骨に歌う孤児は最後の村を守る 第16話「第14章」
寺の跡地は、冬の午後の光を薄く割っていた。崩れかけた屋根の隙間から差し込む光が、石の祭壇の上に置かれた白い骨の断片をひとつずつ撫でる。断片は小さい歯のようなもの、裂けた肋の先端、指の骨かもしれない短い棒状のもの――それらはレンの前に扇状に並べられて、微かに震えていた。音はないはずなのに、そこだけ風が鈍い歌を吐いているように聞こえた。骨の歌だ。刺すように冷たく、それでいてどこか人声に似た周波が混じっている。
寺の跡地は、冬の午後の光を薄く割っていた。崩れかけた屋根の隙間から差し込む光が、石の祭壇の上に置かれた白い骨の断片をひとつずつ撫でる。断片は小さい歯のようなもの、裂けた肋の先端、指の骨かもしれない短い棒状のもの――それらはレンの前に扇状に並べられて、微かに震えていた。音はないはずなのに、そこだけ風が鈍い歌を吐いているように聞こえた。骨の歌だ。刺すように冷たく、それでいてどこか人声に似た周波が混じっている。
「おい、レン、本当にやるのか?」ジンが祭壇の縁に片手を置き、指先に血が滲んでいるのをレンは見た。ジンの声はいつもより低かった。元軍人の肩には、戦場で覚えた抑え切れない焦燥が残っている。
レンは指先で小さな断片をつまみ上げた。表面は紙よりも薄い冷たさで、骨の目はどこか渇いた光をたたえている。彼の掌に触れた瞬間、骨の縁が唇のように震え、細い音――子供の声の切れ端が、骨の隙間からこぼれた。
「ここは……ここにいた……」声が重なり合い、空気の温度が変わった。レンの胸にいつもの感覚が戻る。能力が働く。彼は証骨を介して、これまで集めた証言の断片を一つの旋律に紡ごうとしている。だが紡ぐたびに、何かが代わりに失われる。それが代償だと彼は知っている。
セラがレンの横で息を詰めた。彼女は小柄だが、眼差しは強い。彼女はいつも、レンの歌が誰かを救う力になると信じてきた。だがそのために何が奪われるかを、最近になってはっきり見てしまった。
「今回は、強くなるよ」とレンは言った。声に震えが混じる。彼はもう幾つもの夜を、骨の断片が見せる映像と自分の薄れていく記憶の間で過ごしてきた。証骨は、当事者の声を「束ねる」ことで真実を提示する――だが束にすればするほど、自分の中の大切な何かが薄れる。父親の手の温度、飲み慣れたパンの匂い、子供のころ抱いた約束。細かいものから始まり、やがて名前や顔までが霧になる。
レンがもう一つの断片を置くと、骨は低い和音を発した。祭壇の上で音は広がり、光の粒子が羽のように舞った。映像が立ち上がる――過去のどこか、統御院の兵が丸腰の集落を囲む場面。叫び。泥で濡れた足。子供が親の裾を掴む。その記憶は当事者の目線で鮮明に現れ、レンはその痛みを身体で受け止める。だが映像が消えた瞬間、レンの胸にぽっかりと穴が開いたような気配があった。
「お前の妹の名前、なんだっけ」とジンが訊く。冗談ともからかいとも取れる口調で。
レンは答えられなかった。そこにあったはずの短い名前が、舌の上で溶ける砂のように滑り落ちる。口の中に残ったのは冷たい金属の味と、遠い日の笑いの欠片だけだ。怒りが、焦りが湧き上がる。
「忘れてる――」セラが震える声で言う。「あんた、こんなに使って……もう限界じゃないの?」
レンは証骨の残りを見る。まだいくつかの破片が並んでいる。全部を束ねれば、もっと大きな真実を晒せるかもしれない。統御院の祭器台に組み込まれている装置の設計図、強制投票の方法、呪印が人々の選択をどのように逆流させているのか――彼はそれらを一つに繋げれば、「見える」形にできると感じていた。
「見せなきゃ、意味がないんだ」レンは言った。言葉は短く、決然としていた。だが手が震える。
