逆光銃の護衛と凍結政府

逆光銃の護衛と凍結政府 第15話「第13章」

屋上の冷気が、鉄の手すりをかすめて舌先に刺さる。蒼井凪は逆光銃を抱えるようにして立ち、遠くの広場を見下ろしていた。大画面のネオンがときおり乱れ、誰かが流した映像の断片が空に跳ねる。群衆のざわめきが低い波となって街を巡る音が、凪の胸を微かに震わせた。

屋上の冷気が、鉄の手すりをかすめて舌先に刺さる。蒼井凪は逆光銃を抱えるようにして立ち、遠くの広場を見下ろしていた。大画面のネオンがときおり乱れ、誰かが流した映像の断片が空に跳ねる。群衆のざわめきが低い波となって街を巡る音が、凪の胸を微かに震わせた。

「――今がチャンスだ」黒川慎が背後で言った。息の切れた声に、いつもの冷静さは薄く混ざっている。彼の先には通信端末を膝に抱えた島村霧子がいて、画面に赤いアイコンが点滅していた。ミオは消毒用の布をぎゅっと握りしめている。四人だ。合意が必要とされる人数は、いつからかこの四人になっていた。

「合意って話だけど、霧子は反対だったわね」凪は小さく笑った。拳の中で逆光銃の銃身が冷たく震えた。金属の縁に映る夕日の逆光が、銃の輪郭を滲ませる。

「反対でも、選択は尊重する」霧子の声は硬い。指先で送信を止めるように端末を押し、画面の赤が青へ戻る。通信班のプライドは、賭けが大きければ大きいほど、慎重を要求する。「市民にどれだけの影響が出るか、計算できない。あなた一人が代償を払っても、それで誰かが傷つくなら意味がない」

「代償の話はもうした」凪は肩をすくめた。「単独使用なら、感覚の一部を失う。嗅覚、あるいは聴覚。それだけで済めばいいけれど、それがもっと厳しい時もある。承知の上でやる」

黒川が前に出る。顔に影が落ち、拳を握った。「それでもやるのか。全員が同意してないぞ。これまでのルールは守ってきた。共有した作戦だけを、逆光銃は実現する――そのはずだ」

「ルールには例外がある」凪が低く言った。「仲間の合意を無視すると、能力は敵にも作用する。私が単独で撃てば、政府側に同じ作戦を書き換えて流し込める。秩序の内側にある人間の行動原理を攪乱できる。内部の亀裂が大きい今、混乱を増幅すれば彼らは自らを縛りにかかる」

霧子の目が鋭くなる。「それは二重ではない。敵も味方も巻き込む危険がある。街の無関係な人間が、プログラムの犠牲になる可能性も消えない」

「それでもやるの?」ミオが震える声で訊ねる。彼女の指が包帯を押さえ、白い指先に力が入っている。痛みを隠そうとする横顔が、凪には痛々しかった。

凪は逆光銃に手を沿わせた。銃の側面に彫られた微かな刻印が、指の温度を吸って黒く滲む。合意を得ていない者たちの顔が短いフラッシュのように頭を過ぎる。彼らは一度でも「守る」と言った人々だ。しかし、守られる側が自分たちの選択を取り戻すためには、今この一手が必要かもしれない。

「もし私が撃って、街が壊れるなら……」凪は言葉を切って息を飲んだ。「僕はその代償を受け入れる。だが、ひとつ条件がある。君たちには自由に動いてほしい。誰も無理に縛らないでくれ。選ぶのは君たち自身だ」

黒川は顎を引き、長い間黙った。やがてゆっくりと頷いた。「分かった。やるなら全力でフォローする。だが、もし凪が戻らなかったら、僕らは……」

言葉はそこで途切れた。約束の重さが、屋上の空気を重くする。

凪は銃を構え、引金に指を掛けた。引金の感触は冷たく、金属の軋みが骨まで届くようだった。視界の端に、霧子の端末がわずかに光り、ミオが唇を噛むのが見える。彼女らの同意はない。だからこそ、これが裏道だと凪は思った。

