影を売る修道女は赦しを拒まない 第26話「第24章」
夜風が石畳の目地を撫でると、町の広場は小さな息をするように揺れた。油灯が並ぶ中央の台座に、今日も影を売る箱が置かれていた。箱の蓋は開かれ、中には薄紙の束と、古い鉛の印がひとつだけ収まっている。人々の輪ができていた。そこに混じる声は、明日を賭けたものと、すでに壊れかけたものと、どちらの色も含んでいた。
夜風が石畳の目地を撫でると、町の広場は小さな息をするように揺れた。油灯が並ぶ中央の台座に、今日も影を売る箱が置かれていた。箱の蓋は開かれ、中には薄紙の束と、古い鉛の印がひとつだけ収まっている。人々の輪ができていた。そこに混じる声は、明日を賭けたものと、すでに壊れかけたものと、どちらの色も含んでいた。
イレナは冷えた石の縁に膝を下ろし、手にした黒い蔦のようなひもを指先で転がした。夜空は深く、月光が遠い塔の窓に刺さっている。彼女の右手の甲には、以前に影を売ったときについた瘡が、乾いた黒い皮としてまだ残っていた。触れるとひりつき、触れないときは夢の中の誰かの名前を奪っていく。
「また増えたね」ラウルが小さく言った。軍の灰色を脱ぎ捨て、今は素朴な外套を羽織っている。彼の目は、夜の背後にあるものを探るように揺れていた。「政府の布告のせいだ。『選択』が許可されると、噂は伝播する。人は自分の影を持っていかなきゃ安心できないと。」
「安心って言葉を、あなたはまだ持ってる?」イレナは真顔で答えた。鼓動が耳に届く。彼女の言葉は夜気に溶けていくが、声は震えていなかった。彼女は誰かに赦しを与えることを拒むことができなかった。拒む必要を、彼女は一度も見いだせなかったのだ。
輪の中から、年老いた女が前に進み出た。マルタ。彼女の手は皺だらけで、指の節には昔の仕事の匂いが染みついていた。彼女の影は小さく、膝のあたりで細長く伸びている。影の先端には、ほのかに震える別の影——小さな子供の形が付いていた。マルタはその子を、影の中に留めておくためにここまで来たらしい。
「息子が、戻ってほしいって」マルタの声は掠れていた。目が赤らんでいる。「彼は……皇都で働いていた。軍の文書を運んでいたと。ある日、影を売る街へ行くと言って。帰ってこなかった。噂では、国家のための『再編』が始まったと。彼の影は、どこかで使われているはず。戻ってきてほしい。」
広場のざわめきが少し強まった。誰もがマルタの影に視線を落とす。影は、他の影と違って、しょんぼりとしていて、どうにか上手くそこに居場所を作ろうとするような動きをしていた。
イレナは立ち上がり、マルタの前に歩み寄った。ひとつ深く息を吸うと、彼女は黒いひもを箱に絡め、懐から銀の小さな杯を取り出した。杯は冷たく、触れると金属臭が鼻を突いた。人々の期待が耳鳴りのように膨らむ。ラウルは彼女のすぐ後ろに来て、その肩を短く押さえた。何か言いたげな顔をしているが、言葉を飲み込む。
「私はあなたの代わりに、言葉を串刺しにして示すことができる」イレナは低く告げた。「誰が、どこで、どんなふうに影を扱ったか。証言を集めれば、真実が見える。ただし……」
彼女の口の端が微かに震えた。慎重に、だが確実に。能力を使うとき、イレナはいつもその直前に仕草をしていた。手の平を下にして、影に触れる。力の糸は、触れられた影から出て、淡い光の束のように広がり、周囲の人々の胸のあたりに絡みつく。声にならない記憶や匂い、古い恨みや幼い夢までもが、糸に引かれてやってくる。
彼女はマルタの影に手を伸ばした。蔦のように絡みつく糸が触れると、影は一瞬震え、空気が薄くなったように感じられた。広場の空気が締まる。イレナの胸の奥で、何かが引きちぎられる感覚が走った。それは痛みでもなければ快楽でもない。もっと深い、記憶が水に溶けるような感触だ。
