風圧靴の演算士と発火侯爵

風圧靴の演算士と発火侯爵 第22話「第20章」

鉄と硝煙の匂いが尖った夕暮れの空気を引き裂く。塔の内部、螺旋階段に沿って造られた回廊は、たちまち戦場になっていた。壁板を叩く風が、まるで誰かの呼吸のように揃って「同意」を求めるようにうなったとき、紗良(さら)は息を呑んだ。

鉄と硝煙の匂いが尖った夕暮れの空気を引き裂く。塔の内部、螺旋階段に沿って造られた回廊は、たちまち戦場になっていた。壁板を叩く風が、まるで誰かの呼吸のように揃って「同意」を求めるようにうなったとき、紗良(さら)は息を呑んだ。

「カウント、あと四十秒。」

ユウキの声が、乾いた金属音の向こうで震えた。彼は手元の端末を片手で押さえ、もう一方の手で塔の外壁に残された配線を指先で確かめる。普通ならば配線の一つひとつが彼の計算に従って解読されるはずだった。だが今、端末の画面は揺れている。タイル表示が乱れ、人々の目は時折焦点を失っていた。

塔の中心に据えられた装置──同意収束装置。丸い金属棚のような本体から、無数の細い触手のような導線が群衆の方へ細く伸びている。導線が空気を引き、触れた者の肩を震わせると、その者の表情が一瞬、白紙のように変わった。

「紗良、デバイスの収束波形が広がってる。合意アルゴリズムが狭まって、周波数を乱している。これが起動したら──」ユウキの声に言葉が飲み込まれた。音は大きいのに届かない。装置の降音が人々の「決める」という運動を奪っていく。

仲間が集めた避難民の列は、出口に向かって揺れていた。カーラが子どもを抱え、レイが列の最後尾の老人の手首を掴んでいる。みんなの目は、今にも何かに引き戻されそうな脆さを孕んでいた。紗良は自分の風圧靴の感触を確かめた。踵から伝わる微かな振動、ソールの空気を噛む感覚。いつもならそれだけで彼女は読み、計算し、隊列を動かした。だが今は違う。

「使える?」ユウキが訊く。端末の表示は、風圧靴を媒介とした術式の発動準備を示している。術式は一度だけ、仲間と共有した作戦を現実へと変えることができる。だが条件がある──その合意が揺らいだ瞬間、術式は効果を失い、あるいは暴走する。紗良はそのことを、骨の随まで知っていた。

カーラが唇を噛んだ。「合意を取る時間なんてない。みんな、ここで同意してくれ! 今すぐ!」

「同意収束装置が操作してる。声に出して同意しても、意味がないかもしれない」レイの声が低く振れる。彼はいつも通り腕を組み、紗良の視界を遮るように立った。彼らは恐怖と責任の綱の上で揺れていた。合意を得るには、身体のそろった合図──同じリズムで踏み、同じ計画を頭の中で共有することが必要だ。紗良が提案するならば、それは一瞬で完結する儀式だが、誰もがその瞬間に真意を持っていなければならない。

「──僕は賛成だよ」ユウキが言った。だが彼の瞳は、心配と疲労で濁っていた。端末が示す残り時間は、三十秒、二十秒と減る。

紗良の心臓が早鐘のように鳴る。彼女は前世の記憶で、危険な現場の数字と確率を繰り返した。成功確率を最大化するには、三点の要素が必要だった。タイミング、共有された作戦の純度、そして周囲の無秩序を一時的に押しやる力。今、二つは欠けている。だが避難民は出口に近づきすぎている。合意を待てば、装置の影響で彼らは意思を失い、数は増える。選択の余地は狭い。

「紗良。」カーラの手が腕を掴んだ。彼女の指先は冷たく震えている。「私たち、やるわよ。ここで止めなきゃ。子どもたちが──」

紗良は目を閉じ、風圧靴の接地面に意識を集中させた。ソールは微かに歌う。仲間と同期することを脳内で反復する。合意のイメージを投げると、不思議とユウキの端末の表示が一瞬まとまるように見えた。だが装置の波形が、渦を巻くように歪んだ。

