灰を食べる執行人は世界を救わない 第20話「第18章」
石造りの広場は昼の陽を浴びて熱を帯び、声が反響して渦を作っていた。聖門の旗が風にひるがい、群衆の間からは唸りにも似た期待が漏れる。石段の上、仮設の檀に座る判官ディールは、柔らかい革の手袋を指で転がしながら冷ややかに群衆を眺めていた。目線の先には、控えの木箱に縛られた被告と、床に膝をついた数人の被害者。中央に立つのは執行人、アシュだった。彼は小さな布包みを取り出し、中の灰をひとつまみ指先に取る。
石造りの広場は昼の陽を浴びて熱を帯び、声が反響して渦を作っていた。聖門の旗が風にひるがい、群衆の間からは唸りにも似た期待が漏れる。石段の上、仮設の檀に座る判官ディールは、柔らかい革の手袋を指で転がしながら冷ややかに群衆を眺めていた。目線の先には、控えの木箱に縛られた被告と、床に膝をついた数人の被害者。中央に立つのは執行人、アシュだった。彼は小さな布包みを取り出し、中の灰をひとつまみ指先に取る。
灰の匂いは、鉄と干し草と古い火の記憶が混ざったようだった。舌の先に乗せると、冷たさの中にかすかな甘さが忍び、頬の奥で遠い歌が鳴る。アシュはいつもそうして自分を整えた。灰が身体の奥で何かを呼び覚まし、他人の声を縫い合わせるための準備になる。ただし、それは代価でもある。彼はそれを知っていた。知っているからこそ、指が震えた。
「アシュ、やめてくれ」リラの声が耳元で割り込む。薄茶の髪を後ろで束ねた彼女は、裾の泥をはたきながら目を伏せた。だが群衆の圧力は強い。ディールが指を鳴らすと、声が一斉に高まった。
「見せろ、執行人! 我らを救え!」
「罪なき者を庇うな、灰で真実を示せ!」
群衆の「救済」への渇望が唾液のように空気に塗りつき、アシュの胸を窒息させた。彼の能力は、真実を見せるために証言を束ねる。複数の記憶を、自らの内で一つの声に編み直す。それを人々に曝すとき、彼は真実を武器にできる――だが、真実を武器にするほど、彼自身の記憶が紐解かれて薄くなる。しかも、群衆の「救済」への欲望がその武器に注がれるとき、呪いは応えて増幅する。空気がそれを承認するだけで、呪いは反応するのだ。
「判官、控えてください。今日は小さな審理で…」リラが口を開く。だがディールは手を振り、群衆に向かって高く顎を上げた。
「この場で全てを晒すのが世のためだ。民の目は最上の司法だ、執行人よ。あなたの仕事は見せることだろう?」
アシュは灰を口の中で転がし、冷えた飲み物のようにそれを飲み込んだ。すると瞬間、空の一片が音を伴って剥がれるように、周囲の雑多な声が彼の耳に入り込んだ。被告の震え、被害者の夜の叫び、家屋の床板が沈む音、子が母の背中で眠る呼吸。彼はそれらを手繰り寄せ、内側で紡ぎ直し始めた。声が一つに重なり、小さな合唱団のように彼の胸を満たす。だが同時に、何かが抜け落ちる感覚があった。
合唱が形を成すにつれて、群衆の目の色が変わった。最初は好奇、次に期待、やがて飢餓のような要求に。誰かが前に出て、涙で顔を濡らしながら叫んだ。
「早く! 早く救ってくれ! この罪を消して、被害者を戻してくれ!」
その声は他の声を引き寄せ、合唱に浸食していった。アシュは身体の奥で熱が渦巻くのを感じた。能力は彼の記憶をひとつずつ削りながら、他人の声をより鮮明に作り出す。代価はいつもやってくる――だが今日は、違いがあった。群衆の「救済を望む力」が合唱に乗り、彼の能力を引き上げようとしたのだ。引き上げられた先で何が起きるか、アシュは嫌というほど知っている。
彼の手が震え、目の焦点がぼやける。合唱の中の一つの記憶が、ひどく近くなる。白い小路、子供の手、夏の光。アシュはその中に守るべき誰かの輪郭を求めた。だが答えは手の届かないところにあった。名前が、顔が、細かな仕草が一つずつ霧散していく。
