婚約の悪役令嬢は敵役の友人を救う

婚約の悪役令嬢は敵役の友人を救う 第17話「第15章」

昼の光が長机の白いテーブルクロースを透かし、糸目の陰影を濃くした。織り込まれた小さな金の輪模様が、会議室のざわめきに合わせて幾度も瞬いた。エレナはその柄に指先を這わせ、目の前の羊皮紙を押さえたまま息を整える。

昼の光が長机の白いテーブルクロースを透かし、糸目の陰影を濃くした。織り込まれた小さな金の輪模様が、会議室のざわめきに合わせて幾度も瞬いた。エレナはその柄に指先を這わせ、目の前の羊皮紙を押さえたまま息を整える。

「再開します。枢密院からの申し立てを受け、本件—『地方交渉場の有効性』についての審理を行う」

枢密院長・セネファーの声は冷たく、石造りの壁に吸い込まれていった。席の向こうで、彼は書面をめくる指が震えているようには見えなかった。向かい側には、ソフィア──彼女が救おうとしている女が立たされている。顔色は土のように淡く、指先に力がない。隣には彼女の婚約者、侯爵家の令息アレンがいる。アレンの眉は固く結ばれていたが、その眼差しは今にも折れそうなほど揺れていた。

「あなたが地方で施行した『協議による解釈』は、旧立法の枠を踏み越え、王命に反する」とセネファーが言った。「公的効力を有するのは王の法典のみ。個々の合意で婚約の効力を左右することは認められない。特に、婚約という身分を左右する問題を自治に委ねた行為は——」

「待ってください」エレナの声が割り込む。テーブルクロース越しに広がる空気が一瞬凍る。手はまだ羊皮紙に置かれている。彼女が持つ能力はここでしか働かない。古びた制度文書の語句を当事者全員の同意で読み替えること。万能ではない代わりに、明確な条件がある──「当事者全員の同意」。それを満たせば、古い文字が新しい意味に転じる。

だが今、枢密院は「全員の同意」を無視して、エレナ個人の行為を違法と断ずる気だ。しかも、時間は限られている。即刻の裁定でソフィアの身分を剥奪し、婚約を強制的に終わらせる手筈が整っているという。

「ここにいる全員が同意していれば、あなたの行為は正当性を得る。だが、全員の口を塞ぐのが我々の役目だ」とセネファーは冷ややかに言った。

エレナは羊皮紙の文字をなぞるように視線を落とした。古い条文は波打ち、活字の墨色が薄れている。そこにあるのは形式的な語句だけではない。彼女は何度も読み返して、どの瞬間に言葉が人々の選択を奪うのかを見つけた。だが今回の問題は「同意」だ。彼女の術は、誰かの運命を“彼女が一方的に”定めることを禁じる。もし、彼女が一方的に読み替えを行えば──代償が発動する。

「エレナ、ここで一方的に決めることはできない」タリスが低く呟いた。彼は法学に長けた仲間であり、裏で手を回して訴状の瑕疵を探している。だが今、彼の声には焦りが混じる。「だが、もし君が一人でやれば、その代償は取り返しがつかない。君は『選択』を一つ失う。どうしても救うなら、君自身の何かを差し出す覚悟がいる」

代償の性質は言葉にしにくい。過去に示されたのは感触だけ──選択肢がひとつ消えるような、未来の扉が音もなく閉まるような感覚。誰かを救うために自分の未来の可能性を一つ供犠にすること。具体的に何を失うかは、使い手の生活や立場によって違う。エレナにとって、それがどの扉なのか。彼女はすぐには答えを出せなかった。

会議室の空気は昼から夜へと傾いていく。議論は続き、声は低く、刺々しくなる。テーブルクロースの縁に沿ってキャンドルの煤が点々と落ち、金の輪模様は炎の揺らぎで揺れる。仲間たちはそれぞれ、独立して動いていた。

