天環のアストラリウム

天環のアストラリウム 第6話「第五章 塔壁を走る」

外壁保守路の入り口は、薄い鼓動のように閉じかけていた。透明なパネルが空へと張り出し、下を覗けば雲海が綿のように流れている。貨物列車が腰のあたりを横切ると、鋼の腹が発する振動が足裏に伝わり、塔の皮膚が生きていることを知らせた。上方ではアストラの反射殻が白熱し、光が皮膜のように落ちてくる。三人はその光の間を駆ける。

外壁保守路の入り口は、薄い鼓動のように閉じかけていた。透明なパネルが空へと張り出し、下を覗けば雲海が綿のように流れている。貨物列車が腰のあたりを横切ると、鋼の腹が発する振動が足裏に伝わり、塔の皮膚が生きていることを知らせた。上方ではアストラの反射殻が白熱し、光が皮膜のように落ちてくる。三人はその光の間を駆ける。

「視界はどうだ、ノア?」ユウマは小さく指示を出す。カイトの冷却音が耳元で低く鳴る。横風が鋭く襲い、透明の通路は両脇に延びる保守ブラケットと検査ポッドの黒い点列に分節されていた。一本でも見誤れば、下へ――という恐怖が、いつもより濃くユウマの胸を圧した。

「いける。ドローン五機を視界に散らしている。上からの反射殻が丸く映る、次のブロックは十二時方向、距離三十メートル、補助レールが少し欠けてるから着地は右寄りだ」ノアは息を切らしながらも楽しげな声を保った。彼の手元では小さな機体群が光の矢印になり、空間に静かな三次元の道筋を描いていた。だがドローンの視界は時折揺れ、ノイズが波状に襲う。磁気ノイズだ。外壁の向こうで何かがほろんでいる。

リセはすでにプリズムランスを構え、細い光の槍を半円に曲げて、前方を薄い盾にした。白い刃は膜のように広がり、風を受けて震える。生体鍵の小さな刻印が彼女の手首の装具に淡く反応している。鍵は今は使わない。リセはそのことを、そして使えば片腕が固定されることも、心得ていた。

「こっちへ!」ノアがまた叫ぶ。彼のドローンが一瞬だけ鳴いて、上空の磁場の渦を示した。黒い筋が外壁を走っている。監査フレームか――ユウマはその言葉を思いかけて、すぐに自分の心臓を押し戻した。敵がいる。だが彼らの脚色した磁場は、この場で有効な道具にもなりうる。

最初のジャンプは軽やかに決まった。ユウマはカイトの短い噴流を使い、パネルの継ぎ目に飛び移る。風は顔を切るように冷たく、雲海の匂いが唇に残る。足元の透けた床には下層の灯りが星のように散り、時折見覚えのある建物の輪郭が流れた。走るとは言っても、それは地面を走る行為ではない。垂直に近い面を、壁の節目を足場にして、三人は塔の側面を登っていた。

「ここで減速!」リセの声が短く、決然とした。彼女の作る光の壁がポッドから飛んでくる破片を受け止める。破片は赤く焼け、殻の光が反射して小さな虹色の裂け目を作した。プリズムランスは、光の角度を狂わせて切り札のように働く。だがリセの右腕は、鍵の認証なしに重い時間を強いられたように固まっている。防壁を維持するたび、彼女の体力とランスの残光が少しずつ削られていった。

だが磁気嵐は予告なく襲った。最初は空気のざわめき、次に壁面が金属音の合唱を始め、ドローンの光が点滅した。ノアのスクリーンにジャギーが走り、ドローンが一斉に信号を失いかけた。細い稲妻のような黒筋が外壁を走り、鋭い吸引が三人を襲った。カイトの姿勢制御が引っ張られ、慣性のベクトルがところどころ引き裂かれる。

「磁場だ!」ノアの声が裏返る。「向こうに……フレームの磁場が展開してる。監察の自律フレーム群だ。扉閉められる前の最後の護衛隊だと思う!」

ユウマは視覚が揺れるのを感じた。壁が自分から離れていくように見える。高所への恐怖は当然あったが、恐怖そのものよりも、恐怖に裏打ちされた判断の遅れが一番怖い。彼は息を整え、レールの振動を耳に戻した。幼いころから、壊れた貨物の癖からレールの小さな歪みを読む訓練をしてきた。今、その力を自分ひとりのために使うわけにはいかない。

