共同アトリエで兄妹のような隣人は大人になりきれない夜を越える
共同アトリエで兄妹のような隣人は大人になりきれない夜を越える 第15話「第13章」
街頭ビジョンが、コモン工房の名前を貫くように光っていた。青白い照明がガラス越しに差し込み、廊下の埃まで白く浮かび上がる。画面には短いナレーションとともに、いくつもの匿名コメントが流れる――「補助金の不正」「信用できない連中」「若者の無責任」――繰り返される語句のリズムが、夜の空気を削るようだった。外ではスポンサーのロゴが次々と剥がされ、支援の告知ポスターが引きはがされる音がする。店頭の棚はすでに空になっていた。夕刊の記者が通り過ぎる足音。だれかが居なくなった靴底の擦れる音。
街頭ビジョンが、コモン工房の名前を貫くように光っていた。青白い照明がガラス越しに差し込み、廊下の埃まで白く浮かび上がる。画面には短いナレーションとともに、いくつもの匿名コメントが流れる――「補助金の不正」「信用できない連中」「若者の無責任」――繰り返される語句のリズムが、夜の空気を削るようだった。外ではスポンサーのロゴが次々と剥がされ、支援の告知ポスターが引きはがされる音がする。店頭の棚はすでに空になっていた。夕刊の記者が通り過ぎる足音。だれかが居なくなった靴底の擦れる音。
工房の中は、いつもより冷たかった。石膏の粉っぽい匂いと、長時間点いていた作業灯の熱が遠くに残る。卓上に並んだ未完成のランプ、布、ベニヤ板、そして昨夜仕上がったばかりの木のオブジェが寂しく並んでいる。壁には今日のスケジュールを貼った紙が、赤いペンで「キャンセル」の文字で塗りつぶされていた。
「電話、もう三件目だよ」美希(とりい・みき)が小さく呟き、机の上でスマートフォンを握りしめる。画面には支援団体の代表、服部(はっとり)からの不在着信。着信履歴の横に、小さく「撤回」の文字が踊るように見える。
「来るはずの予約もことごとくキャンセルだ」航(まつばら・わたる)がカッと目を見開いて、作業台を叩く。木の削り屑が薄く宙を舞い、彼の掌に冷たく落ちた。航の手先は器用だ。無骨だが確かな音が、暗闇に響く。
梨央(たちばな・りお)は、窓辺の黒いシルエットの前に立って、街のネオンをじっと見つめていた。悠斗(なかむら・ゆうと)はその後ろで、腕を組んでいた。二人は本当に――血の繋がりはないが、長く隣人として、そして創作の連れ合いとして過ごしてきた。梨央の肩先に小さな布の繊維がひっかかり、彼女は気にも留めずにそのままにしている。悠斗は息を吸うと、ひんやりとした空気の中でかすかな震えを感じた。
悠斗の手は今、昨夜ふたりで切り出したベニヤの角を探るように触れていた。共同制作したものだけに残る「痕跡」は、素材と時間、心の動きが混ざり合った薄い膜のように感じられる。彼はその膜を探るとき、いつも薄氷を踏むような緊張を覚える。触覚の先でひそやかな温度差、乾いた糸のような引っかかり。だが今は、彼の指先に伝わるものがむしろ痛いほど鋭い。「焦り」と「恐れ」が濃く、硬く針のように刺さっていた。
「それ、無理するなって」梨央が振り返る。彼女の声は夜の静けさに溶けて、かすかな波紋を立てただけだった。
「このままじゃ、工房が消える」航が声を荒げる。彼の視線は、空になった展示棚に釘付けだ。「俺たちの仕事を見せて、否定を跳ね返す方法はある。共同制作の証拠を――」
「共同制作の証拠って言い方、好きじゃない」悠斗は遮った。言葉は短いが重かった。「証拠にするために共同で作る、とか、誰かの思いを確定させるみたいなことは、できないんだ」
昨夜ふたりで仕上げたベニヤは、まさにその「共同」を示すためのものだった。だが悠斗がしばしば口にする制約が、今程人々を苛立たせることはない。共同で作った物にだけ痕跡が残る。しかしその痕跡は、悠斗が勝手に意味づければ瞬時に消える。問い詰めるような解釈や断定は、それを見る目を曇らせる。さらに、制作を急げば、共同制作そのものが壊れる。陶器は急速に焼けば割れる。共同で縫えば糸が絡まる。意思を無理に合わせると、物が割れるのだ。
