鏡面鎌の楽器工と残光院 第4話「第3章」
鋭い金属音が、避難所の中央を貫いた。折れた梁の隙間から顔を出して泣く子供の声。泥と汗の混じった湿った空気が、私の顔に張り付く。
鋭い金属音が、避難所の中央を貫いた。折れた梁の隙間から顔を出して泣く子供の声。泥と汗の混じった湿った空気が、私の顔に張り付く。
「蓮、こっちだ!」美琴が叫ぶ。彼女の手は震え、指先には布が巻かれている。私は鏡面鎌を抱き寄せた。柄の冷たさが掌に食い込む。表面は磨き抜かれた銀の鏡――ただの刃物ではない。これまでも私を助けてくれたが、同時に代償を要求する。代償はいつも静かに、しかし確実に来る。
梁の下には、六歳ほどの男の子が仰向けで、呼吸が浅い。目は閉じているが、胸は僅かに上下している。周囲の大人たちが押し合いへし合い、助けになれない。残光院の巡回が近いらしく、外の金網が軋む音が混ざる。時間がない。
「やれるか?」颯太が私を見た。彼は前線で戦うことには慣れているが、私を見る目は違う。期待と不安が交差している。
私は振り向き、グリップを固めた。鏡面鎌の刃がわずかに震え、周囲の光を吸い込み、揺らめいた。刃面に映る自分の顔が三つに割れ、笑っているように見えた。合図は不要だった。私の中にある、かつて楽器工として鍛えた「合奏」を仕立てる習性が反応した。だが、ルールは一つ。味方と共有した作戦だけを一度だけ――完璧に実現する。合意がないまま振るえば、代償は確実に、そして予期せぬ相手にも降りかかる。
私は決めた。ここで人を見殺しにはできない。小さな勝利でも、信頼は形成される。合意の証――それを取り付ける時間はない。だが、仲間はここにいる。彼らの視線は、私の行動を願っている。
「よし、やる。美琴、颯太、補助を!星野、手伝って!」私は短く命じた。声に迷いはない。美琴が頷き、颯太は手を伸ばした。星野は包帯を置いて駆け寄る。だが、避難所の中には他にも人の視線があった。田代──この場所の自治委員のように振る舞う年配の男が、私たちのほうを見て固まる。彼は口を閉ざしたまま、合意の意思表示をしない。見える範囲で同意の輪を作ろうとした私の背中で、何かが引っかかる感覚があった。
私はそれを無視した。時間はなかった。
鎌の刃が空気を切ると、波紋のような揺らぎが周囲に広がった。光がねじれ、音が凪ぐ。私の中の“合奏”が起動する。美琴は私の左側で体重をかけ、颯太は梁の端を押し上げる。言葉は交わさない。合図などいらない。まるで事前に約束していたかのように、四人の身体が同じリズムで動いた。
梁が、一本の音を立てて持ち上がった。金属の擦れる匂いと微かな焦げた木の香りが混ざる。子供の息が深くなり、頬が赤みを取り戻す。人々の驚きと歓声が波のように広がった。私たちはただ、それに合わせて動いた。計画は完璧だった――一瞬だけ。
だが、完璧さの代償はすぐに訪れた。私の左耳の鼓膜が、針で刺されたように痛みだした。音が切り裂かれ、遠くの音と近くの音が反転する。視界の端で光が引きちぎれるように走り、手足の感覚が僅かにずれていった。倒れそうになって膝をつく。美琴が支える。人々の声が水に沈むように聞こえ、鼓動だけが身体の中で大きく鳴る。
「蓮?」美琴の声が、遠くから届く。だが、彼女の言葉は綺麗に中央の帯だけが欠け、意味が判然としない。
私は歯を食いしばって立ち上がった。痛みを数え始める。これは慣れた感覚だが、いつも以上に鋭い。片耳を失うような鈍い感覚。これが、鏡面鎌の反動だ。単独で使用したときの代償を、身をもって受けた。合意を完全に確認できなかったことは、胸の奥で針のように刺さる。
