魔法学園

魔法学園 第10話「第9章」

朝の森はまだ冷たく、木漏れ日が足元の苔を斑に照らしていた。朝倉翔平は長いコートの襟を立て、手の中で小さな木の定規を握りしめる。定規の端に刻まれた細い刻印が、薄暗がりでもわずかに光を拾っているように見えた。――その刻印のことを考えると、胸の奥がいつも微かに疼く。使うたびに失う記憶のあいまいさが、それを守るための手掛かりになるかもしれないと、彼は直感していた。

朝の森はまだ冷たく、木漏れ日が足元の苔を斑に照らしていた。朝倉翔平は長いコートの襟を立て、手の中で小さな木の定規を握りしめる。定規の端に刻まれた細い刻印が、薄暗がりでもわずかに光を拾っているように見えた。――その刻印のことを考えると、胸の奥がいつも微かに疼く。使うたびに失う記憶のあいまいさが、それを守るための手掛かりになるかもしれないと、彼は直感していた。

「ここが、痕跡の報告があった地点だ」黒田蓮が地面を指さす。学生会長らしく手馴れた歩き方で、広がる森の斜面を見渡していた。蓮の腕には、今日も実用用の防護帯が巻かれている。鈴木ユイは小さくうなずき、両手を組んで膝の前で震えていた。ミラノ・ヘルムは先に進み、苔むした石に膝をついて何かをスケッチするように観察している。白樺魔法学園での彼女の立ち位置が、単なる学者以上に変わってきたことは誰の眼にも明らかだった。

「ここだ」ミラノが短く言った。視線の先――根元から一本、木の皮が不自然に剥がれ、土が削られた跡が帯状に続いていた。削られた地面の中央には、円形の浅い窪みが複数、規則正しく並んでいる。金属の粉が雨に濡れた土に混じり、光を散らしていた。

「採掘痕……」蓮が呟く。音は小さいが、森の静寂を切るには充分だった。

翔平はゆっくりと膝をつき、指先で粉を掬った。冷たく、錆びた匂いが鼻腔を刺激する。手に残る粉は、ただの金属粉ではなく、人工的な合金の微片だった。胸の底に小さな違和感が走る。最近、街のあちこちで起きていた妙な「薄れ」の原因は、まさかこれか――という思いが頭をよぎった。

「見てください、これ」ミラノが手の中の小盤を差し出す。そこには小さな真鍮板がねじ止めされていて、磨耗してはいるが、刻印のような整列した模様と、削れた英字の塊が残っていた。英語とも古語ともつかぬ記号列が、半ば読めそうで読めない。ミラノの指先が震える。

「これは――」彼女は言葉を切った。「組織的な機器の残滓です。意図的な設置痕跡。単なる斥地や猟師の罠とは違う。周波数測定のための……何かの基礎かもしれません。図面と一致する痕跡が──」

「根源採掘社か?」黒田の声は、まるで冷たい水を浴びせられたように静かだった。三人の顔が同じ名前に収束する。学園の外で囁かれてきた巨大組織の名が、ここにある小さな金属片に結びつくとは、考えたくもない現実だった。

ユイは小声で、誰かに話しかけるように歌い始めた。無意識のように出る、いつもの子守歌の旋律。葉擦れの音に溶けるような薄い声は、この場の空気をなだめるように広がった。翔平はハッとした。ユイが歌うと、先ほどまでしおれていた一握りの若芽が、まるで息を吹き返すかのように色を取り戻したのだ。花弁の微かな艶が戻り、葉が反り返る。

「ユイ、歌を止めないで」翔平の声は思わず絞り出される。彼自身、感情的になっているのがわかった。彼女の声が周囲に影響を与えることを、これまでずっと見てきたが、それがここで、人工的な痕跡の横で反応を引き起こす――その意味を測りかねていた。

ミラノは掌の小さな検査器を取り出し、金属片に向けた。器械がひとつ、ふたつと震え、数字と波形を吐き出す。彼女の顔色は一段と陰った。

「この周波数パターン。人工共鳴を生む設計図の断片だ。私の手持ちの文献の索引と符合する――古代の『共鳴輪』を模した現代技術。だが工学的に再現している。意図は、共鳴を拡大し吸引することだ」ミラノの言葉は速い。学者の習性で、恐ろしい発見ほど言葉になるのを急ぐ。