リディアは席を立ち、窓の外にあふれる人々へ向けて声を上げた。「これはここで決める話じゃない。私たちの未来を、私たちで決めさせて」彼女は集会へ出向き、町の署名を集めてくると宣言した。カルムはソフィアの脇に来て静かに言った。「俺が外でその婚約者と話してくる。押し問答で時間稼ぎをする」タリスは書類の間に頭を突っ込み、裁判所の手続きに細かい瑕疵がないか調べ上げている。誰もエレナの背中を見て、行動の結果を待っているわけではなかった。全員がそれぞれの判断で動いていた。

「全員の同意が得られれば、解釈を改めることは可能です」エレナは穏やかに言った。だが彼女の声には短い震えが混じる。「同意が得られない時、私が単独で変えることもできる。だが、その場合は代償がある」

セネファーは笑った。「ではやりなさい。あなた一人が救世主になってみせるがよい。しかし、その行為は公の秩序を乱す。君がどうなろうと、我々には関係ない」

時間はさらに短くなった。裁判所のふたりの書記が立ち上がり、判決のための最終文書を持ってきた。ペンの先が震える。ソフィアは細く、小さく自分の名を呼んだ。アレンは胸の前で手を組み直し、言葉を探していた。

エレナは決断の淵で、両手をテーブルに伏せた。手のひらに伝わる布のざらつきは、彼女の鼓動と同じ拍子で震える。もし私がやれば——と頭の中が瞬間的に未来の可能性を映し出す。好きな夜に友人と笑い合うあの扉。自由に旅立つあの道。小さなことだが、どれも取り返せない事柄にも見える。だがソフィアの顔を思い浮かべると、それらは薄い紙のように軽くなる。

「私が、やります」

声は静かだった。しかしその言葉が発せられた瞬間、テーブルクロースの金の輪模様が一つだけ黒ずんだように見えた。隣席のタリスが一瞬目を見開く。エレナは右手を羊皮紙の上に置き、読み上げる。条文の古い一節を、現に居る当事者の合意として読み替える──だが今回は、彼女の中だけで「全員の同意」を仮に成立させる。術は働いた。

どういうわけか、誰も即座に止めることはできなかった。空気がひゅっと吸い取られるように静まる。羊皮紙の文字は微かに波打ち、エレナの声に合わせて意味が滑り替わる。彼女はその流れに手を添える。ソフィアの婚約を「当事者間の新たな合意」として認める文面が、紙の上で確定した。

「その場の全員の合意が成されたと認める」エレナの言葉は、判事の耳にも届いた。セネファーは顔を紅潮させ、机を叩く。「違法だ! それは違法だ!」

だが、法廷内の空気が変わっていた。窓の外から戻ってきたリディアが、署名の束を机上に投げる。人々の声が廊下から押し寄せ、会場は一瞬にして民意で満たされた。「私たちも当事者よ!」群衆の合唱は、古い言葉に重みを与える。

エレナはそのとき、喉の奥で何かが切れる音を聞いた。熱と冷たさが同時に走り、掌の内側から硬い小石を押し出されたような痛みが走る。左手の薬指が、まるで誰かに小さな鍵を抜かれたように空虚に感じられた。彼女の内側にあったはずの選択肢、未来の一つが、確かに消えていったのを知った。

「やったのか?」タリスが近づいて囁く。エレナはうなずく代わりに、ふと目を伏せた。消えた選択は、彼女が将来自らの婚約について下せた決断の一つだったように感じた。言葉にすると陳腐だが、確かに何かが減っていた。少しの自由が、灯火のように消えたのだ。

「ソフィアは——有効と認める」エレナは震える声で宣言した。周囲の反応はまちまちだ。喜びの涙、怒りのこぶし、あきらめの溜息。だが一つだけ確かなのは、ソフィアの肩からかかっていた見えない鎖が、一瞬ほどけたことだ。ソフィアは手を取り、震える声で「ありがとう」とだけ言った。

その瞬間、会議室の扉が荒々しく開かれ、夜風に吹かれた使者が一通の封書を投げ込んだ。蝋の封印には枢密院の紋章──見慣れたものが押されている。書記が