月を裁く鍛冶師は人間でいる

月を裁く鍛冶師は人間でいる 第1話「序章」

広場の石畳は血のように赤く照らされていた。夜の帳を切り裂く三日月が、いつものやさしい白ではなく、芯まで赤く染められたかのように光を引いている。月の輪郭は、機械仕掛けの巨刃が振り下ろしたかのように、左半分が深く欠けていた。その欠け目を縁取るように、巨大な鉄の輪が立っている。輪の中心には、細長い刃が十字に並んでおり、刃先からは黒い蒸気が蠢いていた。

広場の石畳は血のように赤く照らされていた。夜の帳を切り裂く三日月が、いつものやさしい白ではなく、芯まで赤く染められたかのように光を引いている。月の輪郭は、機械仕掛けの巨刃が振り下ろしたかのように、左半分が深く欠けていた。その欠け目を縁取るように、巨大な鉄の輪が立っている。輪の中心には、細長い刃が十字に並んでおり、刃先からは黒い蒸気が蠢いていた。

「罪人、表へ出ろ!」

高台に据えられた台座の上で、裁司長が声を張り上げる。彼の装束には金糸が走り、胸の章符が月の形を象っていた。群衆は押し寄せ、恐怖で震えながらも秩序を保とうとする。台座の脇には兵装を纏った終裁隊が並び、金属が擦れる音が寒々しく響いた。

その時、石畳を走る靴底の音が一つ、ほかの声を呑み込んでいた。鍛冶屋の前掛けを羽織り、左腕に黒い火傷の痕がある男が乱れた髪を抑えつつ広場へ駆け込んできた。彼の名は鐘城柊(かねしろ しゅう)。鍛冶師だが、朝夕の鍛金だけで飯を食わせているわけではなく、噂では「証言を刃にする」能力を持つ、とも言われていた。噂は怖れと羨望に満ち、柊自身はその半分を否定したが、今は否定している余裕がない。

「止めろ! 誰か、止めてくれ!」

柊の呼び声は人の壁に阻まれ、裁司長には届かない。だが、その目は刃の回転に釘付けだった。刃が下がり、刃先から噴く黒い蒸気が群衆の中の何人かを探る。蒸気は触れた者の胸に小さな黒い印を刻み、印を受けた者は急に目を見開き、泣き叫びながら膝を折れる。終裁隊は冷やかに刻印の確認を行い、何人かを台へ引き上げた。

「彼らは罪を自認し、刻印を受け入れた。月は裁く。裁が下れば秩序は保たれるのだ」

裁司長の声は高慢で、整然としている。観衆の中には同意の息が漏れた者もいた。だが、台の上に引き上げられた少女の足元だけは震えが止まらない。十代前半の黒髪が乱れ、顔は泥と涙で汚れている。彼女は必死で何かを口ごもる。柊はその表情を見て、足を踏み出した。

「待て!」

柊が進んだ瞬間、終裁隊の一人が槍先で彼を制しにかかる。槍の先が柊の胸に触れるか触れないか、風圧が走った。柊はふいに手を伸ばし、胸から前掛けの紐をはがして声を放った。

「聞かせてくれ。おまえが何を言いたいのか、誰が傷ついたのか。名を、理由を——」

柊の言葉は、ただの呼びかけではなかった。鍛冶屋の鼻先にある温度計のように、人の「語り」がそこに引き寄せられる。少女の口元が震え、声が零れ落ちた。最初はかすかだった言葉が、柊の心の中で確かな刃の輪郭を描いていく。彼は言葉を受け止めると同時に、近くの鍛冶炉の蓋を乱暴に開け、鉄を鞴(ふいご)へと押し込んだ。

火の熱が顔を焼く。汗が目に入り、塩の味が舌に残った。柊は言葉を鋳型に流し込むように、聞いた証言を手のひらで形作る。赤熱した鉄が光を放ち、彼の手先でしなる。言葉は金属の中で鳴り、冷えるときに声を封じ込める。彼は何度も何度も繰り返し、少女の証言を一枚の薄い鋼の板へと押し固めていった。

「助けて。母さんが——母さんが……」

刻まれる声は生々しく、柊の耳には何度でも繰り返される。だがそのたびに、彼の胸の奥から一つの記憶がするりと抜け落ちるように消えていった。最初は小さなものだった。子供の頃に使った古い鍵の形、鍛冶屋の隅の溝の匂い。次に、手のひらにある小さな火傷の由来の断片が薄れ、やがて自分がいつからこの能力を持っているのか、という線が薄くなる。

