骨に歌う孤児は最後の村を守る 第29話「巻末特別章」
川縁の石段に腰を下ろしたレンは、骨を膝の上に乗せてじっと見つめていた。夕闇が村の屋根をじりじりと溶かし、遠くの番小屋のランプがぽつん、ぽつんと灯る。風は若干湿っていて、藁屋根の匂いと土の匂いが混ざる。骨は冷たく、ひんやりとした手触りの中に人の気配を含んでいた。表面の細かなひびに沿って、かすかな赤い筋のような光が脈打つ。呼吸を詰めるほどの静けさの中で、骨の声がわずかに漏れるように鳴った。
川縁の石段に腰を下ろしたレンは、骨を膝の上に乗せてじっと見つめていた。夕闇が村の屋根をじりじりと溶かし、遠くの番小屋のランプがぽつん、ぽつんと灯る。風は若干湿っていて、藁屋根の匂いと土の匂いが混ざる。骨は冷たく、ひんやりとした手触りの中に人の気配を含んでいた。表面の細かなひびに沿って、かすかな赤い筋のような光が脈打つ。呼吸を詰めるほどの静けさの中で、骨の声がわずかに漏れるように鳴った。
「……来い、来い」
それは被害者の断片的な声であると同時に、どこか過去に響いた母の低い子守歌に似ていた。レンはその一節に手を当て、指の腹で冷たい表面をなぞるようにして、小さな像を呼び出した。白い骨の上に、擦り切れた家の戸口、炎の匂い、そして子どもの泣き声が薄紅色の映像として震えた。映像は断片で、縫い合わされたように途切れ、真実の輪郭を拾い上げるには不十分だった。証骨は、正確に言えば「声」を縫う。骨に触れた者の言葉が、消えた者の断片と結びついて真を形作る。
「やればいいって言ったのに」
背後で低く、不満混じりの声がした。振り返るとミサが両手を腰に当て、濡れた毛布を肩にかけて立っていた。タルクは石段の下で腕を組み、顔に雨の跡が残る。ハイネは、黒い包み布を抱えたまま、レンより一歩引いたところにいる。巡礼者エラは、膝を抱えて座り、唇を噛んでいる。小さなリオがレンの隣に腰掛け、手をぎゅっと握り締めていた。みな、遠くを見ているようで、しかし目はレンに向けられていた。
「もう二度と使わないって誓ったじゃないか」とミサは言った。「それで誰が守るの。あんた一人で全部背負うつもりなら、私たちが見ていられない」
レンの指先が骨の冷たさを確かめる。触れるたびに、幼い頃の断片が薄れていく感覚がある。影絵のように形だけ残り、輪郭が溶ける。母の笑い声の高低、父の手の匂い、最初に眠りについたときに教わった呪文の一節──それらが少しずつ、紙の裏になぞった鉛筆線のように薄れていくのを彼は感じていた。証骨を開くたびに、真実は増え、レンが大事に持っていた記憶は代わりに空白を残していく。
「わかってる」とレンは低い声で答えた。「でも、これがなければまた誰かが消える。誰かが――」
言葉を切る。タルクが前に出て、爪先で石を削る。彼の顔は日焼けで硬く、喉から出る声はざらついていた。
「真実を見せるだけで終わるならそれでいい。だが、見せたあとで我々が何をするかも問題だ。報復が来るなら、あんた一人の記憶削りで済む話じゃない」
ハイネが深く息をついた。彼女は統御院と折り合いをつける方向を以前示していたが、今は言葉を選んでいる。包み布の端を指で撫で、ゆっくりと言った。
「救済を強制すれば呪いは応じて大きくなる。強制は呪いの餌だと、エラから聞いた。だが選択と共有は違う。代償は分け合えるかもしれない」
エラが顔を上げ、その目に古い痛みが宿る。彼女は、彼女自身の選択が誰かを救うために何を奪ったかを知っている。だが今夜、彼女は我慢できない感情を押し出して言った。
「ここにいる皆の言葉を、骨に預けてみてはどうか。被害者の断片だけでなく、私たちが見たもの、感じたこと、選ぶ意志を。もしその声が重なれば、骨の歌は一人の喪失を欲しがらないかもしれない」
