつりと言った。
「ミオ、あの子が渡したんだ。港の近くで見たって。誰かに渡すために。だけど、ミオは笑わなかった。こわがってた」小さな声が工房の中で響く。子どもらしい語り口だが、真剣さは確かだ。
「港か……」アベルの目が鋭くなった。「輸送の予定は二日後にある。軍が試作を移す可能性が高い」
ドンは金属片と木片を見比べ、ゆっくりと息を吐