玻璃拳の運び屋と封鎖都市

玻璃拳の運び屋と封鎖都市 第14話「第一部幕間」

コンクリートの屋根はまだ冷たく、夜の湿りを切り取ったように冷気を放っていた。リクは片腕を組み、掌のうえで小さく光るものをまじまじと見つめていた。玻璃拳――自分の拳が硝子のように透け、薄く寒い光を内包する現象は、今日も変わらずそこにある。光は指先から手首の摂動まで、不安定な網目を描いて揺れている。風が吹くたびに、網目は耳鳴りの代わりに彼の内側でさざめいた。

コンクリートの屋根はまだ冷たく、夜の湿りを切り取ったように冷気を放っていた。リクは片腕を組み、掌のうえで小さく光るものをまじまじと見つめていた。玻璃拳――自分の拳が硝子のように透け、薄く寒い光を内包する現象は、今日も変わらずそこにある。光は指先から手首の摂動まで、不安定な網目を描いて揺れている。風が吹くたびに、網目は耳鳴りの代わりに彼の内側でさざめいた。

「鳴ってるな」

声はアイリの。通信機と小さなプローブを抱えた彼女は、屋根の端に腰かけたままリクを見た。月明かりに、彼女のショートヘアが銀色に反射する。アイリは画面を一瞥して、画面の光を屋上へ投げた。画面の中では、古い門が硝子の波紋のように上方へ滑り、錆びた鎖が音もなく解けていく短い映像がループしている。

「試験用の記録。君がやったやつのコピー。今朝、ここから三つ目の通路まで届くだけの空間を確保できれば、本隊の搬送はずっと楽になる」

リクは手の光を指先で消すようにかぶせた。掌に残る温度はすぐに消え、残滓のようなひんやりが皮膚をなぞる。彼の耳は、この数週間で馴染んだ減衰を示した。遠い鳥の声はべったりと遠ざかり、ネオンの高音のチリチリはなぜか聞こえない。代わりに、胸の鼓動と、屋根のタイルに落ちる水滴の重い音だけが強く胸に入ってくる。

「もう一度確認したい。合意の手続きが正確に作動するかを。小さな路上で試すだけだ」

「合意の……手続き?」ミルが湯呑みを置きながら顔を上げた。手の指先に黒ずんだ傷跡があり、それを無意識に撫でている。サユは包帯を巻いたまま体を半分起こして、まぶたを細めた。「言葉で決めるだけじゃないよね? あのときは──」

言葉を切った。誰もが、あのときのことを避けるように視線を床に落とす。リクはそれを嫌だとは言わなかった。だが彼は、能力の起動手順を数回で済ませられるほど単純だとは思っていない。

「言葉と意志の同期だ。互いに対象と目的をはっきり確認して、同時に意思表示をする。合意の温度がないと網目が脆くなる。今日はそれを安全に検証する」

カズは刃を砥ぎながら軽く笑った。「検証、検証って。殺されかけた連中が検証に付き合ってくれるか、って話だな」

笑いは薄かった。カズの瞳には、疑念と、登録に傾きかけた者たちの顔がちらついている。登録──それは閉環が与える「保護」の名を冠した管理だ。推し量るような沈黙の中で、屋根の向こうに閉環の巨大な壁が黒く口を開けている。壁の向こうでは、昼も夜も同じ機械的な呼吸が聞こえてくるような気がした。

「いいか、三つの段取りでやる」アイリが指を立てる。彼女の声はいつもより冷静だ。「一、目的を言う。二、各自が『了承』と言う。三、私が合図をしたらリクが発動。合図前に誰かが拒否したら即中断。手順を飛ばすな」

みんなが短く頷いた。子どもが寝ているダンボールの隅の毛布が小さく揺れる。リクはゆっくり立ち上がり、皆の前に出た。手のひらを天に向ける。玻璃拳の光が指の腹に伝播して、小さな結晶のようにきらめいた。

