外交の悪役令嬢は書き換えられた運命を裁く 第26話「第24章」
朝露がまだ石畳の目地に残る広場で、イリーナは手袋を脱いだまま深く息を吐いた。油のにおい、乾いた木の削り屑、塗料の新しい色が混じり合って、いつもの裁きの場が今日だけは別の匂いを放っている──消毒されたような、しかしどこか温かい匂いだ。広場の中央に立てられた高座の周りで、旗が剥がされ、色が変えられていた。かつて深紅だった布は淡い青へと塗り替えられ、端っこには彼女たちが考案した小さな図案が描かれる。討議の場を示す薄い星と輪郭だけの握手。見下ろす太陽の光がそれを白く浮かび上がらせる。
朝露がまだ石畳の目地に残る広場で、イリーナは手袋を脱いだまま深く息を吐いた。油のにおい、乾いた木の削り屑、塗料の新しい色が混じり合って、いつもの裁きの場が今日だけは別の匂いを放っている──消毒されたような、しかしどこか温かい匂いだ。広場の中央に立てられた高座の周りで、旗が剥がされ、色が変えられていた。かつて深紅だった布は淡い青へと塗り替えられ、端っこには彼女たちが考案した小さな図案が描かれる。討議の場を示す薄い星と輪郭だけの握手。見下ろす太陽の光がそれを白く浮かび上がらせる。
「まだ何枚残ってる?」とミロが訊いた。彼はいつもより肩に力があって、塗料が手の甲に点々とついている。小柄だが目は鋭く、今朝はいつもよりずっと真剣だ。
「あと一番大きいのと、二十本の小旗だけ。人手は足りるはずよ」とイリーナは答える。彼女の左手首には、細い銀の鎖に繋がれた五つの色ガラスの珠があった。その一つ一つは、かつて彼女が誰かの運命を読み替えるたびに、彼女自身の選択肢を縫い留めていた"糸"を象徴するものだった。今あるのは三つ。二つは欠けている。手を動かすたび、その残りの珠が冷たく触れて、彼女は思い出す──代償の重さを。
広場の片隅、ローザ家の若い母がしゃがみこんでいた。顔は土と涙とでぐちゃぐちゃになっている。彼女の指先は震え、横に座る少女はずっと俯いていた。マルコと言う。これから予定されている"連盟の式"で公に選ばれなければならない少女だ。ローザ家は小貴族だが借金があり、マルコは交易貴族への"妥協"の対象にされていた。古い制度の文書では、家の存続のために未亡人や未婚の女は強制的に加結されるという一節がある。イリーナはそれを読み替えたくて仕方がなかった。だが今朝、枢相コンラドの使者が来て、あからさまな反対の姿勢を示している。
「彼女らをここから出してやらないか?」ローザの母がイリーナの腕を掴んだ。掌の熱が骨まで伝わる。イリーナは振り払わずにその手を握り返した。母の瞳にあるのは、出来るものなら誰かに運命を奪ってでも救ってほしいという切実さだ。
「私がやれば簡単です」イリーナは口に出してみる。言葉は軽く、しかし胸の奥は焼けるように痛んだ。古い文例の矛盾を突いて、一行だけを上書きすることはできる。だがその一行を一方的に決めるなら、珠はひとつ欠ける。彼女はその代償を知っている。珠が欠けるたび、イリーナは未来において一つの可能性を永遠に失う。誰かの未来を救うために、彼女が自分の未来を減らすこと──それは容易な交換ではない。
「イリーナ、待て」ミロが小さな声で言った。「全員の同意で読み替える。君の力の根幹だろう?」
「でも──」母の嗚咽が割って入る。少女が顔を上げ、すっと小さな声を出した。「誰かが、してくれませんか……公に、私の名前を消してほしいのです。家の借金のために、私を売るようなことを……」
その瞬間、イリーナの指がぎゅっと収縮した。冷たい金属の珠が肌に食い込む。母の願いは、彼女にとって何よりの誘惑だ。目の前の苦悩が、理性と信念の秤をよじ曲げる。
「イリーナ!」レナが走ってきて、広場に設けられた小さな台に飛び乗った。彼女は民衆代表としてこの会合を開く手筈を整えた。息を整えながら、レナは周囲の群衆に向かって叫んだ。「ここで、誰もが自分の言葉で答える!強制はもう、終わりにしましょう!誰か一人が決めるのではなく、私たち全員で決めよう!」