「一、二、三」凪は小さく数え、息を整えた。息を吐くと、空気の粒が歯の裏で砕けるような音がした。指が引金を押し切る。

逆光が放たれた。

光は銃口から吐き出されるのではなかった。逆光は空気の間に薄い膜を引くように広がり、街の影を逆に填める帯となって滑った。ネオンが逆さまに燃え、群衆のシルエットが本来の動きとは違う方向へと舵を切るように見えた。遠くでパトカーのライトが点滅をやめ、兵士たちの行進が一瞬止まる。その瞬間、無音の波が首を撫でるように屋上を包んだ。

最初に失ったのは匂いだった。雨の匂い、焼けた油の匂い、誰かの香水――その全部が、凪の鼻孔から消え去った。世界が平坦になった。次に焼けつくような、耳鳴りが始まる。雑音が膨らみ、彼の耳は細かい音を取り違え、会話の輪郭が溶けていく。足元から伝わる振動だけが現実として残った。

「凪!」黒川が叫ぶ。だが、凪には言葉が届かない。ミオの声も、霧子の低い怒鳴りも、全部サーモグラフィーのように色のない振動だけが胸に伝わる。

逆光は、約束した通り敵にも作用していた。街の向こう側、凪たちが狙っていた政府施設の防護網が一瞬で再配線されるように見えた。兵士の無線が互いに矛盾する命令を送る。歩哨は指定されたルートを外れ、扉が自動で閉じたり開いたりする。凪の見た感覚の混乱に呼応して、政府側の秩序も狂いだしたのだ。

だが副作用は予想以上だった。大型ディスプレイに映るニュースフッテージが歪み、群衆の一部が一斉に立ち止まって空を見上げた。携帯電話の通知音が消え、交差点の信号が瞬時に無作為な赤青を繰り返す。無関係の市民が戸惑いの中で倒れる。凪の胸が痛んだ。これは戦術の成功ではなく、暴走の萌芽に思えた。

「早く、計画の二段目を!」黒川が叫ぶ。断片的に聞こえる言葉の意味を、凪は感覚から探り出す。彼は銃を抱えたまま、ゆっくりと視界の焦点を合わせた。仲間が自らの意思で動く必要がある。無理強いされた動きは、守られる側の選択を奪うものだと、凪は知っている。

同時に、屋上の端で霧子が端末をスライドさせ、幾つかの端末が自動的に群衆へ向けて安全情報を流し始めるのを感じた。彼女は合意しなかったが、避難ルートの提示は即座に行っている。自由の選択を守るためにできることを、彼女は自ら選んだのだ。

だがその瞬間、凪の胸の内で奇妙な感覚が芽生えた。逆光銃は、ただの道具ではなかった。銃の発射が街の規則を掻き回すと同時に、どこか遠くの別の光点が同調した。川の向こうの高塔が、一瞬だけ同じような逆光の帯で縁取られたのだ。

「誰かが、同じものを使った――」凪は言葉を出すのがやっとだった。声は耳に届かないが、彼の目は確かに、川の向こうの高塔の縁に生じた別の逆光の痕跡を捉えている。色のない残像が走り、その先に影がひとつ、黒く立った。

黒川の表情が険しくなった。「あそこに誰かいる。政府の側か、それとも――」

霧子が端末を操作する手を止めない。彼女の瞳の奥に、不安ではない確信が宿る。「映像が返ってきた。第三者が介入して、我々の発射を捕捉した。データを解析中――ああ、うそ……」

解析結果は言葉より早く、屋上の空気を変えた。逆光銃による作戦の効果が、単なる局所的な攪乱ではなく、別の“銃”と共鳴している。あるいは誰かが、それを待ち構えていたのかもしれない。

凪の耳鳴りは鋭くなり、視界の端が白く滲む。感覚の空白が広がっていく。彼は銃を抱えながら、仲間の顔を探した。彼らは自分の判断で動いている。選択は生きている。

「行くか、退くか」黒川が短く言った。問いは、凪自身に向けられている。凪は深く息を吸おうとした。肺は冷たく、肺腑に空気が入るタイミングが遅れているように感じた。

選択は、ここからだった。凪が一歩踏み出して政府側の混乱を突くか、銃を下ろして代償の重さを受け止めるか。だが、屋上から見た高塔の影は答えを出さない。黒い影が、こちら