銀河鉄拳の侍従と石英軍 第1話「序章」
ブレーキの断続音が駅構内にこだました。金属と油の匂いが混じった空気の中、避難列車は低い唸りを立てて止まり、床に伝わる振動が小さな体の震えを増幅させた。プラットホームの端に、石英の光を帯びた旗が群れになって翻っている。近づくにつれて、旗の一枚一枚が硬い、冷たい光をはね返した。やがて兵士たちの輪郭が見え――制服の縫い目にまでも、淡い宝石のような反射が走る。
ブレーキの断続音が駅構内にこだました。金属と油の匂いが混じった空気の中、避難列車は低い唸りを立てて止まり、床に伝わる振動が小さな体の震えを増幅させた。プラットホームの端に、石英の光を帯びた旗が群れになって翻っている。近づくにつれて、旗の一枚一枚が硬い、冷たい光をはね返した。やがて兵士たちの輪郭が見え――制服の縫い目にまでも、淡い宝石のような反射が走る。
「澪、どうするんだ。子供が――」
星野燐の声が耳元で割れた。彼女は背負っていた救護バッグのベルトをぎゅっと掴み、目線は列車の車体に向けられている。澪は腕の内側に触れた。銀色の手甲がそこにあった。銀河鉄拳――指先まで冷たく、重さはない。手に吸い込まれるように、ぴたりと馴染む。
触れた瞬間、短い幻視が刺さる。白と黒の光、会議室の空気、無線のざわめき、そして誰かの叫び。"もう一度だけだ"という声。成功の記憶は太陽のように明るく、その周りに焦げ跡のような痛みが刻まれていた。――列車のレールを切り替え、脱線方向へ誘導する。全員の手が同じ動きをしたとき、不可能だったはずの操作が現実になった。人々は助かった。だが、澪の世界の一部が、そこで落ちた。
「澪?」
振動と子どもの吐息が現実へ引き戻す。膝の上で丸まった小さな女の子の顔に薄い傷跡があり、唇からは血の味の匂いさえ漂っているように思えた。澪はほんの一瞬、左右の世界の距離を測る。右耳には正常に汽笛と人声が入ってきた。左耳には、――薄い膜の向こうのように、遠い。そう、あれは代償だった。使うときには必ず代償がある。単独で使えば感覚の一部を失う。それは身体の一部を持っていかれるような感覚だ。前に、澪はそれを経験している。
「俺が行く。機関室まで押し込めばエンジン切り替えはまだ間に合うかもしれない」片桐律が言った。やや粗い呼吸。彼の手は震え、手の甲の皮膚に縦線が入っている。規則通りなら、機関に触れるためには車掌の同意と複数の鍵が要るはずだ。だが今日はそういう日ではなかった。
「同意が必要なんじゃないのか?」燐が澪を見た。彼女の目が真剣で、震えは隠していない。澪は手甲のつなぎ目を指で辿ると、小さな刻印が指先に伝わる。刻印は薄く脈打っていた。
「銀河鉄拳は“共有された作戦”だけを一度だけ現実にする。合意がなければ、その力は暴走する。敵にも作用する」澪は言葉を絞り出す。声は渋く、過去の使用の重みを含んでいた。「今回で二度目はない。俺は……もう一度、何かを失えるほど丈夫じゃない」
「でも時間がない」律は低く唸った。「子供たちがここにいる。兵が詰めてくる。澪、君が単独で押し切れるなら――」
燐が腕を伸ばして律の言葉を遮った。「それは駄目よ。説明は要る。澪、あなたが単独で使ったら何が起きるか、みんな知ってる。君は右の世界を少しずつ失う。味覚、聴覚、視覚――そのどれかが欠けるかもしれない。それでもいいの? そしてもう一つ。合意を無視して力を押し付ければ、その“作戦”は敵にも降りかかる。彼らがどう反応するか、制御できない」
「敵にまで作用するって、どういう意味だ?」律は歯を食いしばった。「もしそれが、こっちの計画を彼らも同じように使えるようにするっていうなら……」