「目的は単純だ。旧工場の第三搬入口を、三分だけでも安全に通過できる空間をつくる。人員と医療物資の循環。これ以上、野火のように散り散りになるのを防ぎたい」

「了承」サユが即答した。声には揺れがあったが、揺らぎの中に強さが宿る。「誰かの命を優先するなら、その方法を選ぶのは自分たちだってことだ」

「了承」ミル。拳をきつく握りしめる音が風に混じった。カズは目を細めてこちらを見たが、やがて口を開いた。

「……了承。ただし、俺は監視の位置に入る。万が一何かあったら、盾になる」

アイリが微かに笑って首を振る。「いつも通りね」

そして、アイリの端末の小さなランプがゆっくりと青から緑へ変わる。合図だ。彼女が手を振る。リクは息を吸い込み、玻璃拳を展開した。

光が指先から屋面へと流れ落ち、そこに薄い膜のような路が描かれる。ガラスの路は地面に沿って、錆と油の匂いを切り裂くように走った。路面の割れ目や汚泥を滑る光は、ほんの一瞬だけ世界の輪郭を変えた。ドアの金具に触れた光は、音もなく錆を溶かしていくように門を持ち上げた。空気が一瞬湿度を失い、遠くで犬が吠える。その合間、リクの中で何かがひび割れた。

高音が、すうっと抜ける。耳の右側で外側へ引き出されるように、金属的な高域が消え落ちた。鳴っていたはずの薄い金属の余韻が、ぷつりと途切れる。リクは瞬間的に目を閉じ、掌の光を手の甲で押さえた。てのひらの硝子はぱりぱりと砕ける音を立てたように感じたが、音は欠けている。痛みはなく、ただ内側にぽっかりと穴が開いたような空虚だけが残った。

「どうだ?」アイリの声が近い。彼女は手のひらを差し出し、走った路を指差す。門の向こう、三つ目の通路の角まで、光の道が確保されている。微かに揺れるその道は、確かに安全に見えた。

「機能した」ミルが言った。声が震えているのは、緊張のせいか、あるいはリクの様子を見てのものか。サユは立ち上がり、手を伸ばしてリクの肩に軽く触れた。「大丈夫?」

リクは首を振った。言葉を出す前に、自分の耳の欠落を確かめる。屋根の縁をすべる風のざわめき、高いところで鳴く小鳥の声の断片。いつもの世界が、ほんの一種類の色を失ったように細くなっている。彼の胸に、かすかに苦味が湧いた。

「副作用だ。使うたびに、何かを代償にしなきゃいけない」リクは声を絞り出す。だがそれは説明ではなく、通告だった。仲間たちは黙って頷いた。理解はしている。だが理解は、痛みを取り除かない。

そのとき、アイリが端末を再び操作して、画面に別のウィンドウを重ねた。静止画像が現れ、真ん中に赤い識別コードが点滅している。字幕が小さく走る。リクはそれにひかれて画面を覗き込んだ。画面の中の文書は、よく研磨された公文書のような体裁だった。封印の印、部門名、そして──見覚えのあるオペレーションID。

「これ、何だ?」カズが前に出た。カズの手が思わず端末に触れる。アイリは画面を少しこちらへ傾ける。

『統合運用・模擬展開/OP-ID:R-37A』(一部黒塗り)

リクの胸の中で文字が燃えた。R-37A。昔、彼が名前を与えられずに関わった作戦番号に似ている。そのときの数字は、彼が今でも夢に見る機械の回路の断片と同じ刻印を残していた。手術室の明るさ、白いカーテン、そして計画書に刻まれた矢印の群れ──あの感覚が、蟻の行列のように彼の首筋を這い上がる。

「これを拾ったんだ」アイリが言った。彼女の声は刃物のように正確だった。「閉環の管理局から流れ出た内部メモ。表向きは廃止済みのプロジェクトってことになってるけど、技術の応用先と実装方法の断片が残ってる。見て。『合意型操作媒介』ってあるでしょ。文言はあんたのやってたのと同じ概念だ」

言葉の波紋が屋根の上を伝った。ミルの顔が青ざめ、サユの指先が端末の縁をぎゅっと締める。カズは笑い声を呑み込み、代わりに短く息を吐いた。

「つまり、閉環が使ってる管理の骨子は、あんたの力と同じ……いや、あんたの力そのものから派生してるってことか?」ミルが囁いた。問いは自分たちを縛る鎖を確かめるようなものだった。

リクは端末の中の細かい注記を指で