レンはその提案に小さく息を呑む。身体のどこかが疼く。使えば消える。だが今、骨の表面を見れば、そこには求める声だけでなく、渇望が宿っていることがわかる。渇望は使用のたびに肥大し、呪いの器を満たす。その器にどう水を注ぐかは、差し出す者次第だ。
「分かるのか?」ミサが問い詰める。夕風が彼女の髪を揺らし、ざらりとした声が夜に溶ける。「分かるなら、どうやって減らすんだ」
レンは骨に触れたまま、深く息を吸った。骨は微かに震え、白い表面に映像の裂け目が一瞬開いた。そこに、一軒の小屋の窓辺、幼い自分が膝に乗せたぬいぐるみの顔、母の手が映った。それを見てレンの胸が収縮する。母の指先の温度に喉が詰まる。記憶は消えかけているが、まだ完全には消えていない。もしこの場で骨に全ての決定を委ねれば、もっと大きな空白ができる。
「やるなら、皆でやる」とレンは言った。「一人に押し付けるわけにはいかない。骨の歌を一つに縫うなら、縫い手は一人じゃない方がいい」
一瞬の沈黙。タルクの顎が引き締まり、ミサの唇が震えた。ハイネは包みを抱え直し、エラは眉間の皺を緩めた。リオは小さく頷いた。子どもの決断は無垢で、しかしその無垢さが周囲を動かす力を持っていた。
「どうするんだ?」タルクが問う。その声には問いかけるより選ばせる口調があった。
レンは骨を両手で掲げた。冷気が手のひらから腕に伝わり、まるで体内の何かを引き出すような錯覚が起きる。彼は閉じた口を開き、ゆっくりと一言だけを骨に向けて囁いた。
「誰を、そして何を守るか。私たちがここにいる理由を、声にしてください」
最初にミサが口を開いた。短い言葉だった。誰かを守るために犠牲を払っても、その犠牲に顔があるべきだと彼女は言った。タルクは続け、見たことのある小屋の裏、鉄の匂い、消えた足跡を語った。ハイネは政府と交渉した日の硬い椅子を思い出し、板の冷たさを言葉に乗せた。エラは祈りの一節を静かに唱え、言葉が骨に吸い込まれていくのを感じた。
リオは最後まで黙っていた。小さな手が骨の縁に届きそうで、しかし躊躇う。レンはその手を見て、膝の上の記憶の一つがじわりと欠けていくのを感じた。やがて、リオは肩を竦めて虫唾のような声で言った。
「おかあさんが教えてくれた、ここに帰るって約束。守るって約束。私は――それを守りたい」
言葉が骨に溶けると、骨の表面に映像の層が幾重にも重なり始めた。被害者の断片と、生きている者たちの記憶と意志が並列に流れる。映像は以前より鮮明だった。声が重なった分だけ、輪郭が立ったのだ。冷えた手に伝わる感触は同じでも、痛みの中心はレンだけに留まらないことがわかる。むしろ、ひとつの映像を成立させるには複数の人の声が必要だということが、骨自身の振動から語りかけてきた。
「こういう形もあるのか」とハイネが息を漏らす。「一人の記憶を差し出すのではなく、私たち皆が少しずつ手放す。呪いは分散する……かもしれない」
「かもしれないだって」とタルクが突っ込むが、以前のような激しさはない。皆が自分の内部を覗き込み、どこを削るかを順番に選んでいる。誰も強制しない。語ることを拒む者がいれば、その者の意志も尊重される。骨は喉の奥から一つの歌を紡ぎ、そのメロディは以前より柔らかい。だが柔らかさには裏がある。啼くような音の中に、低く、確かに増幅の気配が潜んでいる。救済を強要すれば、歌は再び牙を向く。だが選択が自主的であれば、歌は人を繋げる糸へと変わるかもしれない――その可能性の差が、今ここにある。
レンは両手をじっと見つめた。誰かの一言を引き出すたびに、胸のどこかに穴が開くような感覚が走る。母の顔がまた一つ薄れていく。しかし同時に、周囲の声が骨に刺さり、失われた輪郭を埋めるようにしていく。記憶の総量は変わらないのではないか。分配されるのではないか。彼の中で、忘却は孤立した喪失ではなく、共有された空白