深海槍の修理師と天井評議会 第15話「第13章」
潮風が鋭く顔を切った。深海槍の黒い軸が海面に突き刺さり、朝の光が水しぶきを点描のように散らす。レンは槍の付け根に片手をかけたまま、胸の奥で鳴る鼓動を押さえつけるようにして、岸壁に集まった人々を見下ろした。歓声と抗議の声が同じ場所で交差し、紙がはためき、誰かの携帯が赤い録画ランプを示している。
潮風が鋭く顔を切った。深海槍の黒い軸が海面に突き刺さり、朝の光が水しぶきを点描のように散らす。レンは槍の付け根に片手をかけたまま、胸の奥で鳴る鼓動を押さえつけるようにして、岸壁に集まった人々を見下ろした。歓声と抗議の声が同じ場所で交差し、紙がはためき、誰かの携帯が赤い録画ランプを示している。
「レン! 聞こえるか!」と、ミヤが肩越しに叫んだ。彼女は防水の工具箱を抱え、海風に髪をばさつかせて立っている。ミヤの瞳には眠らない計算機みたいな冷静さがあり、だが今は手が震えている。
「聞こえるよ」レンは答えた――だが、言葉が自分の耳でこだまするのではなく、内部から薄く覆われた布を通して出てくるようだった。耳鳴りが残り、右耳が遠い。槍に触れた掌は少し冷たく、触れた感覚が遠ざかっていく感触があった。これは前に喪ったものに似ている。レンは喉を鳴らして、声を合わせるようにして続けた。「まず同意が必要だ。作戦は——共有してからだ」
だが群衆の先頭にいる一人、疲れた顔の代表者が前へ出た。名をサトリ。崩れかけた建屋から避難してきた彼は、腕に幼い女の子を抱いている。その瞳は必死だった。
「評議会はこれ以上待てないって言う。君の力で、あの通路を一度だけ通してくれれば、子どもたちが逃げられるんだ。お願いだ、レン。君がいれば——」
空気が固まる。誰もがレンの顔を見る。テレビカメラの一つが赤いランプで瞳を刺し、遠くから天井評議会の放送車が演説を流していた。「安全と秩序は我らが守る」と言う声が、場を埋める。張り出された見出しには「奇跡の修理師 市を救うか」と大書きされている。評議会の宣伝が、レンの肩に冷たい手を置くようだった。
レンは槍の軸をぎゅっと握った。深海槍は媒介だ。槍を通してレンが作戦を描き、参加する者全員の合意が揃えば、その瞬間に一度だけ、描いた戦術が現実となる。しかし条件を無視すれば、代償が降りかかる。単独で作動させれば、感覚の一部を喪う。合意が偽装されていれば、その「共有」が敵にも作用してしまう可能性がある。レンはそれを知っていた——身をもって知った。
「手短に言うよ」ソラがレンの横で低く言った。戦術士としての彼は、声を落としても威圧する。黒い防寒コートのポケットから薄いタブレットを取り出し、群衆の動線図を指でなぞる。「通路は狭い。突入・撤収の時間差を五秒以内にする。僕は上から取り込みをかける。ミヤは補強をする。だが、住民側の同意が無ければ駄目だ。評議会の放送は誘導している。映像の合意チェックをすり抜ける偽の署名が流れている可能性が高い」
ミヤがタブレットを奪い取り、画面に目を走らせた。「センサーはノイズを拾ってる。遠隔の合意ラインに中継器が介在してる。評議会が投票を偽装している……それでも、今ここにいる人間の挙手で本当の合意は取れる」
「彼らは疲れ切っている。判断力が落ちている。評議会の圧力で、我々に全委任したがっている人もいる。だが委任と同意は違う」レンの言葉はほとんど絞り出すようだった。視界の端で、評議会のシンボルをかたどった小型ドローンが黒光りしているのを見た。どうやら撮影用の耐候カメラに見せかけて、群衆の声を増幅していた。
「レン、君がやるのか?」サトリの声は震えていた。女の子がレンの靴先に触れて、靴底の冷たさが伝わる。レンはその小さな手を見下ろした。子どもの存在が選択をとがらせる。誰もが期待と恐怖の輪で縛られる。