「柊さん!」

弟子の声が耳に入る。内川という若者だ。彼は柊の足元で唾を吐きながら、必死に後ろから両肩を掴んで止めようとする。だが柊は顔を上げ、鋼板を手に取った。鋼板の表面には、少女の声が振動して閉じ込められている。柊はそれを少女の胸元へかざした。

「これが……お前の言葉だ。忘れないでくれ」

少女が鋼板に触れた瞬間、彼女の目に小さな安堵が差した。だがその代償の冷たさはすぐに現れた。鋼板に触れた指先から、黒い結晶のような粒がほんの一瞬、立ち上った。周囲の空気が歪み、台座に組まれた刃が赤く震えた。終裁隊の一人が低く笑った。

「面白い趣味だ。証言を保存する職人か。裁判所に持ってくれば高く買うぞ」

裁司長の視線が固まる。彼はゆっくりと台を下り、柊へと近づいてきた。群衆のざわめきが一斉に止まり、石畳に足音だけが響いた。

「お前、その――能力は、我々にとっても価値がある。人の罪を記録し、裁きの正当性を示す。それを我らが用いれば、混乱は永遠に抑えられる」

裁司長は微笑んだ。だがその微笑みは、柊の奥底に冷たい不快感を残した。柊は鋼板を抱えるように胸に押し付け、息を整える。

「俺の仕事は記録ではない。人を人として、戻すためのものだ。忘れられた言葉を取り戻すために鉄を打つ。裁きの道具にはしない」

言葉に固さがあった。だがその硬い言葉のあとで、柊の表情が崩れた。彼の額を伝う汗が、一つのイメージを溶かしてしまったのだ。それは幼い日の、ある約束の場面。誰と交わした約束だったか、彼はその名を思い出せない。口元にあった笑みだけが残り、名は霧の中に消えた。

「無理だ」

裁司長は肩をすくめ、かすかな不満を滲ませる。終裁隊の隊長が命じる。「彼を拘束し、鋼板を押収する。裁の記録に加える」

徒党が柊へと迫る。内川が床に膝をつき、必死に柊を引き戻そうとするが、押し返される。柊の掌の中では、少女の証言が硬い金属の歌を低く唸らせる。

その時、少女が叫んだ。

「やめて! 私は違う! 違う!!」

叫びは鋼板の中で反響した。だが台座の刃は止まらなかった。刃が一つ、静かに落ち、石畳に深い溝を刻む。その溝からは、黒い染みが滲み出し、群衆の一人の膝元に滑り込んだ。染みは人の衣を黒く染め、呼吸を荒くさせる。柊はその瞬間、あの禁止事項を思い出した——救済を無理に押し付ければ呪いは増幅する。だが思い出したのは言葉だけで、何故その言葉が禁忌なのかの理由は既に彼の胸から欠け落ちていた。

「逃せ!」

内川が怒鳴った。彼は柊の手を振りほどき、鋼板を自分の上着に押し込んだ。終裁隊の槍がその胸へ突き出る。だが、内川の決断は刃を逸らす時間を生んだ。柊は鋼板を掴み返し、内川の肩越しに群衆の方を見た。そこには、刃の振るわれた者たちの顔があった。恐怖、諦観、そして時折見える冷たい光——見過ごされた痛みが整列している。

「これ以上やるな」

柊の声は低かった。彼は鋼板を高く掲げ、まるでそれが盾であるかのように前へ出た。裁司長の足が一瞬止まる。だが終裁隊の人数は多い。柊の脇腹を槍先が擦り、痛みが走った。鉄が彼の皮膚を引き裂く。血が一滴、鋼板の表面に落ち、まるで血の印が新たな証言を求めるかのように蒼く光った。

「これを……届ける」

柊は嗄れ声で言い、倒れた少女に向けて鋼板を差し出した。少女は震えながらも手を伸ばし、鋼板をしっかりと握った。その瞬間、少女の瞳に過去の貌が戻る。父の手、家の匂い、泥だらけの路地。だがその輝きは長く続かなかった。鋼板を握ることにより、彼女は声と記憶を一つにしてしまった。柊はそれを見て、胸が張り裂けるように痛んだ。

「忘れるな。お前の言葉を、誰かが持っていなくなるな」

だがその言葉が