森の映画館の映写技師は明日を心配しすぎない

森の映画館の映写技師は明日を心配しすぎない 第6話「第5章」

陽が傾き、森の縁から冷たい風が忍び込んでくるころ、館の前庭には小さな簡易テントが並び、常連たちが手際よく椅子を積んだり、ポスターの最後の一枚を画鋲で留めたりしていた。空気はポップコーンの油と古い木の匂いが混ざり合い、遠くで木立に当たる車のライトが揺れる。映写室の小窓からは、フィルムの機械音とも似た、古い発電機の低い唸りが届いた。

陽が傾き、森の縁から冷たい風が忍び込んでくるころ、館の前庭には小さな簡易テントが並び、常連たちが手際よく椅子を積んだり、ポスターの最後の一枚を画鋲で留めたりしていた。空気はポップコーンの油と古い木の匂いが混ざり合い、遠くで木立に当たる車のライトが揺れる。映写室の小窓からは、フィルムの機械音とも似た、古い発電機の低い唸りが届いた。

「ひかりさん、今日の回は満席とれそうだよ」石井浩子が肩の力を抜いて言った。浩子はこの館の常連で、週に二度は自作のレシピで作ったおにぎりを差し入れてくれる。頬に入った皺が笑い皺に変わると、いつもより少し誇らしげに見える。

ひかりは映写室の薄暗がりで、レンズクロスを手にしていた。毛羽立ちを念入りに落とすと、クロスがかすかに暖かくなるのがわかる。彼女の掌は、手入れしたものにだけ反応する小さな力の名残を知っていた。今夜は余計なことをしないつもりでいた。だからこそ、道具の手入れは仲間に任せるべきだと決めていた。

「浩子さん、ポップコーンの機械は私が見ておきますけど、機械の細かいネジはユウタにやらせてください。油の掃除はミドリさん、お願いします。私、一晩中動けるわけじゃないんです」ひかりはそう言って、口元をゆるませる。言葉の端にあったのは、いつもながらの照れ隠しだが、仲間たちはその声を気遣って受け取った。

「いいのいいの、あなたは映写に専念して」浩子はにこりと首を振った。「前にあんたが徹夜したら次の日の顔がサンドペーパーみたいになってたもん。ここじゃあ、ひとりで全部やるやつはダメよ」

ユウタが背伸びをして、工具箱を差し出す。「俺、ネジなんか得意っすよ。父さんも器用だったって言われるし」

ミドリはポットに注ぐお湯の湯気に顔を近づけ、ぽつりと言った。「今日は二回上映するって、来た人たちが自分で広めようって動いてくれたんだよね。私もせめてご飯は美味しくしないと」

ひかりは静かに頷いた。外から来る風の匂い、テントの布の擦れる音、そして人の声。全てが重なって、森の映画館はいつもより少し臨戦態勢のように感じられた。だがそれは悪い意味の緊張ではなく、手仕事によって整えられる暮らしの緊張だった。

上映が始まる直前、ひかりは小さな儀式のようにプロジェクターのランプハウジングを拭いた。擦る布の繊維がレンズに触れるたびに、まるで薄い霧が晴れるように像が澄んでいく。彼女の手が一度だけ、きゅっと力を入れた瞬間、ランプハウジングにはほのかな光の輪が揺れた――触れられた道具が持ち主の疲れを一度だけ見せる、彼女の力の流れだ。

最初にその変化に気づいたのは、映写室の外で受付をしているミドリだった。彼女はランプのことは詳しくないが、ひかりが拭いた後にポットの蓋を開けたとき、見えない膜が視界を掠めるように感じたという。膜の中に浮かんだのは、自分が一週間走り回ってガス欠になっている姿だった。ミドリは思わず膝をつき、すぐに座ると、ほんの数分、目を閉じて深呼吸をした。周囲の人はそれを心配そうに見守ったが、ミドリは落ち着きを取り戻すと笑って立ち上がった。

「なんだか、気が抜けた。ありがとう、ひかりさん」ミドリの声は軽かったが、夕暮れの湿った空気の中で確かな重みを持っていた。その一瞬、手入れの効果が小さな奇跡のように機能したことがわかった。客の顔色も良く、上映は滑り出した。フィルムが回り始め、館内からは囁き声と、時折の笑いが混じる。外で夜露が葉を濡らす音がする。