だが合意がなければ、槍はただの鉄棒だ。レンは重く息を吸い、仲間を見た。ミヤは顎を噛みしめている。ソラはタブレットを差し出し、画面に表示された「同意」ボタンを素早く指で押したが、レンはそれを遮った。
「俺は一人でやらない。仲間と街の人の意思でやる。だが……」レンの言葉が消えた。右耳に、断続的な高周波のノイズが襲った。槍の軸が微かに振動する。空気が密度を変え、レンの周囲の音が細く切られる。心臓が浮くように高鳴り、目の端が白く滲んだ。
突然、崩れかけた通路の向こうから大きな音がして、砂と瓦礫が踊った。中にいた人影が暗闇から転がり出る。子どもたちの悲鳴が一つ、二つ、群衆の中で弾けた。時間は瞬時に巻き戻ったように残酷になる。
「――行くぞ!」レンは叫んだ。合意を取る時間はない。サトリの顔がゆがみ、女の子がさらに縮こまる。ミヤが「待って!」と叫ぶより先に、レンは槍を握り直し、膝を折って地面に体重をかけた。深海槍は海から何かを取り出す喩のように、レンの意思を受け取る。レンは計画を心に描いた。腕を振り、声は沈んだがはっきりとした命令の調子で仲間の名を呼んだ。「ソラ、上手に牽いて。ミヤ、橋脚を固めろ。住民は二手に分ける。右側は君が出す!」
ミヤの目が一瞬、レンを追った。おそらく彼女は合意の有無を数える余裕もなく、「わかった」と息を漏らした。ソラも頷き、数人の若者が即座に動き出す。合意は口先で集まったのではなく、行動で返された。槍はそれを受けた――しかし、受けた「共有」は不完全だった。評議会のドローンが放った光が、合流線の一部の映像を乗っ取り、偽の「同意」を逆写して群衆の反対側へと送り出す。
レンが感じたのは、刃物で切られたような鋭い痛みではなかった。むしろ、見ていた世界が一度だけ反転するような、理解の摺り替えだった。右視野が薄青くなり、左耳に深い抑揚が残る。次に、舌先から味が消えた。何かを確かめようとして頬に触れると、皮膚の感覚まで薄らいでいた。レンは膝をつき、舌で乾いた口の中を確認する。血の味がしない。感覚の一部が、確かに奪われていた。
同時に、予定したはずの「救出ライン」は思わぬ効果を生んだ。レンが描いていた瞬間移動のような動きは、味方だけでなく、同じ空間で動いていた評議会の小型部隊にも波及した。敵は突如として安全圏へと避けられ、逆に彼らの補給ラインが不意に保護された。瓦礫の間で息を詰めていた一人の軍服の男が、レンの目の前にすっと現れ、動揺した表情で銃を下ろしている。仲間はそれを逃した。
「何をした!」ミヤの声が冷たくなった。彼女は駆け寄り、レンの肩を掴む。レンはそこにいる安心感と、同時に襲う虚無の重さを覚えた。自分がしたことが救いでもあり、裏切りでもある。子どもたちのうち三人は無事に押し出されたが、一人は瓦礫の下で呻いたままだ。
評議会の放送車が歓声を上げる。アナウンサーの声は喋々とした興奮を帯びていた。「ご覧ください、我らの守護者が行動を起こしました! 秩序と安全が戻りつつあります――」
「やめろ」とソラが叫んだ。彼はタブレットを投げ、カメラに向かって走り寄る。映像が真実を映しているかどうかを知るために。だがもう遅い。世論は単純化を欲した。奇跡か、怪物か。レンの行為は両方の枠に押し込まれていった。
レンは膝をついたままで、手先の感覚がさらに薄くなっていくのを感じた。遠くで誰かが、救急の笛を吹く音がするが、レンにはそれが大海の波音と重なって聞こえた。ミヤはレンを抱き起こし、厳しく目を合わせて言った。「君は代償を見せた。評議会はそれを祝福のように見せかける。だが我々はこれを正しく使わなければならない。もう一度君が単独で決めるようなことはさせない。わかるか?」