映写室で声だけ知る相手は雨の終わりを待つ

映写室で声だけ知る相手は雨の終わりを待つ 第14話「第一部幕間」

映写室のランプはいつもより頼りなく、ランプの蛍光がフィルムの縁を薄く焼いていた。雨は窓を叩くたびに廊下の蛍音を乱し、空気に古い映画の匂い――溶剤と紙の粉、古布の焦げたような匂いが混じっていた。水無月梢は指先に残るスプライスの接着剤のベタつきを嗅ぎ分けながら、膝の上で小さな銀色の缶を抱えていた。缶の中には彼女と「雨音(あまね)」が作った断片的な映像と音声が入っている。映像はほとんどが走査線と静止画で、主に音のための場だった。

映写室のランプはいつもより頼りなく、ランプの蛍光がフィルムの縁を薄く焼いていた。雨は窓を叩くたびに廊下の蛍音を乱し、空気に古い映画の匂い――溶剤と紙の粉、古布の焦げたような匂いが混じっていた。水無月梢は指先に残るスプライスの接着剤のベタつきを嗅ぎ分けながら、膝の上で小さな銀色の缶を抱えていた。缶の中には彼女と「雨音(あまね)」が作った断片的な映像と音声が入っている。映像はほとんどが走査線と静止画で、主に音のための場だった。

「今日は、記録をちゃんと取るよ」と瀬戸が言った。彼は古いICレコーダーに手袋をかけ、画面に表示されたメモリ残量を確かめる。芽衣は映写機のランプ近くでタオルを絞っていた。隆はドアの傍らで黙って雨を見ている。梢はいつも通りに息を整え、缶を取り出してフィルムの端を指でなぞった。フィルムの溝に指紋が残る。指の腹に伝わる細かな溝の感触が、彼女の胸に何か冷たいものを落とした。

「準備はいい?」瀬戸が聞いた。声が少し震えている。彼は記録技師の真似をしてでも痕跡を残したいと思っている。梢は微かにうなずいた。

梢が映像をスクリーンに映すと、いつものように空気の中に色帯が立ち上る。それは梢にしか見えない、音と共同制作の感情が薄い膜のように現れる現象だ。色は高く淡い青から、濃い橙まで、思い出すような並びをしていた。雨音の笑いの欠片は細い銀色の線になり、二人で編んだ音の合図は真っ直ぐな緑の帯として走った。色帯はフィルムの走査線に沿って波打ち、梢の視界に柔らかな絵を描いた。

だが、その日は違った。瀬戸がレコーダーを近づけ、ボタンを押した瞬間、色帯の縁がにじんだ。梢の視野で、青と橙が混ざり合って灰色の雲のようになり、輪郭が溶けていく。彼女は指先でその縁を押さえようとした。だが触れられるのは空気の端だけで、実体はない。

「記録機――音で引っ張られたのか?」瀬戸が呻いた。ディスプレイに波形はあるが、どこか欠けている。芽衣はスクリーンの端で小さく息を飲んだ。

梢は色帯を追った。いつもなら色帯の中から言葉の温度が取り出せる。だがそのとき、言葉の輪郭が薄くなり、音の律動が乱れていた。梢が読み取ろうとすればするほど、色は遠のいていく。読み取るために踏み込むと、共同で作ったはずのその「何か」が抵抗を示すように崩れていった。

「駄目……引きすぎると消える」梢は声にならない声を出した。脳裏にさっきまであったはずの、雨音の最後の囁きが刹那に消えかけるのを感じた。消えると同時に、手の中に持っていたフィルムの一コマが、指の感覚から滑り落ちたように薄くなった。巻かれたフィルムの一部に僅かな白い筋が走る。そこにあったはずの映像が、フィルムの粒子から抜け落ちていくようだった。

「梢、顔が青いぞ」隆が近づいてきて、無意識に彼女の背を押した。芽衣が梢の手を取る。手の甲に触れた芽衣の指先が、ほんの少し震えている。

「ごめん、記録しないで」梢が言う。だが瀬戸は首を振った。

「記録しなきゃ、証拠がない。噂にされたら終わりだ。誰かに言われて君たちが扱われるより、俺たちが記録してルールを作ろう――」瀬戸の言葉は早口で、言葉の先に恐れが混じっていた。彼は記憶のはざまを埋めるためにデータを欲しているのだ。