アルは静かに祭壇の周りを回り、指先で断片の縁を確かめた。アルは村の記録を調べてきた年長の書記で、冷静に事実を扱うことを旨としている。だが彼の顔にも影が落ちている。彼もまた、証骨の代償を見てきた。忘却はレンの個人的な損失であるだけでなく、記録の欠落となり、共有される歴史の空白となる。頂点に立つ者が知る心を持たない人間になったなら、真実を語る器は壊れてしまう。
「全員の合意が必要だ」アルは言った。声は冷たく、律義だった。「レンが一人で決めれば、それは暴走だ。証明は集団のものにならねばならない。さもなければ、また誰かを救ったはずの瞬間が、別の呪いの種になるだけだ」
そのとき、外から足音がした。軽やかだが慌てた足取り。リクが駆け込んできて、息を切らせながら顔を上げた。若い顔に、見たことのない焦燥が乗っている。
「待ってください!」リクが叫んだ。「広場で、呪印が――あの兵が来て、村人に押し付けてる。強制してる。彼らは受け入れるように言ってる。もしあのまま――」
リクの言葉は途切れ、震える。セラが顔色を変えた。ジンの拳が竦んだ祭壇に落ちると、骨の一片がカタリと音を立てた。レンの胸に、ある種の決意が滑り込む。現場は今まさに動いている。証骨を今使い、あの場の声を束ねて見せれば、人々の強制された選択を白日の下に晒せる。だが――その代償として、もっと大事なものを自分が失うかもしれない。
「行くべきだ」とジンが言った。「待てるか? あいつらのやってることを放っておけるのか?」
「私も行く」とセラが答えた。迷うことなく、現場へ向かう決心だ。だが彼女の眼はレンに戻り、問いを投げてくる。レンは頷いた。彼は立ち上がり、残りの断片をぐっと掴んだ。骨は冷たく、微かに歌う。
彼らが寺の外へ駆け出すと、空気を裂くような叫びと、遠くで祈りの声のようなものが混ざるのが聞こえた。広場では統御院の兵と、数人の供述者――強制された顔で呪印を押されようとしている村人たちがいた。兵は表情を隠し、儀式の装束をまとっている。呪印を押された者は一瞬痛みで顔を歪め、次の瞬間、無表情になっていく。
レンは証骨を掲げた。骨が光を取り込み、低く唸る。彼は束ね始める。音符のように断片を組み合わせると、声が増幅され、村人たちの目の前に映像が層となって立ち上がった。前にあった被害の場面、いくつもの証言が重なり、兵の行為が強制であること、統御院が呪印を用いて人々の選択を「上書き」していたことを、明確に示した。
群衆の中にいた老人が膝をついた。ある者は顔を覆い、ある者は思わず兵を打ち据えそうになる。だが、その瞬間、空気が震えた。呪印を押された若い女の首筋に浮かんでいた紋様が、黒い花のように広がり、村人の腕へと走るのを、レンは見た。証骨の歌が「救済」を強制したのだと錯覚したのかもしれない――彼が真実を示すために骨の力を使った瞬間、呪いの流れが脆弱な人々のまわりで反発し、黒さを増した。
「止めろ!」セラが叫んだ。だがその声は届かない。レンの視界の端から、自分の大切な記憶が一つ抜け落ちるのを感じた。木の表皮の匂い、幼い頃の昼寝の感触、母親の手の皺の具合――些細なことほど先に消える。彼は慌てて証骨を手から放したが、その直後、味覚の一部まで消えていくような感覚が走った。
ジンが兵の一人に飛びかかり、混乱が走る。アルは呪印の黒い蔓が広がるのを見て、紙に書かれた古い図を取り出した。図は統御院の呪術装置の平面図。そこに描かれてあったのは、無数の小さな歯車と、それをはめ込むための「骨」の形状だった。アルは震えながら言った。
「これと――合う。断片の輪郭が、この装置の歯形にぴったりだ。組み合わせることで、映し出す側にも、受け止める側にもなる。双子の設計だよ。彼らは呪いを回すために骨を用いた。お前の証骨は、その反転をもたらす鍵かもしれない」
その瞬間、レンの目に、骨片が一つずつ巨大な歯車へと嵌っていく幻が見えた