薬棚の悪役令嬢は婚約破棄を事業に変える

薬棚の悪役令嬢は婚約破棄を事業に変える 第19話「第17章」

朝の光が薄く差し込む倉庫兼作業室で、薬棚の木の縁が冷たく感じられた。香草の乾いた匂いと、裁断済みの条文の紙のにおいが混ざる。棚の列のうち一つ、背の低い段に並んだ小瓶のうちの一つが、先週から空になっているのをリレアは見た。ガラス瓶にはまだラベルの墨跡がうっすら残り、「選択肢—夢」と書かれていたように見える。指先がそのラベルの端をなぞると、冷たさの中に軽い震えが伝わった。

朝の光が薄く差し込む倉庫兼作業室で、薬棚の木の縁が冷たく感じられた。香草の乾いた匂いと、裁断済みの条文の紙のにおいが混ざる。棚の列のうち一つ、背の低い段に並んだ小瓶のうちの一つが、先週から空になっているのをリレアは見た。ガラス瓶にはまだラベルの墨跡がうっすら残り、「選択肢—夢」と書かれていたように見える。指先がそのラベルの端をなぞると、冷たさの中に軽い震えが伝わった。

「今日は三件。片付けるわよ」アルテが机の上の紋章入り巻物を顔の横でひらりとさせ、にやりと笑った。彼女の声はいつものように明るいが、後ろで書類を整理する手は少しだけ震えていた。

「まずはレオニア家の件。承諾書は揃っているけど、家老が押しつぶしに来るかもしれない。次に、ルーカスとマリエの解消。本人たちの希望ははっきりしている。ただ――」マルクがちらりとリレアを見る。彼の瞳はいつにも増して真剣だ。

表向きは、今日も小さな勝利を積み重ねる日だった。市井の申し込みから始まる婚約解消──それは彼らの行う事業の骨子であり、条文の矛盾を当事者全員の合意の下で読み替えるリレアの技能があれば成立する。だが昨日の件がまだ尾を引いていた。大貴族の代理が公の場でその手続きを妨害したとき、リレアは違う選択をしなければならなかった。合意を得られない相手に対し、彼女は一方的に読み替えを実行した。終わった後、薬棚の小瓶の一つが空になった。代償はやはり現れたのだ。

「来客だ」書類を振り分けていたエレナが窓の方を見て、小さく声を落とした。のぞき窓の外、泥の道を駆けて来るのは、焦燥と寒気が混じった顔立ちの若い女性だった。肩には薄いマントが羽織られ、片手に小さな匣をしっかり抱えている。

彼女は息を切らしながら室内に入ってきた。額には涙のかけらが光り、声はかすれていた。「リレア様、お願いです。私たちを見てください。私の婚約者を奪われようとしています。あの家は、彼を王の近衛に強制するつもりで――」

匣を抱えていたのはカミラという名の薬師見習いだった。彼女の婚約者は、地方の小貴族の息子。ある夜、彼の父が王権側と結託し、息子を「王のための人材」として差し出そうとしている。彼は自分の意思を主張できる立場にない。市井の婚約なら形式上は当事者の同意に基づくはずだが、実際には家の決定が上から押しつぶす。カミラの目には拒絶と恐怖が混ざっていた。

リレアは匣の中の薬草をちらと見、匣をそっと持つカミラの指先に気配るように視線を落とした。匣の中には、青い花びらが数枚。薬師であるカミラが、眠りを誘う薬を入れているわけではないことはわかる。彼女の来所の理由は、薬棚でも薬ではない。彼女たちが求めるのは「書き換え」であり、リレアはその場で審査をしなければならない。

「あなたの婚約者は、本人の同意を示していますか?」リレアが尋ねた。言葉は淡い。部屋の風鈴が小さく鳴る。

「彼は、私を愛しています。でも父が――」カミラは声を詰まらせる。「父は一家の存続に賭けている。もし王に差し出すと約束すれば、借金も帳消しにできると言われたのです。彼は選べない。リレア様、彼の意思はあります。だけど表に出せません。どうか――」