「吸引って、何を?」蓮が問い返す。彼の魔術は実技系だ。理屈ではなく現場で感じるものに頼る。ここでの言葉は、彼の不安を解消してくれない。

「魔力だ。周波数で人々の意思や共鳴を誘発し、その振幅を収束させて抽出する。――まさに、噂の『根源採掘』の手法に合致する」ミラノの声は低く、断罪のように響いた。

翔平は胸の奥が冷たくなってゆくのを感じた。学園が守った日々、小さな魔法の灯りが人々の生活を照らした成果が、誰かの産業的欲望で収奪されるのか。怒りと恐れが混在する。しかし、ここで彼ができることは限られていた。彼にできるのは教えることだ、仲間に寄り添い、地域を守ることだと、自分に言い聞かせる。

「まずは、証拠を持ち帰りましょう。校に報告して、ミラノさんは分析を続けて。村にも知らせるべきだが、パニックは避けたい」翔平は声を整える。教師としての条件反射だ。状況を整理し、次の手を指示する。

だが、その瞬間、森の空気が一瞬薄くなるような感覚が走った。空気の色が、一拍遅れて抜ける。背後の小さなランタンの炎が、ふつりと暗くなった。蓮のポケットの護符の光が揺らぎ、彼の掌が一瞬、冷たくなったと言った。

「……感覚的には、周りの魔力が一時的に吸われたようだ」蓮は短く報告した。声に混ざるのは、焦燥と怒り。魔法の安定を身体で知る者の言葉は重い。

ミラノは小さな端末を森の中心に向け、波形を記録させた。ディスプレイに青い線が走り、ある種の周期的な減衰が記録される。その波形の末尾に、小さな規則性が見えた。彼女の指先がそこで止まる。

「これ、近くで機器の試運転が行われている証拠です。低周波で魔力の共鳴値を下げる波。遠隔装置が、地域の魔力レベルを均すために稼働している。短時間で波及するが、繰り返されれば被害は累積する」ミラノの瞳に、学者の恐れが宿った。「誰が、ここまで――」

彼女の言葉を遮るように、翔平はゆっくりと手を上げた。木の根元に落ちていた小さな傷を指でなぞり、三段階の動作を考えた。ここで無闇に教え込むことはできない。初級教学は合意と同時実演が要件だ。無理強いは禁忌だ。だが、目の前の若芽が再びしおれるのを見過ごすわけにもいかない。

「ユイ、いいか。君の歌は自然を和らげる力がある。今、君が歌ってくれれば、花だけでなくこの周辺の小規模な共鳴の回復に繋がる。やるかい?」翔平は穏やかに尋ねる。教師の問いは相手の意思を確認する問いでもある。ユイは一瞬、顔を上げた。瞳の奥に怯えと決意が混じる。

「……はい、やります」彼女の返事は儚く、それでも確かな合意だった。

翔平は次に、教える手順を言い表す。三段階。言葉で簡潔に、身体で示す。第一は「息を合わせる」。深く吸って、吐く。第二は「掌を開く」。掌の向きを揃える。第三は「歌の始まりで掌を重ねる」。一度だけ彼とユイが同じ動作を同期させる。教えるという行為そのものが触媒になる瞬間を、二人は共有する。

「はい、行くよ。いち、に、さん、歌って」翔平が合図し、ユイの声が森に広がった。彼も僅かに声を出し、ユイの声とリズムを合わせる。掌を合わせた瞬間、空気の重さが戻る。若芽は揺れ、ランタンの炎が幾分明るさを取り戻した。蓮の顔にかすかな安堵が走る。

しかし効果の代償は、すぐに翔平の体に降りかかった。胸の奥がふっと空虚になり、直前に交わしたはずの言葉や光景の一部が欠落する感覚が襲った。ユイの顔の輪郭ははっきりと見えているのに、その歌の最初に彼がかけた励ましの一言が、まるで霧に飲まれたように消えていた。舌先には、さっき自分が思いついた比喩の残り香だけがあった。

「先生、大丈夫ですか?」ユイが心配そうに