「でも、もし同意が偽りだったら」レイが引き止める。「同意を取ったつもりで動けば、術式は敵にも作用する。敵の反応が読めない。紗良、君だけが代償を負うのか?」

紗良は息を吐いた。代償の重さはいつも突然襲った。単独で術式を行使すれば、風圧靴は紗良の身体と神経に直接的な反動を返す。感覚の一部を失う。そう学んだとき、「失う」とはどの程度なのか、想像でしかなかった。だが今、失うことと、目の前にいる人々の生死が秤にかけられている。

残り時間は十秒。装置の導線が一人の避難民の襟首を掴むようにぴくりと動いた。子どもの目が一瞬、空白になった。合図は今だ。

「紗良、判断を」ユウキの端末が最後の数字を表示した。0──一瞬、世界が静止するかのようだった。装置の中心部が光を帯び、導線が群衆へと張り詰める。空気が薄くなる。世界はスローモーションに変わる。指先の汗の味、金属の匂い、誰かの小さな咳。紗良は決めた。

「私、いくよ。一度だけ、全部やる。」紗良は低く、確かな声で言った。合意を言葉で確認する時間はない。だが彼女は仲間の瞳を見回し、そこにあった小さな「やらなければならない」という意志を拾った。真意が完全である必要はない。彼らが瞬間的にでも、紗良の意図を共有したこと。それが今この場における「合意」だと彼女は判断した。

足裏に電流が走る。風圧靴が唸りを上げ、ソールから空気が弾けていった。紗良は片膝を曲げ、地面を蹴る。床板が振動し、回廊に沿って風が奔った。彼女の周囲に透明な幕が立ち上がるように、空気の壁が形成される。避難民の列はその壁の内側に包まれ、方向を保ったまま押し出されていく。炎と溶けた金属の臭いが壁によって遮られ、子どもたちの髪がくっきりと風に撫でられるのが見える。

だが、合意が完全ではなかった代償が、すぐに現れた。術式は、紗良の主導で局所的な作戦を一度だけ現実に変えた。だが同時に、合意の精度が欠けたため、術式の効果はターゲットを選ばずに広がった。風の壁は避難民を守ると同時に、塔の導線と同調した。装置の導線に触れた風が、逆に導線を震わせたのだ。

金属の悲鳴。装置の中心がひび割れ、そこから薄い蒼白の光が噴き出す。導線を伝っていた「同意」の信号が、風圧の急変で乱反射を起こす。塔全体が長い息を吐くように歪み、群衆の目がいっせいに虚空を見つめた。光景はあたかも時間が引き伸ばされたように、スローモーションで展開する──人々の口が開き、風船のように音が溶けていく。装置は群衆の意思を撹乱する同時に、紗良の術式を捕らえて反芻している。

その瞬間、紗良の身体に痛みが走った。まず、左耳が遠のいた。世界の音が片方だけで鳴り続ける。次に、足裏が頼りなくなる。風圧靴はまだ機能しているのに、紗良は自分の足の位置を正確に把握できなくなった。重心が今どこにあるのか、膝が何度曲がっているのか、体がいくつに分かれているのか。それを感じ取る感覚が、一部溶けて消えた。

「紗良!」カーラが叫ぶ。だが声は、半分しか届かない。紗良は右手で自分の靴を掴むように地面を探り、反動を制御しようと必死になった。風圧靴の振動は残る。だが紗良はかつて頼りにしていた「風を読む」感覚を、確かに失っている。風の微かな脈動を足で感じ、それを演算して隊の動きを決める──その能力の一端が、剥がれ落ちたのだ。

「戻れ、紗良!」ユウキが叫んで、端末から跳ねるように数値を繰った。だが彼の画面にも新しい波形が出る。装置のコアから、合意を吸い上げるような逆位相の信号が吹き出している。紗良の術式が導線に触れたため、装置は術式の「共有」のパターンを解析し始めた。瞬時、ユウキは気づいた。

「紗良、君の術式が導線にパターンを与えた。ここ──装置は合意した瞬