銀河鉄拳の侍従と石英軍

銀河鉄拳の侍従と石英軍 第11話「第10章」

夜風が屋根瓦を舐めるように流れていった。澪は瓦の端に座って、手甲――銀河鉄拳の冷たい金属を掌で確かめる。微かに振動が残る。それは一度だけ、仲間と合意した作戦を現実に引き戻すと約束した器具であり、同時に彼女にとって呪いにもなっていた。

夜風が屋根瓦を舐めるように流れていった。澪は瓦の端に座って、手甲――銀河鉄拳の冷たい金属を掌で確かめる。微かに振動が残る。それは一度だけ、仲間と合意した作戦を現実に引き戻すと約束した器具であり、同時に彼女にとって呪いにもなっていた。

向こうの低地で、橙色の炎が列となって踊る。石英軍の選別隊列だ。火の下で人影が揺れ、誰かが泣きわめく声。澪は視界の片隅に、焦げた匂いが舌先に触れた瞬間のような不快感を覚えた。過去に独断で一度だけ銀河鉄拳を起動したとき、彼女は左耳の高音域を消し去った。あの静寂は、いまも時折戻ってくる。

「そこを見ろ」祐一(ゆういち)が指さす。高台の影に、避難民たちが押し固められている。子供を抱えた女、杖を突く老人、半焼けの帳簿を抱えた者。石英軍の徴発班が名簿を広げ、数字に丸をつける。丸が付かない者は、選別場へ連れていかれる。選別はいつだって数の都合で行われる。誰が生きるか、誰が移送されるか。それを決めるのは、彼らの目とペンだ。

「補給路は確保できた。だが、あっちが始まった。別の区域で選別を強化している」ジンの声はいつになく低い。彼の拳は震えていた。ジンは軍で傷を負い、サバイバルの現場で何度も人を救ってきた。だが選別の現場を前にすると、拳は何よりも行動を求めた。

「今こそ使うべきだ」ジンが澪の方を向く。「一度で片をつけろ。銀河鉄拳で全員を一斉に移動させれば、選別をやり過ごせる。君の力があれば、誰も取り残されない。」

祐一も頷いた。「ここを突破して移送の列を乱せば、向こうの指揮系も一時混乱する。誰かが犠牲になる前に止めるんだ。合意を取る時間はある。皆で手をつなげる」

だが、エリナは首を振った。包帯と消毒薬の匂いが鼻を突く。彼女は何人もの負傷者に付き添ってきた。彼女の目に浮かぶのは、診察テントで震える子供の顔だ。

「もし失敗したら、澪さんが感覚を――」彼女の声は途中で切れた。言葉にするのを恐れたからだ。独断で銀河鉄拳を使った過去を思い出す者は、誰もが静かに身体の一部を指でさする。澪の左耳は薄く、時々金属音が鈍く聞こえる。味覚の鋭さも影を潜めた。代償は身体に刻まれ、夜ごと疼く。

「代償は分かってる」澪は拳を固めた。「でも、仲間の合意がなければ、能力は敵にも作用する。誤った起動は、石英軍の手に選別を押しつけることになる。彼らはそれを利用する。僕らが強制してしまえば、逃げ場の無い人たちを道具にしてしまう可能性がある」

ジンは唇を噛んだ。「それでも……」

「選択肢を奪うのは、あいつらのやり方だ」澪は低く言った。「私たちが同じことをすべきじゃない。人々に選ぶ自由を残したい。守るのは彼らの選ぶ権利までだ」

その言葉に、祐一とジンの間で冷たい交錯が走る。祐一は黙って目を伏せた。ジンの体には抑えられない衝動が蠢いている。彼は誰かが手を差し伸べるのを待っているのではなく、自分で差し伸べたいのだ。だが澪は侍従――前世の記憶が在る彼女は、危険現場で他人の選択を尊重することを学んでいた。

「避難民の代表と話をつけよう」エリナが提案した。「私が診察テントをまとめる。カオリに声をかけてくる。彼女たち自身の意思で移動するか、局所的な防御を整えるか選んでもらおう」