「アシュ、やめろ!」リラが前に飛び出した。彼女の声が届いたのはわずかな瞬間だけで、群衆の渦にかき消されそうになる。彼女はアシュの肩を掴み、硬く引いた。
「止めるんだ、喰らうな!」とカータスが叫んだ。黒い外套の男が木箱から詰められた被告へと駆け寄り、群衆の腕を押しのける。彼の目は硬く、だが汗で濡れている。
ディールは笑った。「見ろ、民が沸く。執行人よ、ここであなたが見せるものは、聖門の正義を示すだろう。遠方の領にもこの光景が届く。民は安心する。王は安堵する。」
アシュの中で、合唱は一気に高まった。被害者の怨嗟だけでなく、裁判を待ち望む群衆の渇きが混じり、それは呪いの餌となる。身体のどこかで、黒い根が伸びるような突き上げがあり、皮膚に鳥肌が立つ。彼はその増幅を止めるため、合唱を手放したかった。だが手放すということは、証言を曖昧にすることでもあり、彼は人々の前に嘘を晒すわけにもいかない。嘘は誰かを失望させ、被害者の声を踏みにじる。
アシュは選んだ。全てを曝すことはしない。部分的な「綴り」だけを、人々に見せる。彼は指先でほんの一つの糸を選び、その糸を引き抜いた。被告がその一本の糸に対応した記憶を吐露する。村の晩、命令書の折れた角、兵の靴跡。被告は声を震わせ、言葉を詰まらせながら明言した。「命令された。『火を伴う戒め』とある。私は従っただけだ」――それは制度の存在を示す一刃で、聖門の外殻を掻い潜る言葉だった。
群衆は一瞬の静寂の後、さらに騒ぎ立てた。誰もが新たな憤りと新たな救済の欲を抱いた。アシュの胸の中で、さっきよりも厚い重みが落ちる。部分的に晒した代償は、やはり来た。彼は無意識に掌を胸に当て、小さな空虚を確かめる。歌の一節が消えていた。子供の眉間の皺、夜にそっと差し出された小さな手、その手を握る自分の指先の感触――そうした細部が、ぐいっと剥がされている。
「何をした」リラの声は震えていた。彼女がアシュの顔を覗きこむ。彼の瞳は焦点が定まっていない。
「ミナの…」アシュは言葉が続かなかった。ミナ――守る対象、その名はまだ口をついて出る。だが姿を思い浮かべるとぼやける。彼は必死に記憶を戻そうとした。目を閉じ、薄布を撫でるように記憶を探る。だが触れたものは煙のように指の間から零れ落ちる。恐怖が冷たい波となって背骨を伝った。
「見たか、判官」ディールがゆっくりと指を鳴らした。「これが執行人の仕事だ。民は結果を望む。誰が命令したかが明らかになった以上、救済は正当だ。どうする、アシュ?」
その問いは銃声のように広場を貫いた。もしアシュが完全に合唱をつむげば、全ての記憶が押し出され、真実はひとつの洪水のように襲う。だが洪水が群衆の加護と結びつけば、呪いは増幅し、制御不能になる。増幅した呪いは無差別に落ち、守るべき人々をも呑み込む。もしアシュが拒むなら、被害者の声は不完全なまま残り、民の怒りは政府に向けられる。どちらが正しいのか、簡単には決められなかった。
「小さな審理を」リラが叫んだ。彼女は両手を広げ、群衆に向かって懇願するような顔をした。「一対一で、被害者だけと向き合って。あなたの力は強力すぎる。見せ方を変えれば、呪いの増幅を止められるはずよ!」
だがディールの目は冷たく揺れない。「時間がない。国は動いている。ここで晒すことこそ、秩序を示す方法だ」
その時、群衆の一角で小さな騒ぎが生まれた。木箱を詰めた書役の男が走り出し、紙束を高く掲げる。紙は王都の印で封がされており、群衆の誰もがそれを見て静かになった。書役は息を切らし、判官の前に跪く。
「王宮より、裁判の迅速なる執行を命ず。全ての証言を公に晒し、州全域へ放送すること。国家の安寧のためである」
その一言で広場は再び沸騰した。放送、国家の名による命令――それはディールの思惑を越えた力だった。アシュの胸に、見