人々のざわめきが高まる。コンラドの使者が眉を寄せる。彼はわずかに唇を曲げ、まだ不満げだ。
「枢相は黙っていませんよ」と彼の側近が低く囁く。彼らにとって、制度は統治の核だ。参加の広場はその核を揺るがす。
イリーナは、母の顔を見た。母の唇は震え、吐息が白くなっている。彼女はそのまま立ち尽くしていた。眼前の選択は鋭かった。彼女が単独で文言を差し替えれば、その子は名目上、"解放"される。だが珠が欠ける。彼女の未来から選択が一つ消える。これまで、彼女は誰かの助けを取るたびに珠を失ってきた。残された珠は三つ。最後の一個を失えば何が起きるか、誰にも断言できない。だが今、彼女は思った──もし自分だけがその重荷を負うのではなく、ここにいる誰もが自分の運命について自ら答えを出すように仕向けられるなら、犠牲は珠の破損ではなく、みんなの能動的な同意によって達成されるかもしれない、と。
「無理に、私が強いてはならない」イリーナは静かに言った。言葉は風に流れて小さな石に当たり、跳ね返った。母の目にまた光るものがある。が、その代わりに何か別のものが芽生えた。疑問。――他の選択は、あるかもしれない。
「我々には手がある」フェルドが言った。彼はかつての軍司令の風格を残し、今は守り手として動いている。彼は役所から手に入る限りの古文書を持参しており、その端に折られた紙片を取り出した。「ここにある『参加の三式』を使えば、公開の討議として再構成できる。だが、もう一人の承認が要る。式の中で"第三の眼"と呼ばれる者──それを授与された者の署名が必要だ」
「第三の眼?」ミロが眉を上げた。「誰が持っている?」
「古議の印章だ。王家の側近、あるいは長年その職にある後宮長がそれを預っている。枢相はそれを持っていない。だから、君の力だけでは完全な上書きにはならない。だが、民衆の多数の同意があれば、形式の修正は可能だ」フェルドの声は穏やかだが確固としていた。
その言葉で、広場の空気は一瞬にして変わった。イリーナは心臓が鋭く跳ねるのを感じた。第三の眼──それがあれば彼女の仕事は、彼女一人の犠牲で済むことはなくなる。全員の同意で読み替えるための最後のピースだ。だが、それを得るには誰かが遠い後宮に赴いて印章を請うか、または現物をここに呼び寄せる必要がある。時間と危険が伴う。
「君がそれを得れば、僕らはここで新しいルールを作れる」ミロが言う。彼の言葉には希望が混じっていたが、同時に計算された冷たさもある。ミロは都へ行くことを提案した。だがイリーナはその案に反応せず、母の顔を見た。母は静かに首を振った。離れることを選べるほど彼女に余裕はない。
「誰か、ここで残る人は?」イリーナが尋ねた。誰かが選択をする必要があった。ここに残って討議の司を務める者、そして都へ行って印章を請う者。選ばれた行動は共同体の結束を試す小さな試練だ。彼女は自分の珠を落とすことを考えた。しかしレナが目を見開き、手を挙げた。
「私が行きます」彼女の声は震えていたが断固としていた。「私の家族はこの町で長年商いをして、古い関係があります。都へ行って交渉なら、私が適任かもしれません」
ミロがすぐに反対の色を示した。「危険だ。君はここで必要だ。君が残れば、民の声をまとめられる」
「残れと言われても、誰かが印章を持ってこなければ話は進まない。私が行ってこそ、ここでの同意が法的に効力を持つ」レナの決意は揺るがなかった。彼女の目は広場の空気を切り裂き、周囲の人々の心を打つ。
イリーナはレナの顔をじっと見た。若い顔に浮かぶ決意は強く、恐怖と希望が混じっていた。彼女には、レナが自らの選択で動くという、自律の光が見えた。これこそ、イリーナが望んだことだ。誰かが犠牲を強