カオリは集落の女性代表で、灰かぶったシャツを首に巻き、目に強い意志を宿していた。彼女は澪たちが近づくと、灰で黒ずんだ手を差し出した。テントの中、子供の背を撫でる彼女の指先は震えている。

「私たちをどうしたいのか、聞きたい」澪は静かに言う。「強制はしない。君たちの意志を聞かせて」

カオリは数秒黙った。嗚咽のような息が漏れる。彼女は顔を上げ、瞳を潤ませながら、思いの丈を吐き出した。

「皆、生きたいに決まってる。でも私たちは疲れている。違う地区では、選別の名の下に家を燃やすって。燃えていく家を見て、何もできなかった。誰かが『不適』の印を付けるだけで、全てが消える。私たちだって選びたい。生きる道を自分で決めたいのよ」

その言葉は澪の胸の奥を締めつけた。選別は単なる暴力ではない。制度的な暴力は、個人の判断を奪う。彼女が守るべき対象は、ただ救うことではなく、自分で決められる状態を取り戻すことでもあった。

「じゃあ、合意で動こう」澪は決めた。「私たちのやれることを一つずつやって、彼らにも選ばせる。そのために銀河鉄拳は最後の手段だ。みんな、準備できるか?」

祐一がゆっくりと頷く。エリナも来た。ジンはしばらく黙っていたが、指をぎゅっと握りしめる。そこに、別の声が割り込んだ。

「俺は賛成できない」若い男、タクミだった。彼は救助隊の新入りで、母親を選別で失った。怯えと怒りが混じる顔で澪を見た。「何もしないでいると、次に失うのは俺の妹だ。今すぐ全員動かせるなら、やるべきだろう!」

タクミの言葉は集団に波紋を広げた。選択の重みが、各々の過去と結びついて現れている。自分の痛みを誰かにぶつけたい者、過去の失敗を恐れる者、正義と倫理の狭間で揺れる者。合意は理屈ではない。人の心そのものだ。

「彼らの意思が固まるまで待てない」ジンが呟く。「見てろ。あっちでは家に火がついた。煙が風に乗ってこっちまで来る。俺たちの時間は短い」

澪は拳を見下ろした。銀河鉄拳の表面に、夜空の星が反射しているように見えた。光は冷たいが力を秘めている。起動のためには、仲間の肉体的な合一が要求される。掌を、銀河鉄拳に触れさせること。そこに合意が宿る。しかし合意が欠ければ、能力は対象を限定しない。敵にも作用する。その作用がどう帰結するかは、使ってみなければ分からない。分かるのは、代償が確実にあるということだけだ。

「選別をやめさせるために、僕らが作ること」澪は言った。「ただし、その方法は彼らの選択を奪わない。逃げ道を作る。隠れ場所を作る。情報を分散させる。強制的に押しのけるようなことはしない」

しかし、ジンの目は燃えていた。「君の慎重じゃ人が死ぬ。今すぐ、あの火の手を抑えるために、手を貸してくれ。数百人を一度に移動させろ」

「一度に全員を――」祐一が割って入る。「それは無理だ。銀河鉄拳の一度の作戦は、方向が一つだ。『全員』というのは幻想だ。だが、段階的に、優先順位をつけて動かすことはできる」

みなが意見をぶつけ合う中、低地から一発の号令が響いた。石英軍の司令の声だ。節度ある軍靴の音。選別隊は人を並ばせ、番号を読み上げる。目の前で若い男が引っ張られ、抵抗の声が上がる。小さな女の子が柵にしがみつき、泣き叫ぶ。テントの中にいたカオリが、顔を覆って倒れそうになる。

「誰か、何とかならないのか」祐一の声が震えた。「俺らはここで計画を練っている時間もない」

ジンの指先が、ついに銀河鉄拳に触れる寸前で止まった。澪と彼の間に、見えない亀裂が広がるように感じられた。ジンは唇を噛み、目に決意を込める。

「澪、俺は……もう待てない」彼は低く、確信に満ちた声で言った。「あの子たちは俺の妹みたいなものだ。待つことで失うものがある。俺が触る。合意は後からでも取る。起動してから、皆に理由を示す」

澪の心臓が跳ねた。彼の手のひらは、冷たい金属に触れようとしている。エリナが叫ぶ。

「やめて、