「ベンは赤い茄子が好きだった」マルタの言葉が、誰の口かわからない声で響いた。イレナはその声を撚って、杯に注ぐように集める。声が杯の中で波打つと、薄紙の束が自動的に揺れ、鉛の印の端が光った。周囲の人々の目が、皿の上の動きに釘付けになる。
だが、そのとき、イレナの心の中で何かが暗くなった。彼女はふと、左手に結んでいた細い糸の意味を思い出せなくなった。母の手の仕草の一部—縫い物の糸を引くときの小さな癖、祖母が最後に触れた皿の模様、その全部が、指先から滑り落ちるように消え去っていく。胸の奥にあった暖かさが、砂のように崩れた。
ラウルが息を呑むのがわかった。彼はイレナの顔を覗き込み、何かを問おうとして唇を震わせたが、イレナは首を振った。彼女は口許を真一文字にして、再び影の糸をたぐった。
「彼は、ある役所に影を預けた」イレナの声は、もはや自分のものかどうか確認しなければならないほど薄かった。集まった声は次々と杯に落ちる。冷たい金属の舌触りが、舌先に残る。人々の証言が結び合わさり、ひとつの形を成す。形は——皇都の中央倉庫、白い壁、夜中に運び込まれる箱。箱の中で、影は計測され、刻印され、誰の影がどれだけ有用かで分類される。文書は改竄され、台帳には「国家のための再配置」と書き加えられていた。
「改竄……」マルタが嗚咽する。
広場の空気が急に冷えた。遠くで鐘が一度だけ鳴る。それは古い時報というより、誰かの胸の中を突き刺す合図だった。
「これを示せば、王府の儀式は偽りだと証明できる」ラウルが低く言った。「だが、成し遂げれば、各地で許しの代行が、強制に近い形で行われる。王府はそれを……利用してきた。儀式を書き換えて、受け手の記憶を管理してきたんだ。」
イレナは杯を握りしめる。金属が冷たく、指先に微かな振動が伝わる。彼女は知らぬ間に、自分の母の名を忘れていた。言葉が暗闇に吸い込まれたように、どうしても思い出せない。そこに小さな穴が開き、そこからまた次の記憶が抜け落ちていくのを感じる。
「私が、証言を束ねる」イレナは囁いた。「真実を示せば、人々は自分の影を取り戻す選択をできる。だが、私が真実を掴むほど、私の記憶は薄れる。私が赦しを強いるほど、儀式に組み込まれていた呪い――記憶の書き換えは加速する。それでも、私は……」
言葉はそこで途切れた。イレナは自分が、本当に何を守ろうとしているのかを確かめたかった。守る対象は朧で、だが確かにそこにある。誰かの手を守ること、誰かの過ちを赦すこと、そしてその赦しを拒まない自分自身の意思。彼女はそれらを失ってはならないが、同時に失わせることでしか開かない扉があることを知っている。
「その代償を、私は知る」マルタが言った。「息子が戻るなら、私の記憶がどうなるか……それは、もう恐れない。彼が顔を忘れても、帰ってきてくれるなら。」
集まった人々の目がマルタに向いた。中には恐怖で顔が青ざめる者もいた。赦しを受けることの代わりに、残る者の記憶が少しずつ消える。だがマルタは手を差し出した。老いた手が、箱の黒い印に触れた。ただその触れ方には覚悟があった。
イレナは杯を高く掲げた。声は杯の中でうねる。ラウルは走り寄り、イレナの肘を掴んだ。「やめろ、イレナ! 君が全部失ってしまう前に!」
「私は赦しを拒まない」イレナは静かに言ってから、杯を膝に打ち付けた。金属が石に当たる鈍い音。そこから吐き出されるように、多数の声が広場を満たした。声は切れ目なくつながり、影の光景を描き出す。人々は一斉に息を呑んだ。
だが、同時に、影の一つが異様に暴れ出した。倉庫で折り重なる影の断片が、広場の空気を裂くように黒く拡張した。ノアと呼ばれる元役人の影だ。彼がかつて行った書き換えの一つ一つが具象化するかの