しかし、夜は長い。二回目の上映のちょうど半ば、フィルムがひとつの章を越えた瞬間、プロジェクターの光が一瞬、波打った。小さな火花が機械の縁でちらつき、フィルムの映像が歪む。観客席から軽いざわめきが起きる。

「ランプ、か…?」ユウタの声が背後から飛んだ。彼は駆け上がってきて、隙間から映写室をのぞき込む。映写室の中で、ひかりは胸の底がきゅっと締め付けられるのを感じた。映像を止めれば、客は冷める。だが止めずに続ければ機械は壊れるかもしれない。

一瞬の判断が必要だった。ひかりは工具箱を開き、裸電球のようなランプハウジングを取り外した。焦げた匂いが立ち上る。内部のコイルには薄いすすがこびりついている。掃除すれば持ちこたえられるかもしれない。だがその作業は彼女の力を何度も呼び起こすことを意味した――道具を手入れするたび、彼女は誰かの疲れを一度だけ見せることができる。多数の道具を連続で手入れすれば、その分だけ彼女の中の何かが削られて、最後には力が消えてしまう。さらに悪いことに、力が消えれば彼女は深い休息を得られなくなるという代償が残る。頭の中でその記憶がちらついた。

「……行くよ」ひかりは低く言って、指先で金属を拭き始めた。手入れは速く、かつ慎重でなければならない。擦る布が繊維を立たせる音、金属が乾いたときの高い鳴り、彼女の呼吸のリズムだけが映写室を満たす。ユウタが工具を渡し、浩子が額を拭う。ミドリは客席を落ち着かせるために演目の案内を大きな声で行った。

ランプは、どうにか復調した。光は再び安定し、画面は滑らかに動き出す。客席からは安堵の息が漏れた。ひかりは力を使い切った感覚を手に残した。手先の感覚が少しだけ鈍くなり、肩に鉛が乗ったように重い。だがそれ以上に恐ろしかったのは、その夜からその代償がじわじわと体に現れ始めたことだ。

映写が終わり、観客が帰り始めたころ、ひかりの目に眠気が訪れないのに気づいた。いつもの夜なら、プロジェクターの片付けを終えて布団に転がれば、ふっと眠りに落ちるのだが、今夜は布団に入っても頭が冴えわたり、体は休もうとしない。動悸のように鼓動だけが早い。手のひらに残る熱が、まるでまだ動かなければならないと命じているようだった。

「大丈夫?」浩子が毛布を肩にかけながら覗き込む。顔は心配でいっぱいだ。

ひかりは苦笑いを浮かべた。「うん……たぶん。ちょっと、今日は眠れないかも」

浩子は黙ってひかりの肩を叩いた。「無理しちゃダメよ。無理は返って来るんだから」

言葉はあたたかかったが、ひかりには重く響いた。彼女は、自分がこれからどうなるかをほんの少しだけ恐れていた。力を使いすぎたときに来る眠れない夜は、ただの疲労ではなく、心を削るような鈍痛だった。だがその痛みの元が、他者の休息を促すために必要なものでもあることを知っている。ここまで来ると、どこまでが選択で、どこからが代償なのか線引きが難しくなる。

その夜、映写室のドアがゆっくりと開いた。外から入ってきたのは、紺色のコートを着た背の高い男だった。彼の足音は草を踏むように静かで、手に広げた古い図面は薄茶色に変色していた。男は自己紹介もせず、テーブルに図面を広げると、手で端を押さえた。

「深町颯です。刷新計画の担当で…まあ、形式的なやり取りをする者です。夜分に失礼しました」男の声はまろやかで、微かに疲労の匂いを纏っていた。だがその目の奥には計画書に刻まれた数字を追う鋭さがあった。

浩子が立ち上がり、図面を覗き込む。「何の図面なの? まさか、うちの土地のことで…」

深町は薄く笑った。「正式な名称はまだ公表していませんが、ここは再開発区域に含まれている可能性があります。森の再生と、