「今すぐなにか映像を出して、作ってるところをライブで流そう」美希が提案する。彼女の顔には鋭さと疲労が同居している。「加工せず、素のまま。外に見せられるのはそれしかない」
「でも、あれは――」航が言いかけて詰まる。公の説明には時間がかかる。スポンサーは即断を求める。彼らには、すぐに「答え」が必要だった。
「急げば壊れる」悠斗は繰り返す。だが声に含まれた微かな焦りを、自分でも感じていた。誰かを安心させたい。工房を守りたい。梨央の目を見ると、彼女が震えていることに気づく。彼女はいつも大丈夫なふりをするが、今は違った。彼女もまた、誰かに見捨てられることを恐れていた。
「じゃあ、作ろう。ゆっくりなんて言ってられない。だれか、今夜中に大きな作品をつくって、プロセスを全部流せる人は?」美希が切り出す。
「俺は、それじゃ納得できない」航が即答する。「ただ撮るだけじゃ駄目だ。きれいに仕上げて、信用を取り戻す。プロデューサーは私に任せろって言ってくれてたのに、こんな形で裏切られるなんて……」
言葉の端々に、自分たちに向けられた「噂」を借りて恥じらいを示す仲間。誰が正しいかは分からなかった。悠斗はまた、ベニヤの端に触れた。薄い木の繊維が指先に刺さる。そこに、小さな痕跡があった――指圧のように残る手の圧、短く乱れた息遣い、そして誰かのむき出しの焦燥。悠斗はそれを感知した瞬間、頭の中で補完を始めそうになる。
「航がやったんだって、思ってるんだろ?」彼が声に出す前に、悠斗の心の中で一つの解釈が立ち上がる。それは論理的でも確証があるわけでもなかった。だがそれを口に出すと、痕跡は鮮明に姿を変える。悠斗の舌先がその語を捻じ曲げるのを感じた。
「やめて。悠斗、やめて」梨央の叫びは、紙で叩かれたように弱々しい。だが彼女の目は針のように厳しかった。
悠斗は言葉を飲み込んだ。代わりに、ただ息を吐いた。胸の奥が冷えていく。解釈をそぎ落とすこと――それは彼にとって常に苦行だった。真実を急ぎたい衝動と、痕跡を守る慎ましさがぶつかる。彼がわずかに身をよじると、視界の片隅が歪んだ。痺れるような痛みが額に広がる。数秒、世界が遠のく。
「限界かもしれない……」悠斗は小声で言った。能力を使いすぎると、疲弊して見えなくなる。だが今は疲弊ではなく、何かを「決めつけかけた」ことが即座に作用したのだ。悠斗の前に広がっていたベニヤ表面の痕跡が、白く溶けるように消えた。指先に残っていたざらつきは、ただの木の感触になってしまう。胸の奥にぽっかりと穴が開いた。
その瞬間、外の街頭ビジョンから、組織の広報映像が流れた。映像の中の穏やかな女の声が、事務的に語る。「地域文化振興協会は、本日付でコモン工房への支援を保留といたします。詳細は調査を待って公表します」。映像は中立を装っていたが、下に流れるテロップは断定的だった。「内部不正の疑い」「契約違反の疑い」。観客の目線を誘導する語彙が並ぶ。
美希は画面を見たまま、肩を落とした。「これ、仕組まれてる。広報の作り方がプロフェッショナルだよ。だれか個人がやったんじゃない」
「組織だ」航の声には怒りが沸き立っていた。「私たちを切り捨ててでも、安全な方に戻る。そういう手口だ」
その時、工房のドアが静かに開いた。遅い来訪者。廊下の明かりが一瞬だけ顔を浮かび上がらせる。背の高い男が入ってきて、無造作にコートのポケットから薄い封筒を取り出す。それをテーブルに置くと、誰も手を出さなかった。
「……これは」美希が恐る恐る封筒を取る。中には、昨夜の工房の内側で撮られた写真が数枚。テーブルの上に散らばった食器、脚を組んで笑う誰かの横顔、そして、集会でしか使わないはずの書類。写真に写る角度は内部からで、外部からの撮影ではありえない。誰かが内部の人