だが、それだけではなかった。遠くの金属音が唐突に変化した。避難所の外、監視用のドローンの唸りが掻き消える。続いて低い呻き声がして、残光院の巡回員の一人が金具に掴まったまま前のめりに崩れ落ちた。彼の腕が無意識に紐を引き、別の古い梁が小さく崩れ、軋む音を立てる。もしあのまま彼が監視を続けていたら、私たちの動きは即座に敵に晒されていただろう。
私はハッとした。合意を取り損ねた。私の「合奏」は、作戦を共有していない者──目の前の田代の躊躇や外の巡回員の存在──を巻き込んで反応したのだ。能力は、味方の同意を無視した罰として、敵にも影響を及ぼした。幸運にも、今回の結果は死に至るものではなかった。だが、確実に危険な副作用がある。
「いいのかよ!」颯太が怒鳴る。彼の声はやけに近く感じる。田代がやっと息を吐き、顔を赤らめて私たちを見た。彼の目に、怒りと安堵が混じる。救われた子の母親が駆け寄って私の手を握りしめる。掌の温度が、私に現実を思い出させる。
「……ありがとう、蓮さん」母親の声はしわがれていた。喜びは確かにあった。歓声と祈りが交差する中で、私の頭の中に別の音が侵入してきた。スピーカーの断続的なバズ音だ。避難所の外壁に取り付けられた公的な放送装置が、何かを拾っている。
「残光院・九条探査長からの公告を放送します」。機械的だが、言葉に力がある。周囲の空気が凍る。視線が一斉にスピーカーに向いた。夕陽の残光が、鏡面鎌の刃面に刺さり、鋭く反射した。刃の反射と放送の光が重なり合って、私の視界に鮮烈な十字を描く。
放送は続いた。「避難の秩序と安全を確保するため、残光院は本日より制度的介入を決定した。二日後、代表者の赴任と調査を行う。資源の配分、住民の登録を速やかに行う。反抗行為は指導的措置の対象とする」
制度的介入──その語は冷たかった。配分と登録。声はまるで親切そうに聞こえるが、実際は手続きを通して人々の選択肢を削り、生活を規格化してしまう危険を孕んでいた。田代の顔が曇った。彼は口を開けかけ、閉じた。自治の象徴のように振る舞っていた彼が、今や言葉を失っていた。
「住民投票をしよう」風間茜が言った。彼女は避難所で配給の仕切りをしている一人だ。茜は確固たる声で提案した。「私たちで決められることは、私たちで決めるべきだ。田代さん、正式にリーダーとして、住民投票を取り纏めてくれないか?」
周囲でざわつきが起きる。賛成の声、懸念の声、感情がぶつかり合う。茜は畳みかけるように言った。「強制には抗う方法がある。私たちの選択を示せば、外に私たちの意思を伝えられる。話し合いで決める。それが、この場所の安全を守る最良の方法だ」
田代は顔を上げた。彼の目に、微かな決意が宿る。「住民投票か……。自治の試みだな。やってみるか」。その言葉は避難所に小さな安堵を運んだが、同時に私の胸に冷たい石をひとつ落とした。二日後。九条探査長が来るまでに、私たちにできることは限られている。住民投票は時間を稼ぎ、正当性を求める行為だ。だが、制度の掌握は、静かにスクリューを回すように進む。住民投票だって、操られる危険はあった。
美琴が私の腕を掴んだ。「どうするの? 蓮」彼女の顔は真っ直ぐで、問いは私個人に向けられている。仲間の一人として、私の能力は最後の切り札になり得る。小さな勝利は得た。一度、人を救った。しかし、私の鎌はもう一度使えるだろうか。ルールは厳格だ。共有された計画を一度だけ現実に出来る。今使えば、二日後に来る制度介入を防げるかもしれない。だが、私が単独で使えば感覚の一部を失い、そして合意を無視すれば敵にも作用する。今度はどうなるのか。
颯太が割り込む。「投票を支持しよう。蓮、俺はお前が直接解決するこ