梢はこぶしを握りしめた。触れたフィルムの端から伝わる冷たさが、彼女の胸の奥を締めつける。映像の走査線が一瞬だけ乱れて、雨音の声の断片が消えた代わりに、梢自身のある記憶が曖昧になっていくのがわかった。彼女は自分がこのプロジェクトに込めた最初の言い回しを忘れかけていた。言葉の順序が曖昧になり、呼吸のテンポまで掴めなくなる。

「それ、何か代償じゃないのか。使うたびに失うって言ってたよな?」隆が呻く。梢はあごを上げて言った。

「使うたびに、何かが薄れる。私の言葉でも、雨音の輪郭でも。共同で作ったものだけに残るはずなのに、第三者の介入は混ぜ物になる。掴もうとすると痕跡が逃げる」それは告白だった。自分への戒めでもある。

芽衣が目を閉じた。映写室の空気が濃く、指先に伝わる接着剤の匂いが鉄の匂いに感じられる。芽衣は小さく息を吐いた。「でも、放っておくと評比委員会みたいな奴らが先に見つけるよ。噂はきっと流れる。誰かがスクリーンに映したがる。桐生が動いてるって話、聞いてる?」

その名前に、全員が固まる。桐生――評比委員会の中心にいる存在。梢は知らぬふりをした。スクリーンの端に残った灰色の雲が、さらに薄くなる。

その瞬間、フィルムの切れた一コマが、まるでそこに何かを書き込まれたかのように光った。色帯の端に、淡いうす茶色の短い線が浮かんだ。今まで見たことのない色だ。梢の視界では動かないが、存在感は確実にあった。

「新しい痕跡?」瀬戸が読み取ろうと手を伸ばし、顔を近づけた。梢は慌てて手を押しのけた。手が触れるとまたしても色が薄れる。瀬戸の指先がフィルムに触れた地点から、うす茶色の線が瞬時に消えかける。だが消えきる前に、線は小さな震えを残して消えた。

「触るな!」梢が叫んだ。声が、真夜中の映写室に白い音のしぶきを撒いた。誰かがスチール椅子を引きずる音、その金属の摩擦音が場の緊張を倍にする。

芽衣は震える声で言った。「梢、あれは……第三者の影響だよ。外から入ってきた判断や記録する行為の痕が、ここに影響してる。評比委員会の人間は、ただの観客じゃない。触れた瞬間に色を変える力を持ってるのかもしれない」

隆は無言でポケットから折りたたんだ紙を取り出した。桐生の署名とともに、学校側の「支援表明書」がそこにある。隆の指が紙の角を指して震えている。「桐生からだ。正式に『制作支援』すると。機材を寄付するとか、上映を後押しするとか。条件は裏表に書いていない。要は公に出せ、ってことだ」

紙の文字が灯りに反射して梢の目に痛い。支援――という二文字が、彼女の中で重く鈍い響きを持って広がる。公に出すということは、第三者の目に触れるということだ。そして第三者が入れば、色帯は変わる。変わるだけならまだしも、彼女たちの作ったものが「評価」や「噂」という形で消費される恐れがある。

「それで?」芽衣が追い詰めるように聞いた。隆は紙を梢に差し出す。指先が紙に触れたとき、梢の記憶の中に小さな空白ができた。そこにあったはずの雨音の笑いの一部がぽっかり消えた。梢は急に立ち上がり、映写機のレバーを引いた。スクリーンが一気に暗くなり、ランプの光がフィルムの粒子を最後に焼き付けて消えた。

「私は……守りたい。雨音を、ちゃんと――」梢は言いかけて言葉を止めた。言葉が抜け落ちた。心の中で用意していた決意の形が、指先から逃げていった。彼女は自分が持っていた決まり文句を取り戻せなかった。頭の片隅が真っ白だ。代償が、またひとつ現実を引き裂いた。

芽衣がゆっくりと梢の肩に手を置いた。「梢、私たちは選べる。私が言うのは簡単だけど、ここで手を出すか、今やめるか。隆は桐生の支援を取るつもりだって。瀬戸は記録を取りたい。私も作りたい。でも、梢は――」

「私は待つ。雨の終わりを」梢はやっと言葉を紡いだ。雨の終わり。彼女の中の灯りが細くともともとそこにある。だがその声明が出る代わりに、フィル