澪は視線を外した。幻視の一片があとを追う。かつて、彼女は一度だけ、合意を得ずに鉄拳を振るった。救いのためだと自分に言い聞かせた。結果は部分的な勝利で、だが代償は大きかった。敵が別の作戦を同じ力で反転させ、犠牲を拡大した。人々は彼女を称賛したが、その夜、澪は左目の視界の一部を失った。視界の端が白く洗われ、そこから色が消えた。以後、世界の色が微妙に欠けて見えた。代償はいつも、単純で冷たい。
「合意はどうやって取るんだ?」燐の問いは現実的だった。ここにいるのは数十人の避難者と五人の仲間。合意を取れる"仲間"の数は限られている。鉄拳の原理は曖昧で、だが実験的に確かめたことがある。共鳴する意思が集まること、人と人の“同意”が一つの脈となって手甲に流れ込むこと。触れあい、声を合わせ、同じ方向を向くこと。それで初めて、手甲はその場の“約束”を現実にする。
「列車の運行に関与するひとは、機関士と車掌、それに制御室の副官だ。全員の合意は期待できない」律が唇を噛んだ。「だが、もし俺たちで列車内部の人間を説得して、共鳴させられれば――一度だけの発動で軌道を切り替えられるかもしれない」
澪は小さな呼気を漏らした。幼い女の子の瞳が、怖れと信頼を同時に向けてきた。澪はその瞳の中に、自分が守らねばならないものを見た。前世の侍従としての記憶は断片的にだが、ここで働いている。彼女は人を守ることを知っている。だが「守る」ということが、相手の選択を奪うことにまでなってはならないとも、彼女は知っている。
「俺はお願いに行く」律が言った。短い、確かな決意だった。「機関室のいくつかに触れて、感情の波を作る。澪、君はその間、鉄拳を準備しろ。合意を得られれば発動する。得られなければ……」
「――待って」燐が割り込む。「澪、君に選択を押しつけたくない。君がこれまで払ってきた代償は、私たちが全員で分かち合うべきものよ。合意を取るなら、私も手を貸す。みんなで触れよう。避難者の中にも、守りたいって思ってくれる人がいるはず」
車内から子どもたちのすすり泣きが聞こえ、外では石英の旗がさらに近づいたように見えた。兵士の足音がコンクリートを叩く。窓に映る旗の光は、まるで人の顔を透かしているかのように冷たい。
「――だが、全員が同意するとは限らない」澪は低く言った。「合意があっても、同じ約束を共有できる“仲間”の輪は、狭ければ脆い。俺たちが“合意”だと認められる範囲を広げるか、時間を逃すか。その二択だ」
「時間はない。燐、律、澪。選択は現場にいる人間がするべきだ。それが出来ないのなら、手は出せない」――車掌の声が割り込んだ。背後の扉が開き、顔を赤くした中年の男が、息を切らして立っていた。彼の眼差しはすべてを見透かすようで、澪は瞬間、なぜか昔の式典の壇上で待機していた夜のことを思い出した。そこでも彼女は、決断者の顔を見ていた。
車掌は列車の乗客を見渡し、指を立てる。「乗客の同意が必要だ。ランダムに決まるんじゃない。投票でもない。だが、この場で手を挙げて向き合うなら、俺はそれを“合意”と見なす」
澪は掌の中で手甲が微かに熱を帯びるのを感じた。まるで、鉄拳自身が息をしているように。幻視の残滓がまた一度、胸の内で震える。前回の代償の記憶が、食い違った選択が連鎖したことを告げる。
「よし」燐が息を吐いた。「私、行く。律も。澪、あなたの横に立つ」
律は答えず、ただ頷いた。彼の瞳がきつく澪を捉えていた。澪は小さく笑った。笑いは乾いていたが、決意を含んでいた。
彼女は立ち上がり、列車の側面に手をつく。銀河鉄拳は軽く脈打ち、その冷たさが腕に伝わる。プラットホームの向こうに、石英の旗が一際大きく揺れた。そこから、女の声が高く叫んだ。兵士の号令でもない、その声は命令ではなく問いかけだった――こっちに投降しろ、と。
澪は手首を見下ろし、静かに息をついた。そして、声を上げた。
「みんな――お願い。手を繋