アルテが眉を寄せた。「表に出せない、となると。この手続きは難しい。私たちのやり方は当事者全員の合意が前提よ。相手が強圧で意思を奪われている場合こそ、合意を証明するための手続きが重要になる」

リレアはテーブルに向かって歩き、古びた王令の写しを取り出した。紙の縁が手に当たって、ザラリとした感触。古い文章は繰り返された押印の匂いを含んでいる。彼女の目は一行一行に吸い寄せられ、あたかもそこに眠る声を聴くかのように読み進めた。彼女の能力はここで働く。制度文書の矛盾を見つけ出し、当事者全員の合意を可能にする「読み替え」を提案する──しかし、その技は万能ではない。相手側が「合意」を偽装したり、何らかの外部力が同意を無効にする場合、通常は交渉の材料がなくなる。

リレアはふと、薬棚の空になった瓶を思い出した。昨日の決断の余韻がまだ指に残っている。もしここで彼女が無理矢理事態を変えれば、また一つ自分の私的な選択肢が消える。だが、壁の向こうで一人の若者の人生が差し出されようとしている。

「相手方を呼べるか」マルクが提案する。「父か、王室の代官か。公の場での反証は……」

「無理です」カミラが首を振った。「むしろ公に出れば、彼は王に連れて行かれます。説得はもうできない。私たちに残されたのは――」

沈黙が落ちる。その静けさの中で、リレアの掌がほんの少しだけ熱を帯びるのを感じた。彼女は選ぶことの責任を知っていた。選択はいつも代償を伴う。自分で誰かの運命を一方的に変えることは、禁じられていたわけではない。だが行使のたびに、何かが奪われる。それは外から見れば小さなことだ。だが彼女にとっては、生きる未来の「扉」が一つ閉じられるような感覚だった。

「私がする」リレアは静かに言った。声には震えがない。しかし周囲の空気が変わった。アルテの顔に驚きが走り、マルクは反射的に止めようと手を伸ばした。

「リレア、待って。合意がないままで実行したら、代償が――」アルテが言いかける。だがリレアは首を振り、手を止めさせた。

「私がやる。彼のために」リレアの手が古い写しの上に乗る。指先が文字を辿るたび、文言が薄く揺れるように見えた。空気が密になり、書物のについた時間の匂いが濃縮される。彼女は言葉を紡ぐのではない。制度の成り立ちと矛盾を見抜き、そこに別の読みを差し込む。その読みは相互の合意を必要とするはずだった。しかし今、合意は外に出せない。リレアは自分の力を一点に集中させ、同意の形を「仮の合意」として文に差し替えた。

小瓶のある段で、グラスが微かに鳴いた。皆がその音に気付く。薬棚の一つが、確かに、音もなく空になった。ラベルの文字が消えたわけではない。しかしリレアは次の瞬間、自分の中の何かが抜け落ちるのを感じた。胸の奥にあった、これから選べるかもしれない未来の一つが、手の届かない場所へ飛ばされたような空虚感。

「来る」彼女は囁いた。味覚がかすかに変わり、刃物で切ったように記憶の端が鋭く薄れていく。すぐにカミラの顔を見る。カミラの目には、まるで霞が晴れたかのように確かな安堵が宿っていた。彼女はほっと息をつき、肩の力が抜けた。

「ありがとうございます」カミラは震える手で匣を抱え直し、リレアの目を見る。そこに感謝しかない。リレアはその視線に応えようとしたが、返す言葉が出なかった。代わりに、棚に並んでいた別の小瓶を見た。まだ中身の残るもの。ラベルには、見覚えのある文字で「家庭」「結婚」「子」などとは書かれていない。だが彼女はもう、いくつかの選択肢が確かに少なくなったことを知っている。

アルテが静かにコップを取り、口を潤した。紙がぱらりと床に落ちる。マルクはリレアに歩み寄り、無言で手を差し出した。リレアはその手を取った。握った掌の温度が、ぎこちなく心を落ち着かせる。

「君は一人で背負いすぎだ」マルクが低く言った。「このやり方が永遠に続けられるとは思えない。相手は動き出すだろう。王室だって黙ってはいない」

「わかってい