「目印は、赤いブラケットの横だ。二段ジャンプで行ける」ユウマは短く告げる。言葉は自分の鼓動を安定させるための紐にもなった。カイトの出力制限が、胸の奥で警鐘を鳴らす。三度の限界がある。彼はその回数を数えることはしなかったが、体は記憶している。限界を越えれば骨が悲鳴を上げるということを。

だが今、選択肢はほとんどなかった。磁場が彼らを追い詰める。リセの光壁も、長時間は保てない。ノアのドローン群はジャミングで二機が落ち、残りはかろうじて息をしている。ユウマは安全装置のシールを脇へはぎ取った。カイトの出力リミッター。彼の手が震え、指先の皮が白くなるのがわかったが、その震えでさえ彼の判断を鈍らせはしなかった。

「聞け、俺が出す磁場に合わせて飛べ。敵のフレームが作ってる“引き”の力を使うんだ。掴めるところまで一気に持っていく」ユウマは短く、命令めいた声を出した。それは独りよがりの勇気ではなく、実行可能な手順だった。ノアとリセはうなずく。合図はただ一つ。

ユウマは踏み込んだ。カイトが咆哮し、外壁に沿って一瞬で加速が始まる。磁力線が皮膚に張り付くような感触。視界が線状に流れ、塔の曲面が引き伸ばされる。彼は敵フレームの発する人工の重力の縁を感じ取った。それを利用して跳躍する――彼が子どものころに教わった“跳ねの読み”と同じだが、向きと規模が桁違いだった。

「一つ!」ノアが叫ぶ。彼のドローンがユウマの頭上で細い光の目を光らせ、次の足場を指し示す。ユウマは目標を定めて、体を捻った。敵フレームの磁場が瞬間的に“押し”に変わるポイントを通り抜ける。その瞬間、彼は仲間二人を身体の回転に合わせて連続で送り出した。リセは光刃で次のブラケットを叩き、背中を押されるように飛んで行った。ノアはドローンの推力を微調整して、自分の体をフレームの余波に乗せた。

風が顔を容赦なく引き裂く。肌が突き刺されるように痛み、耳鳴りが来た。だが三人は次の足場に順々に着地した。着地の衝撃でユウマの肩が軋み、肺の奥が疲労の痛みで収縮した。彼はカイトの尻尾を片手で受け止め、足を踏ん張る。息が浅く、喉が乾いている。

「やったのか?」ノアが息を切らして笑った。それは安堵の笑いだったが、すぐに顔色は曇る。ドローンの一機が白い破片を落としており、影の中に小さな警告文字が流れていた。磁場の源を示すマーカー。敵はまだ上方にいる。だが、ユウマたちは一応、先へ進める位置に立っていた。

リセがプリズムランスの柄に手をかけ、苦笑を零した。「お前、無茶するなよ、荷運びの癖に。あんた一人で突っ走るから、私たちまで」その言葉は責めるでもなく、認めるでもなく、ただ事実を並べたものだった。ユウマは小さく首を振る。彼は自分が無謀だとは思っていなかった。むしろ、無謀であることが自分の仕事だと理解していた。だが、同時に今は仲間がいる。その事実が、彼の動機を変えていた。

「違う。俺はただ――一緒に行くんだ」ユウマは返す。言葉の最後が震えたのは、恐怖のせいでもあるが、仲間への信頼のせいでもあった。リセの目が一瞬細くなり、ノアは手の甲で額の汗をぬぐう。彼らの間に小さな了解が生まれた。指示は短く、だが確かに互いを縛る。

外壁の保守路は次第に上へと傾き、アストラの反射殻の縁が間近に迫る。光が皮膚を貫くほど強くなり、金属が膨張する匂いが混じる。反射殻の影には、無数の検査ポッドが並んでいる。ノアが小さなドローンをひとつ差し出すようにして操作し、古い点検窓のある場所へ誘導した。そこは通常の点検では閉じられて久しく、外側には透明な層の下にほこりと古い油の斑点が浮いている。

「窓だ。入れ