骨に歌う孤児は最後の村を守る 第10話「第9章」
朝の土はまだ冷たく、村の道を歩く者の足跡はゆっくりと、見えない摩耗で消えていった。レンは門外の低い土塀にもたれ、指先で手のひらをこすりながら、昨夕の夕焼けを思い出そうとした。だが色は薄く、橙の広がりを思い出す代わりに、いつも口ずさんでいた子守歌の一節だけが、ふわりと消えかけている。
朝の土はまだ冷たく、村の道を歩く者の足跡はゆっくりと、見えない摩耗で消えていった。レンは門外の低い土塀にもたれ、指先で手のひらをこすりながら、昨夕の夕焼けを思い出そうとした。だが色は薄く、橙の広がりを思い出す代わりに、いつも口ずさんでいた子守歌の一節だけが、ふわりと消えかけている。
「どうするんだ、レン」
アイナが脇から言った。矢袋の皮が擦れる音が、冷たい朝に小さく鳴った。彼女の顔には昨夜の痕跡——歯ぎしりの跡、拳の内出血の紫——がまだ残っている。レンは何も答えずに、土塀の向こうを見た。あの日から村は二つの流れに分かれている。抵抗の声、屈服の沈黙。どちらにも正しさはない。だがリオの捕縛が真ん中を貫いた。
「ひとりで行くつもりなのか」とトオマが言う。鍛冶屋の手はまだ荒れていて、掌の筋肉が張っていた。彼はいつも慎重だが、今朝の声はさらに低く、何かを押し殺している。
レンは手にもっていた小さな骨笛に触れた。骨は冷えていて、指先にざらつきが残る。使うたびに薄くなる――それが彼の代償だった。薄れていくのは、歴史や法などの他人の記憶ではない。自分の一部分、名前や色の記憶、眠れなかった夜の匂い。大切にしているはずのものがひとつ、またひとつと剥がれていく。だが今は、リオの声がまだ耳の中にあって、それを消すわけにはいかない。
「単独で行く。奴らの輸送は昼に出る。――塔へ向かうらしい」
塔とは、統御院が管理する収容塔だ。そこでは呪いの秩序を記録し、必要ならば保存する。保存という名の命令。レンの胸に薄い痛みが走る。塔に入れば、強制的な救済が行われることもある。対象者は言葉を奪われ、代わりに制度の真実が押し込められる。リオはその標的になっている。「救済」の名のもとで彼が何をされるか、想像するだけでレンの骨笛は震えた。
「待て」とマーラが声を上げた。年寄りの女の人で、昨日は集会で何か言おうとして押し黙った。マーラは手に小さな裂けた袋を握っており、中には牛の骨片が見えた。レンはそれを見て、ふと立ち止まる。村の骨の断片は、小さな証言だ。誰かが何を見たか、誰が何を感じたか。レンは骨を媒体として声を束ねる。束ねた声は、官吏の前で真実を突き付ける力を持つ。だが束ねるほど、自分の内側から何かが剥がれる。
「私たちだけで行けるわけがない」とマーラは言った。「門は固い。外には統御院の巡回がいる。私の孫を守るっていうなら、皆で考えを合わせないと」
アイナは震えた。トオマは黙ったまま、レンの手元の骨笛を見る。レンもその目を見返した。全員の意志が一瞬、彼に集まる。仲間たちは自律して考え、選び、行動している。レンは一人で解く役割を背負うのではなく、選択をつくる役を担うべきだと知っていた。だが目の前の時間は短い。
「まず、情報を引き出す」とレンは決めた。強制は最終手段だ。出来ればリオ自身の声で真実を渡させたい。だがそれには相手が聞く余地を持たねばならない。レンはマーラに近づき、袋の骨を一つ借りた。指先に入る粗い感触。マーラは無言で頷いた。
レンは骨笛を口に当て、低く、唇を震わせるように息を吹き込んだ。音は風と骨の間を滑り、村の路地を満たした。音に合わせてレンの指が空中で小さく動き、彼の意図が骨の隙間を縫う。骨は応え、人々の中に潜む断片的な声を引き出す。パンを焼く女の汗ばむ匂い、子供の手の小ささ、荷車の車輪音。声は寄せ集められ、ひとつの流れになる。それは合唱とも祈りともつかない、しかし不可抗力で真実を帯びた波だった。
音が通り過ぎた先の森の外れで、軍の小隊が荷をまとめている。統御院の巡官たちだ。レンは目を凝らし、音の糸を伸ばして彼らへと触れさせる。骨笛の音はまるで鏡のように、向こう側の心に映るものを掻き出していった。一本また一本と、兵士の記憶が露呈する。飢えの夜、命令に怯えた日の感覚、誰かに与えられた微笑み。
一人の若い巡官が肩をすくめ、武器を下ろした。誰かが呟いた。「それは……本当だ」――骨の合唱が彼の胸の奥の、忘れかけていた事実を叩いたのだ。レンはその瞬間、心の中にぽっかりと空白を感じた。自分の生まれた季節の名前が、指先から落ちていく。そこにあった景色が一枚、剥がれた。
「やったのか?」アイナは期待と恐怖が混じった声で言った。巡官が手を上げるのを見て、彼女の目は戦闘の虫を映していた。トオマはその反応で歯を食いしばり、レンは骨笛を下ろした。成功の匂いは、ほのかな血の香りと似ている。
だが祝う間もなかった。巡官の隊長が地面に膝をつき、何かを掻きだした。骨の合唱と不協和音をなすように、彼は掌から薄い器具を取り出した。小さな彫りの入った骨片だ。レンの骨笛と共鳴するような彫り。器具は巡官の胸に押し当てられ、低い音が周囲に広がる。レンは背筋に冷たいものを感じた。相手もまた、「骨」を道具にしていたのだ。そしてそれは、ただの道具ではない。統御院の紋章がその彫りに刻まれていた。
「統御院の道具だと?」とトオマが吐き捨てるように言った。マーラの顔が青ざめる。
巡官の隊長は苦笑いを浮かべた。「我らは秩序を守る。骨は使い手によって秩序にも、混沌にもなる。君のやり方は……危険だ。だから管理する必要がある」
声は冷たかった。レンの骨笛が唇に戻り、彼は思わず短く吹いた。合唱の波は兵士たちの心を揺さぶったが、隊長は器具でかき消した。だが消すと同時に、地面の向こうで何かが反応した。泥の中から、乳白色の小さな芽状の骨が突き出し始めた。まずは一つ、二つ。それはあっという間に連なり、牛の放牧地の角を覆っていく。畜が身を震わせ、低い絶叫を上げた。村の背骨とも呼べる大きな木の根に、白い鱗のようなものが現れてきた。
「呪いが増している」マーラが小さく言った。骨の芽は空気に触れると広がるという伝承がある。それは強制による救済が引き金になるとき、外に飛び散る。レンは脳裏で冷たくその規則を数えた。自分が力を使って、誰かの行為を無理に変えさせた瞬間、骨の力は報復のように増幅するのだ。
巡官が笑いを押し殺しながら言った。「我らは秩序を正す。君が真実を武器にするなら、我らはその武器を体系化する。誰もが秩序を選べるようにだ。だが秩序には代償が伴う。それは仕方ない」
その言葉に、レンの胸に怒りと寒さが同時に湧いた。統御院の言う「仕方ない」は、犠牲者の名前を帳消しにする宣言だ。彼らは呪いを単なる管理物として扱い、資源のように配分する。リオもその一枚に過ぎない。レンは束ねる声の中に、リオ自身の小さな声が混じるのを感じた。だがリオは今、呪いの機構のどこかへ運ばれている。
「君たちは何を望むんだ!」アイナが叫んだ。彼女は矢を取り一歩踏み出した。トオマが咄嗟に彼女の腕を掴んだ。「待て! 突っ込めばリオはもっと危ない!」トオマの声は震えていたが、理性の聲であった。
その瞬間、アイナは自分で選択した。彼女はレンの手を振りほどき、矢を向けて走り出した。仲間たちの抗議が波紋のように追いかける。レンは骨笛を握り締め、足が地に吸い付くように動かなかった。アイナの独断はこの村で何度も見られた。個の正義が共同体の秩序を引き裂くとき、傷は深くなる。
アイナは隊列の角を回ったとこ